第7話 幼馴染―小春視点―
私は初めてきた街の風景をぼんやりと眺める。駅前は沢山の人で溢れかえっていた。
辺りを見渡すと、見知らぬ制服に身を包んだ高校生のグループが楽しそうに会話している。
少し前の私にもあった日常。それが遠くなってしまったという事実に胸がチクリと痛んだ。
スマホで時間を確認すると、予定していた合流時間は過ぎていた。
にも関わらず、お母さんは一向に姿を見せる気配はない。
チャットも何度か入れているのに、既読は付かないまま。何あったのではないかと不安は増すばかりだ。
何もしないでいると悪い事しか思い浮かばないので、私は求人サイトを閲覧する事にした。上手くいけばこの近くに住めるはずだ。何か時給の良いバイトがあればいいのだけど……。
求人サイトを見ているうちに、気づけば辺りが暗くなってきた。チャットを確認してみたけど、相変わらず既読は付いていなかった。
試しに電話をかけてみるが、虚しくコール音が響くだけで繋がらない。
スマホの充電が少なくなってきたので、電話切り画面をブラックアウトさせた。
変な人に声をかけられない様に、スマホを見るフリをしながら辺りの様子を窺う。
そんな私の視界が少し暗くなったと同時に頭上から声がかけられた。
「君……まだ21時前だけど、そろそろ帰宅した方がいいんじゃないか?」
警察が声をかけてきたのかと思ったけどそうではなかった。だけどそれはそれで問題がある。ナンパ目的だろうから、ある意味警察よりもタチが悪いのだ。
無視をするかノーと意思表示するかを悩み後者を選んだ。
「人と待ち合わせをしているのでお構いなく」
私はここを離れる訳にはいかない。だから少しでも男を怒らせない方法を選択した。
「こう見えても一応教師なんだ。誰かをずっと待っている様だけど、待ち人は一体いつになったら来るんだ?」
早くどこかに行って欲しいのに、この男は悪びれる事もなく私をずっと見ていたと言い出した。
教師というのも多分嘘。ナンパの常套手段なのだと私の勘が告げていた。
恐怖を覚えながらも、私は強気な態度を崩す事なく卑劣なナンパ野郎に立ち向かった。
「私の事をずっと見ていたんですか……。教師?不審者の間違いでは?」
私の顔を見た男が急に名前を聞いてきた。見ず知らずの男に名前を教える訳にはいかない。私は毅然とした態度でノーと意思表示をした。それでも男は諦めてくれない。
「いいから君の名前を教えてくれ!!」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。男に肩を掴まれた事に遅れて気づいた私は大声で叫んだ。
「は、離してください。警察呼びますよ」
警察という言葉に驚いたのだろう。男は慌てて私から距離を取る。
「すまない、君が僕の知っている人にあまりにも似ていたからつい我を忘れてしまった」
そんな言い訳を誰が信じると言うのだろうか。私は迷わず警察を呼ぶ為にスマホの操作を始めた。
「待ってくれ、本当に君が僕の知っている人に瓜二つだったんだ。その人は
「え、お母さんを知っているの?」
しまった。お母さんの名前が出た事に驚いて、つい自分達の関係を漏らしてしまった。
「私の娘に何か用ですか」
突然、男の後ろからお母さんの声が聞こえた。ああ……これでもう大丈夫だ。私は安堵の気持ちで一杯だった。
ここから2人で問い詰めて逃げるなら良し。しつこい様なら今度こそ警察を呼ぼう……だけどそんな私の考えは続くお母さんの言葉で脆くも崩れ去った。
「えっ……嘘。もしかして優君なの!?」
どうやらこの男は本当にお母さんの知り合いだったみたい。
何となく2人が気まずそうにしているのが気になったけど、久しぶりの再会を邪魔してはいけないと私は静観する事にした。
「すいません。少し昔の事を思い出していました。雪さんは変わらず元気そうですね」
だけどこの男はあろうことかお母さんに元気そうですねと言った。
お母さんは過労と心の病気でもうボロボロなのに。その事を必死に悟られまいとするお母さんの姿を見た瞬間、込み上げる怒りを抑える事が出来なかった。
「何なんですかあなた!?病気の人に対して元気って……お母さんの顔を見て『小春、黙りなさい』」
男に文句を言おうとしたのに、遮られてしまった。お母さん、どうしてそんな男を庇おうとするの……?
