第9話 料理と散髪

 昼休みに職員室に居なかった事もあり、放課後に数人の生徒が質問に訪れた。

 その影響でいつもより少しだけ遅い帰宅となってしまった。

 マンションの下から自分の部屋を見上げると電気が点いている。その光景に何やら不思議な気持ちになった。



「ただいま……」


 僕の帰宅に気づいて、誰かがこちらに走り寄ってくる足音がする。

 リビングの扉が開くと、雪さんが顔を出した。


「お帰りなさい」


 こうして誰かに迎えてもらうのは一体どれぐらい振りだろうか……。


 廊下に鞄を置き、雪さんと一緒にリビングへ入る。するとソファーの前に立っている小春ちゃんと目が合った。

 テレビが点いてる事から推測するに、挨拶する為に見るのを中断したといった所だろうか。


「そ、その……お帰りなさい」

「ただいま。テレビを見ていたの?そんなに改まらなくて良いから、ゆっくり続きを見てて」


 僕が帰って来たので急いでテレビを消そうとする小春ちゃんにそう告げる。

 僕の声が聞こえていたはずなのに、彼女はテレビを消して……そして深々と頭を下げた。


「転入試験の件、あ、ありがとうございました。のくれた機会を無駄にしない様、一生懸命頑張ります」


 初めて小春ちゃんに名前を呼ばれた気がする。どうやら知らないうちに変態から昇格していたらしい。


「そんなに気負わなくていいんだよ。昼間も言ったけど、学力に応じて自分に適したクラスに入れる様になっている。どのクラスに入っても環境としては悪くないから。それによほどの成績じゃない限り転入出来ないと言う事態にはならないよ。とは言っても1つだけ問題もあるんだけど……」

「問題ですか?」


 小春ちゃんが意味が分からないとばかりに小首をかしげた。


「薄々気づいているかもしれないけど、小春ちゃんに通ってもらう予定の高校は、僕の勤務先でもあるんだ」

「やはりそうでしたか。もし私が瓜生さんの顔に泥を塗る事になったら……」


 そう言って思い詰めた表情になる小春ちゃんをなだめるのに苦労した。


「私達まだ優君の勤務先の学校について何も聞いてなかったけど、一体何処の高校なのかな?名前を聞いても分からないかもしれないけど……」


 言われてはたと気付く。まだ2人には学校名すら伝えていなかった。


「ごめん、言うのを忘れてた。僕の勤務先は颯林そうりん高校なんだけど知らないよね?」

「え……!?」


 小春ちゃんが驚きの声を漏らした。どうやら知っていた様で目を丸くしている。

 雪さんはよく分かっていない様子なので改めて説明する事にした。


「小春ちゃんは知ってる様だね。多分頭に浮かんでる高校で間違いないと思う。だけど念の為、説明しておこうか。颯林高校は県下最大規模を誇る学校なんだ。スポーツ・進学・就職……全てに力を入れている。そう聞くと不思議に思うかもしれないけど、どのコースもそれなりに実績を出している。まさに文武両道を体現するかの様な学校なんだよ。他には……」

「制服が可愛い……」


 ん?小春ちゃんが何かを呟いたがよく聞こえなかった。


「小春ちゃん?」


 僕が名前を呼ぶと、彼女は目を爛々と輝かせて言った。


「制服が可愛いっ!!」

「ああ、そう言えば……」


 確かウチの制服は、若者に人気の某アパレルショップ監修とかだった気がする。

 見慣れてしまったから忘れていたが、それが決め手となる生徒も一定数居ると聞いた事があった。


 小春ちゃんの様子から喜んでくれていると思うが、一応確認はしておくべきだろう。


「勝手に決めてしまったけど、ここに通っても問題はない?小春ちゃんが嫌だったら、他を探すから遠慮はしないで思った事を言って欲しい」


 僕の提案を聞いた2人は首を横に振る。特に小春ちゃんは首がもげるのでは……と心配になるぐらい全力の動きだったので、笑いを堪えるのが大変だった。


「優君、確認させて欲しいのだけど……」

「雪さん、気になる事は遠慮せず何でも聞いて」


 僕がそう返すと、雪さんは恐る恐るといった感じで口を開いた。


「制服が人気って事は……その制服代とか授業料とか高いのかなって……」

「どうなんだろう。費用一覧を貰ったけど、問題ない金額でしたよ」


 僕は貰ってきた書類を見せる。大した事ないというニュアンスで伝えので、安心してくれるかと思ったが……そう甘くはなかった。

 暫くの間、2人は言葉を発する事なくジッと見つめていた。

 どう声を掛けるか悩んでいると、この沈黙を小春ちゃんが破った。


「あの……私大人になって働き始めたら学費は必ずお返しします」

「子供がお金の心配をしたらいけないよ。この学校は行事にも力を入れているから、楽しんでくれたらそれでいい。あと最後に。これから暫く一緒に暮らすのだからそんなにかしこまらないで。お互い気楽にやっていこう」

