第5話 臆病

 彼女の口から語られたここ最近の出来事は、僕の予想を遥かに凌駕していた。


 美容室を営んでいた事、無理が祟り病気を患ってしまった事、店を任せていた従業員が子供の病院代の為にお金を持ち逃げした事、家賃が払えず家を追い出された事……。


 懸念していた借金はないとの事だったので、その点については幸いだったと言える。


 持ち逃げした理由を聞いた時、僕は真っ先に従業員の作り話だと疑った。

 僕の表情から何を考えているかを察した雪さんはスマホの画面に写真を表示したままテーブルの上に置いた。


「この子の名前は春菜ちゃん。ほら見て……手術も無事に成功したのよ。盗んだ人はお金は絶対に返すって言ってくれたけど、術後にも色々と必要みたい。だから返してくれると言っても直ぐというのは難しいと思う」


 スマホの画面には病院らしきベッドで笑みを浮かべる女の子が写っていた。

 それを見つめる雪さんも小春ちゃんも穏やかな笑みを浮かべていた。

 自分達が大変な目に遭っていると言うのにこの母娘おやこは……。お人好しにも程がある。僕は小さく溜息を吐いた。


「事情は大体分かった。では、あらためて質問するけど2人はこれからどうするつもり?」

「優君。今ね、親戚に頭を下げて回っているの。さっきは断られちゃったけど、まだアテはあるから。多分その中の誰かが助けてくれるはず……」


 雪さんの無責任な言動に落胆してしまった。今日の食事にすら不安を抱えていて、そんな楽観的な考え方でどうするのだろう。


 もう彼女は親なのだ。しっかりしろと説教の1つでもしようとして『心の病気』だった事を思い出した。


 きっともう限界なのだろう。そんな彼女に必要なのは現実と向き合ってもらう事、そしてしっかりとした逃げ道を作ってあげる事だと思った。

 だから僕は心を鬼にして、まずは彼女の心を折る事にした。


「厳しい事を言うけど、きっと誰も助けてくれないよ……」


 小春ちゃんが僕を睨んできたが、それに気づかないフリをして続ける。


「仕事も出来ない、帰る家もない。僕がお金を貸す事は出来る。だけどそれでは一時凌ぎにしかならない」

「…………」

「雪さんは親なんですよ。あなたがしっかりしないで誰が小春ちゃんの面倒を見るんだい?」


 雪さんは何も言い返さなかった。僕の知ってる彼女はこんな風に弱い姿を見せる人ではなかった。


「もういい!!お母さん行こう……。食事をご馳走してくれた事は感謝します。受けたご恩はいつか必ず返します。だからもう……お母さんに酷い事を言わないで!!」


 小春ちゃんは勢いよく立ち上がると、雪さんの腕を引っ張った。

 このまま帰す訳にはいかない。僕は慌てて小春ちゃんを呼び止める。


「小春ちゃん落ち着いてくれ。君も雪さんと同じで誰かが助けてくれると本当にそう思っているのか?思ってないからこそと言ったんじゃないのか?」

「…………」


 小春ちゃんは苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。僕の言葉が図星だったのだろう。


「働くのは大人になっていくらでも出来る。だから急いで大人になる必要なんてないんだよ」

「そんな綺麗事を言わないで。じゃあ、あなたが何とかしてくれるの?出来もしない癖に勝手な事を言わないでよ」


 そう言った彼女の瞳から涙が溢れた。彼女もとうの昔に限界を迎えていたのだろう。

 そんな精神状態にありながらも僕を睨みつけてくる強さに、記憶の中の雪さんが重なった。


「小春ちゃん、繰り返しになるけど学校には……せめて高校までは卒業すべきだ」

「だからお金がないの。何回も言わせないで!!それにもし通えたとしても、貧乏って陰口を叩く人がいる所に通うなんて絶対に嫌よ」

「それなら好都合だ。僕はさっきから学校に通う様に言ってるけど、転校はして欲しいとお願いするつもりだったのだから」

「え……?」


 小春ちゃんは言われた事が理解できないとばかりに瞬きを繰り返した。


「君の学費は僕が出すから心配しないで欲しい。それと雪さん、もう誰かに助けを求めなくていい。生活の見通しが立つまでここに居てくれて構わないから。贅沢はさせてあげられないけど、ここなら3食昼寝付きだよ」


 そう言って僕は立ち上がると2人の後ろに回った。


「今までよく頑張ったね」


 そう言って僕は2人の頭をゆっくりと撫でる。嫌がられるかと思ったけど、為されるがままの彼女達からは嗚咽の声が漏れるだけだった。


 どれくらいそうしていただろうか?雪さんがゆっくり振り返って僕を見た。

 その顔を見て僕はもう大丈夫だと判断し、2人の頭から手を離した。


「ゆ、優君……。あ、あのね。あの……いきなり居なくなってごめんなさい。実は私『雪さん、いいから……』」


 僕の前から姿を消した理由を話そうとしている雪さんに待ったをかけた。

 高校生の娘がいる時点で流石に何があったかは理解できる。


 その事実を雪さんの口から聞けるほど僕は強くない。何も成長していない、昔と変わらず臆病なままなのだ。


「もう終わった事だよ……」


 僕は俯いたまま、声を絞り出して言った。その言葉を聞いた雪さんは俯き、それ以上続ける事はなかった……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る