第6話 シャツはシャツでも……
2人が落ち着きを取りましたので、僕は椅子に戻った。これからの事をしっかり話し合う必要がある。
「僕と同居という形になるけど、2人にはここに住んでもらおうと思ってる。嫌かな?」
「嫌なんて……そんな事ない。居候させてもらえるだけでも私達にはありがたい話だよ」
雪さんは良くても、高校生の小春ちゃんは知らない男との同居に抵抗があるかもしれない。
小春ちゃんの様子を窺うと、彼女は小さく頷いてくれた。どうやら受け入れてくれたと思って良さそうだ。
「申し訳ないけど、今は空き部屋が1つしかないんだ。今日だけは2人一緒に寝てもらうけど、明日には荷物置きにしている部屋を片付ける。それまで少しだけ我慢して欲しい」
「優君、私達は1部屋で大丈夫。わざわざ片付ける必要なんてないから……」
雪さんの言葉に小春ちゃんも頷いた。再会したばかりだから遠慮するなと言っても難しいだろう。僕は2人を無視して話を進める事にした。
「荷物はほとんど無いから気にしないでくれ。小春ちゃんも高校生だし自分の部屋があった方がいいと思う。持ってきた荷物は他にある?どこかに預けていたりする?」
「衣服を少しだけ持ってきただけなので、これで全部。家具や家電は置く所がないから全て売ったの」
申し訳なさそうにする雪さんだが、この家には最低限の物はあるので気にする必要はない。
それに足りない物は改めて買いに行けばいいだけの話だ。
「荷物を取りに行く必要がないなら、今日はこのままゆっくり休むといいよ。身の回りで必要な物もあるだろうから明日は2人で買い物に行っておいで」
そう言って僕は財布の中にあるお札を雪さんに差し出したのだが、彼女は受け取ろうとしない。
「で、でも……『雪さん、僕が勝手にしてる事だから遠慮する必要なんてないよ』」
この後も大事な話が控えているので、この問答で時間を取られる訳にはいかないのだ。
僕は彼女の手を取り、無理矢理お札を握らせた。
やり方としては褒められる物ではなかったけど、これぐらい強引な方がいいだろう。
「次は雪さんの仕事について。すぐに働こうと思っているかもしれないけど、まずはしっかり体を休めて欲しい」
「でも……」
「気が引けるのであれば、仕事が決まるまでの間でいいから家の事をしてもらえると助かる。もちろん対価もきちんと支払うからさ」
「家事はやらせて下さい。だけど……お金は要りません」
「タダ働きなんて僕が納得出来ないよ」
家事についてはお互い一歩も譲ろうとしなかった。その結果、間を取るという事で決着をつけた。家事は生活費や学費の対価とし、その代わり2人に必要な物があれば都度申し出る事を条件とした。
「それじゃ次に小春ちゃん。君にはこれからも学校に通ってもらうよ。転校してもいいみたいなのでここから通いやすい所を探す。少し時間をもらうかもしれないけど、出来る限り条件の良い所を探すつもりだから」
「あ、ありがとうございます」
僕の予想に反し、小春ちゃんから反対意見は出なかった。
僕なんかに学費を出してもらいたくないと言われると思っていたので嬉しい誤算だった。
「とりあえずこんな感じかな。他はおいおい考えていこう。すっかり遅くなってしまったから今日の話はこれで一旦終わりにしよう。すぐに風呂を準備するから2人とも先に済ませてしまって」
2人を空き部屋に案内し、風呂の準備をする為に浴室へと向かう。
幸いにも未使用のボディタオルとバスタオルがあったので、洗面台の横にある棚に分かりやすい様に置いておいた。
2人が居る部屋の扉をノックし廊下から声をかける。
「とりあえず湯を張っているので10分ぐらいで入れるよ。洗面台の横の棚にボディタオルとバスタオルを置いてるから使ってくれ。僕は部屋の片付けをしているから終わったら声をかけて」
そう言って僕は荷物置きと化した部屋へ向かう。
読まなくなった本、昔やっていた筋トレの道具ぐらいしかないので、これなら片付けに時間もかからないだろう。
黙々と作業していると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
「優君、お風呂お先にいただきました」
風呂上がりの雪さんは先程と同じ格好をしていた。それを見て、着替えがない可能性を考えた。