その後にあったやり取りで、私が働くと言っても反対され、学校に通いたくないと言ったら悲しそうな顔をされた。
これでも一杯考えたんだよ?私自身もうどうして良いか分からなくなってしまった。
そんな私を置き去りにしたまま、話はどんどん進んでいく。気づけば男の家に行く事になっていた。
「家に私達を連れ込んで何をするつもりなの?この変態」
無意味と分かっていても罵倒する事だけが、私に出来る精一杯の抵抗だった。
男の家に向かう道中、古びたお弁当屋さんに寄り道した。私は呼ばれることもなく店の前に置き去りにされた。散々悪口を言ったのだ、私に食事を与えようとは思わなくて当然だ。
注文を終えた2人がお店から出てきた。
「待たせてしまったね、さあ行こうか」
男はそう言って移動し始めた。お弁当屋さんに入ったのに、どうして手ぶらなのか少しだけ気になった。
暫く歩くと、マンションの前で男が立ち止まった。どうやらここが家らしい。片付けをすると言って玄関の前で少しだけ待たされた。
男の一人暮らしというものをよく知らないけど、部屋は綺麗に片付いていた。
冷蔵庫から出した水を私達に振る舞い、テレビをつけると男は外へ出て行った。
これでようやくお母さんにあの男との関係を聞く事ができる。私ははやる気持ちを抑え、質問を始める。
「ねえお母さん。あの男は一体誰なの?お母さんの知り合いみたいだけど……どういう関係なの?」
「小春には話した事はなかったわね。彼は……優君は私の幼馴染なの」
お母さんに幼馴染が居たのは意外だった。それにしては2人の態度がどこかよそよそしかった気がする。
「幼馴染の割には2人の雰囲気がよそよそしく感じたけど……それって私の考え過ぎかな?」
そういうとお母さんは困った様に微笑んだ。
「勘違いしないでほしいから最初に言っておくわね。悪いのは私の方。彼が怒っても仕方ない事をしたの……」
そう前置きして2人が出会ってからの……私の知らない15年間の話が始まった。
話を聞き終えた私は唖然として言葉を発する事ができなかった。
私は生まれが特殊だ。私には2人のお母さんとお父さんがいる。
本当の両親と産みの親であるお母さん。本当のお母さんは既に他界していて産みの親は雪お母さんだ。お母さん達2人の関係は親戚同士だったと聞いている。
私の本当のお母さんは体が弱く、子供を産むだけの体力はないと医者に宣告されていた。
幸いにも卵子に問題はなかったらしく、両親は自分達の精子と卵子を体外受精させ、誰かに代理出産してもらう計画を立てた。
それに協力してくれたのが、雪お母さんだった。
当時、国内では法律の整備も十分ではなく何かと弊害も多いことから、出産は国外で行われたと聞いている。
私は産まれたら、本当の両親に引き取られる予定だった。
だけど、予想すらしなかった不幸な出来事が起こってしまった。
私の本当の両親が乗った車が事故に巻き込まれ2人とも亡くなってしまったのだ。
そんな状況にも関わらず、自分とは赤の他人である私を産んでくれたのだ。
そんなお母さんは常々私に言っている事がある。
『私はあなたにたくさん幸せをもらっているわ。これ以上ないぐらいにね。だから、あなたは私以上にもっとたくさんの幸せを掴んでね』
何度となく繰り返し聞いた言葉。それを言う時のお母さんが少しだけ寂しそうにしていたのがずっと気になっていた。
その理由が何なのか……私はその意味を理解してしまった。
お母さんがあの男との昔話をする時の顔……あんな幸せそうな表情を私は知らない。
その事が気になった私はお母さんを問い詰めたけど……自分達が疎遠になった事に私は関係ないと言ってくれた。
でもそれは嘘だと分かっている。私という存在がお母さんの幸せを壊してしまったのだ。
その事実に耐えきれなくて……私は嗚咽と共に涙が溢れた。
「小春のせいじゃないわ。私はあなたと過ごした16年間ずっと幸せだったのだから……」
あの男が帰ってくるまでの間、お母さんはそれ以上何も言わずに頭を撫でてくれた。
これからは我儘を言ってお母さんを困らせない様にしよう。
それぐらいしか今の私に出来ることはないのだから……そう固く心に誓った。
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