第8話 相談と償い

 翌日、僕はいつもより少し早い電車で学校へ向かった。職員会議の前に校長に会ってアポイントを取り付ける必要があるのだ。


 僕が校長室を訪問すると、彼は少し慌てた様子だった。


 『昼休みに話があるので時間が欲しい』と伝えるとすんなりと承諾してもらえた。


 用事も終わったので、ドアに向けて歩いていると校長の呼び止める声が聞こえたので振り返る。何かを言いたそうにしていたが、との事だったのでそのまま退出した。


 


 午前中の授業が終わり昼休みになると、僕は約束通り校長室へ向かった。

 ノックをすると、中からすぐに反応があった。


「瓜生です」

「どうぞ入ってください」


 室内に入ると、校長からソファーを勧められたので指示に従った。

 

「本日は突然のお願いにも関わらず、お時間をいただきありがとうございます」

「いえいえ構いませんよ。瓜生先生が私にお話というのも珍しいですね。早速お尋ねしますが、何かありましたか?」


 よく見ると校長の顔がいつもより強張こわばっている気がした。

 話す内容は伝えていなかったので、もしかしたら退職の相談とでも思っているのだろうか?

 そんな考えが頭を過った。


 僕は早速小春ちゃんの転校についての話を切り出した。


「実は、知人の子供をこちらの学校に転入させたいと考えておりまして。試験を受けさせていただけないかとご相談に参りました」

「良かった、そんな事でしたか……」


 安堵の溜息を漏らした彼だったが、その後すぐに血相を変えて謝罪し始めた。


「ああ、今のは失言でした。子供の将来を左右するのに、そんな事呼ばわりしてしまい申し訳ございませんでした」


 そう言って校長は頭を下げ様としたので、僕は慌てて止める。だが間に合わなかった……。


「校長、どうか頭を上げてください」


 彼にしては珍しい失言だったと思う。朝も感じたのだが、今日は普段の冷静さを欠いている気がした。

 どうにか頭を上げてもらい、僕は説明を続ける。


 雪さんの個人的な事情を話す訳にもいかないので具体的な事には触れなかった。

 その為、昨日から知人とその娘と一緒に暮らす事になったと簡単な説明になってしまう。

 小春ちゃんの在籍する学校が、この街から通学するには遠いという事実が後押しとなった形だ。


「事情は分かりました。ですが、教師と生徒の立場になるのでしたら……一緒に住んでいる事は大っぴらにしない方がいいでしょう。今から理事長に確認するので、少しだけお待ち下さい」


 そう言って校長は席を立つと、窓際の机に向かって歩き出す。そこに置かれたスマホを手に取ると電話を掛け始めた。


「時田です。理事長、今少しお時間宜しいでしょうか?実は瓜生先生から相談を持ちかけられまして……」


 彼の行動力については教師の間でも話題に上がることがある。僕個人としても、責任感が強く情が深い人だと思っている。


 この人があの時に校長であったならば……僕は今でも自分の思い描いていた教師を続けられたのだろうか?

 

 考えても仕方ない、それこそもう終わってしまった話だな……。


 僕は頭を振ってその考えを追い出した。その間に、電話を終えた校長がこちらに戻って来ていた。


「瓜生先生、理事長の許可が取れました。同居の件についても、きちんと説明しています。もし何かしら不測の事態が起きたとしてもフォローする事をお約束します。それで転入試験については明日以降のお好きな日で構いませんよ。今決められますか?」


 どうやら了承してもらえた様だ。僕はほっと胸を撫で下ろした。


「ありがとうございます。帰宅したら本人に確認しようと思います。少しだけお時間いただいても宜しいでしょうか?」

「勿論ですよ。いつでも試験が受けれる様に準備はしておきます。希望日については明日の朝にでも教えて下さい。もしも明日を希望される様でしたら事前連絡は必要ないので8時半までに登校してくれれば良いとその生徒にお伝え下さい」