「雪さん、パジャマは持ってきてないの?」
「うん……寝る時は服を脱いでお布団を汚さない様にするから」
下着姿のまま眠る2人を想像してしまった僕を誰が責められるだろうか。
下着姿で寝るなら僕の服でもないよりはマシだろうか。とりあえず思いついた事を提案してみる。
「雪さん達が良ければシャツを貸すけど?」
「いいの?ありがとう優君。あの……良ければ小春の分も貸してもらえるかな?」
シャツと言っても、僕はティーシャツを貸すつもりだった。だけど雪さんは何故かワイシャツを希望してきた。
片付け作業を中断し部屋にシャツを取りに向かう。雪さんに言われた通り2人に渡したのだが、困惑した小春ちゃんが乾いた笑いを浮かべていた。
これ絶対に僕の趣味だと思われたよな。まぁ否定はしないけど……。
「もう少しだけ片付けをしてから風呂にするよ。雪さん達は先に寝てて」
少し気まずくなった僕は、逃げる様に片付け作業に戻った。
思っていたよりも作業は順調に進み、今日だけで全ての荷物を移す事が出来た。
とは言っても移しただけなので、とりあえず僕の部屋は大変な事になっている。
風呂に入る前に水でも飲もうとリビングに立ち寄ると、ソファーの上に体操座りをしているワイシャツ姿の雪さんが居た。
時計を見れば既に0時を過ぎている。疲れているだろうに僕が出てくるのをずっと待っていたのだろう。
「雪さんまだ寝てなかったのかい?」
「優君が頑張ってくれているのに、自分だけ寝る訳にはいかないよ」
目を擦りながら眠そうな声で彼女は言った。もしかしたら何か話したい事があるのかもしれないと思いソファーに向かう途中で……足を止めた。
ワイシャツから薄らと黒いものが透けている。よく見れば……座り方のせいで足の付け根の部分からも同じ色の布地がこちらはハッキリと見て取れた。
僕は慌てて目を逸らした。流石に無防備過ぎるだろ……。
「ごめん、待たせちゃったね。片付けは終わったから、明日掃除したらすぐにでも使えるよ」
「優君、本当に甘えてしまっていいの?」
「さっきも言ったけど、気にしなくていいんだ。夜更かしはお肌の敵なんだろ?そろそろ寝よう」
僕は努めて明るく振る舞った。彼女の心が少しでも軽くなる事を願って……。
「ありがとう。それじゃ今日は寝かせてもらおうかな。おやすみなさい」
「ああ……おやすみなさい」
湯船に浸かりながら、今日の事を振り返る。本当に色々あった1日だったな。
雪さんと再会できた喜び、彼女が僕ではない誰かを選んだという現実。本音で言えば複雑な気持ちだ。だけど、窮地に立つ彼女に手を差し伸べる事が出来て良かった。
贅沢は難しいけど、せめて不自由はさせない様にしていこうと思った。
風呂から上がり、水を飲もうとリビングへ向かうと電気が点いていた。
雪さん、まだ寝ていないのか……と思いながらリビングに入ると、小春ちゃんが先程の雪さんと同じ様にソファーに座っていた。
音で気づいたのだろう、彼女はゆっくりと顔を上げる。泣き腫らした目をしていたので、思わず息を飲んだ。
「こんな遅い時間にどうしたんだい?」
「ねえ、なんでさっきお母さんの話を最後まで聞いてくれなかったの?」
質問の意味は分かるが、その事を彼女が聞いてきた真意が分からない。
「それは僕と雪さんの話であって、君が首を突っ込む事ではないよ」
自分でも分かる程の低い声。それを聞いた小春ちゃんが負けじと僕を睨んできた。
「そんな事は分かって言ってるの!!お願いだから……お母さんの話をちゃんと聞いてあげてよ」
先程の強気な態度が一転、そう言って今度は啜り泣きを始める。
かなり情緒が不安定になっている様だ。本当なら大人として彼女の願いを叶えるべきなのだろう。
頭では理解していても、泣いている小春ちゃんを慰める事すら出来ず僕は立ち尽くしていた。
「ママ……ごめんなさい。私のせいで……ママ、ごめんなさい……ママ、ごめんなさい……」
うわ言のように何度も謝罪の言葉を呟く彼女。その姿に胸が痛むのに、踏み込む勇気が出ない僕は本当に臆病な人間だ。
こんな僕が2人のこれからを支える事なんて本当に出来るのだろうか?一抹の不安が頭を過ぎった……。
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