「そう言われても……」


 流石に直ぐと言う訳にはいかないか。昨日の威勢の良さがすっかり無くなっているが、これが本来の小春ちゃんなのかもしれない。

 その辺はこれからゆっくり見定めていこう。


「それで試験を受ける日を決めたいのだけど……いつがいい?学校側は明日でも可能らしいけど」

「ご迷惑でないなら、明日でお願い出来ますか?」 

「了解した。校長に連絡してくるので少し席を外すよ」


 そう言って僕は自分の部屋に向かった。電話を終えリビングに戻るとテーブルに沢山の料理が並べられていた。


「これ雪さんが作ってくれたのかい?」

「ええ、優君の口に合えば良いのだけど」

「凄い。どれも美味しそうだ」


 雪さんの手料理はとても美味しかった。




 夕食が終わりソファーで寛いでいると、雪さんから思いがけない提案があった。


「優君って前髪が目に掛かってるけど、わざと伸ばしているの?」

「面倒で切りに行ってないだけなんだ」


 正直に言うのも気が引けたが、ありのままを伝えた。


「もし嫌じゃないなら私に切らせてもらえないかな?」

「いいの?そろそろ行かなければと思ってたから、助かるよ」


 僕は承諾すると、椅子に座り雪さんが持ってきた散髪用のケープを被る。

 仕事道具だけは持って来たんだ……そう呟いた彼女の表情はとても悲しそうだった。


「何か好みの髪型はあるかしら?」

「特にはないよ。あまり派手にならなければ大丈夫なので、雪さんに任せるよ」

「少し短くしても大丈夫?」

「大丈夫だよ」


 確認を終えると、雪さんは早速髪を切り始める。僕達の間に会話はなかったので、目を閉じてリズム良く鳴るハサミの音に耳を傾けていた。




「出来たよ。目を開けて確認してみて。ショートレイヤーで爽やかに見える様にしたの。どうかな?」


 差し出された鏡を見ると、スッキリとした清潔感のある髪型の僕が映っていた。


「雪さん、ありがとう。こういう髪型もあるんだね。凄くいいよ」


 僕が仕上がりに満足していると、鏡越しに安堵の表情を浮かべる雪さんが見えた。

 僕の言葉に笑みを浮かべてくれたものの、段々とその表情が曇っていく。


「こんな事しか出来なくてごめんなさい」

「なぜ謝るんだい?ご飯も作ってくれて、髪まで切ってくれた。凄く嬉しかったよ」


 こういう時に気の利いた言葉の1つも言えない自分が情けない。


「これから毎日作るから、食べたい物とかあったら教えてね」

「ありがとう。特に好き嫌いはないから小春ちゃんの好きな物を作ってあげて欲しい」


 申し訳なく思わないで済む様に、『献立を知らない方が、帰宅する楽しみも増えるから』と付け加えておいた。


「分かったわ。それと優君お昼はどうしてるの?」

「コンビニか食堂で済ませてるよ」

「そうなんだ……。もし嫌じゃなかったら明日からお弁当作ってもいい?」


 嬉しい申し出ではある。だけど雪さんの体調を考えるとあまり負担を増やすのは良くない気がする。

 少し悩んだが、最終的に雪さんの判断に任せる事にした。


「負担にならない?雪さんには出来ればゆっくりしていて欲しいと思うけど」

「そんなに甘やかされたら、体が鈍ってしまうわ。これぐらいは負担にはならないから、迷惑じゃなければやらせて」

「そう?それじゃ作れる時だけで構わないから、お願いします」


 僕の返事を聞いた雪さんに笑顔が戻った。鏡越しのその顔につい見惚れてしまう。


「後片付けしておくので、その間にお風呂で髪を流して来て」


 これ幸いと僕は逃げる様に風呂へ向かった。自分の顔が熱くなっている事を彼女に悟られない様に……。

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