「畏まりました。ですが、明日を希望した場合は本日中にご連絡したいと思います。少し遅い時間になりますが、ご連絡させて頂いても?」

「大丈夫ですよ。お待ちしておりますね」


 僕は最後にもう一度お礼を言って、校長室を後にした。

 そのまま、雪さんに連絡する為にそのまま職員トイレに向かう。幸い誰もいなかった。


「優君?どうかしたの?」

「ああ、今大丈夫ですか?早めに報告したい事がありまして……」


 僕は雪さんに転入試験をしてもらえる様になった事と、明日から試験が可能なので帰ったら希望日を確認したい旨を伝える。

 小春ちゃんは少し席を外している様なので、伝えておいてもらう様にお願いした。


「優君、本当にありがとう。迷惑かけてごめんなさい」


 雪さんは震える声で僕にお礼を言った。


 ざわざわと周りの雑音が聞こえてくる。どうやら買い物の最中なのだろう。

 朝に会った時は綺麗にメイクをしていた、きっとこの後大変な事になるだろう。

 泣いてしまったと後悔の言葉を呟きながらメイクを直す彼女の姿を想像して、つい笑みが溢れた。


 買い物の邪魔にならない様、用件を伝え終わると電話を切った。

 職員室に戻っている最中、ポケットが震えたので慌ててトイレに戻る。

 確認してみると、知らない番号からの着信だった。


「はい、瓜生です」

「小春です、突然すいません。今宜しいでしょうか?」


電話をかけてきたのは小春ちゃんだった。


「大丈夫です、雪さんから話を聞きましたか?」

「あ、あの……先にお詫びしておきたい事があって電話しました。実は私その……勉強苦手なんです。せっかく転入試験の段取りをしていただいたのに、無駄になってしまうかもしれません……」


 電話越しでも彼女が気落ちしているのが分かる。そう言えばちゃんと説明していなかった事を思い出し、申し訳ない気持ちになった。

 僕は彼女の通う予定の高校について説明を始める。


「小春ちゃん、君が通う予定の高校は進学クラスからスポーツクラス・就職クラスまでと幅広くあるんだ。だから偏差値に幅もあるので、それぞれの学力にあったクラス分けがされる。だから心配しなくて大丈夫だ」


 この学校は、来る者は拒まずをモットーにしている為、クラスによって求められる学力が大きく異なる。そんな環境下にありながら、他クラスとの諍いも殆どないのだ。

 この少し異常とも取れる環境を維持できるのには理由がある。問題を起こした生徒や職員に対して厳しい処罰があるのだ。


 同居の件があったので、本音で言えば正直難しいと思っていたのだ。了承が取れたのは嬉しい誤算だった。


 施設が充実してる事もあり、授業料や他に必要な費用は周りの私立と比べても少々お高いのが難点だ。

 その代わり、小春ちゃんには楽しい学校生活を送ってもらえる事だろう。


「その話は本当ですか?それなら良かった……」


 小春ちゃんの声から安堵している様子が伝わってくる。

 不安にさせてしまった事を申し訳なく思いながら、電話を切った。


 時間を見れば、もう昼休みも終わる頃。こうして昼休みの間ずっと職員室に居なかったのは久しぶりだ。

 もしかしたら足を運んでくれたかもしれない数人の生徒の顔が頭に浮かんだ。 


 僕は足早に職員室に戻り、午後からの授業の備えるのだった……。




―Side 時田校長―


「理事長、改めてお時間宜しいでしょうか?先程はありがとうございました。ええ……私も相談があると言われ、朝から気が気ではありませんでしたよ。はい……はい……そうですね。勿論分かっております。彼はこの学園になくてはならない存在です。周りの先生方の士気にも関わりますからね……」


 理事長との電話を終えると、私は大きく溜息を吐いた。


「彼も本当に人が悪い。思い詰めた顔で相談と言うから何かと思えば……。全く、私の寿命が10年は縮まりましたよ」


 安堵のせいか独り言が漏れ出た。相談内容さえ知っていれば昼まで待たずとも良かった。詳細を聞かなかった私にも非はあるが、彼が出て行った扉を睨みつける。


 退と言われるのではないかと……気が気ではなかった。

 卒業生から話を聞いたどこかの学校からの引き抜きではないかと疑っていたのだ。


 とりあえず彼の知り合いの子供がこの学校に転入してくるならこれからの3年間は安泰だろう。

 結果として、今回の件で彼に対して恩を売る事が出来たのも幸いだった。

 また昔の様に、彼が熱意を取り戻してくれるといいのだが……。


 昔と言えば、私はもう一つの懸念材料を思い出した。

 去年、卒業生から教育実習の申し込みがあった。最初は受け入れを断るつもりでいたのだがギリギリで考え直し承諾した。


 この教育実習が、瓜生先生とそして彼女にとって良い機会となって欲しいと切に願う。

 それが当時、何の力にもなれなかったに対するせめてもの償いになれば……そんな浅ましい考えが頭を過った。

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