3 キャラクター同士の関係性 ~バットマンとジョーカーに学ぶ~

 バットマンことブルース・ウェイン。その宿敵ジョーカー。

 老いた二人は、とある刑務所の庭で肩を並べている。草むしりをしているのだ。

 ブルースは鍛え上げられた身体を丸めるようにして。ジョーカーはやせ細った身体にサイズ違いの作業着を纏って。

 ジョーカーは絶えず何かをしゃべりかける。

 ――なあ、バッツ。やつら、いつまで俺たちにこんな作業をさせ続けるつもりだろうな? 知らないうちに化石にでもなっちまいそうだ。

 ブルースはそれに答えず、黙々と手を動かしている。

 ――なあ、バッツ。あんたは化石って言うより銅像だな。スーツでも着れば、そこらへんの役所にでも飾られてそうな貫禄だ。ハハハ、それだとブルース・ウェインじゃなくてクラーク・ケントだってか。

 ジョーカーの笑い声は、風によって霧散していく。

 それを聞きつけたのか、怪訝な顔の看守が遠くから近づいてくるのが見える。

 ――おおっと。やっこさん、俺たちが一緒にいるのを見つけたみたいだぜ。さすがにこれは大目玉かな? なんせ、あんたに近付きすぎて注意されるのはもうこれで三回目だからな。あんたと偶然ここで再会してからの三日で三回、つまりは一日一回注意されてる計算…なんてわけあるか。今日一日で三回だ。ハハハハハハ。ハア、さすがに懲罰房か。どうしようかねぇ、バッツ。


 バットマンとジョーカーを自分が描くとしたら、どんなふうに物語を始めるだろうか。

 冒頭のワンシーンは、そんな思い付きから生まれたものだ。

 彼ら二人の関係を簡潔にまとめるのは難しい。一見、正義と悪という正反対の存在に見えながらも、実は表裏一体である。ジョーカーが「狂気的な危険人物」だとすれば、バットマンは「狂気的な人物を狩る狂気的な危険人物」と言えるだろう。その意味で、彼らは単なる敵対を超えた関係性を有しているのだ。

 彼らの背景がここまで複雑化したのには、コミックというものの文化的な違いが影響していると思う。日本において、基本的にコミック作品は作者のものだ。一つの作品を複数の漫画家が描くなんてことは、何らかのイベントや、二次創作的な試みを除いてほとんど見られない。

 しかし、アメコミは違う。キャラクターは会社のものであり、様々なアーティストがそこへ携わる。そのため、一時は収拾がつかなくなり、マルチバースというものを構築せざるをえなかった(と個人的には考えている)。

 バットマンとジョーカーの関係を大きく前進させたのは、アラン・ムーアによる「バットマン:キリングジョーク」であろう。悪を打ち破るために正義が目覚める、という既定路線を覆し、正義が存在するがゆえに悪が生まれるジレンマが描かれた。解釈の分かれるラストシーンは語り草だ。

 もう一つ忘れてはならないのは「バットマン:アーカム・アサイラム」だ。悪役たちの狂気に触れ、バットマンもまた自らの狂気と対峙することになる。超絶前衛的なアートも相まって、「なんかすごいもんを見た……」という気分にさせられる。

「キリングジョーク」にも「アーカム・アサイラム」にも、バットマンとジョーカーが対話するシーンが存在する。いずれも不思議な空気感に包まれているので、ぜひ手に取ってみてほしい。彼らはまごうことなき敵対関係にある。しかし同時に、誰よりも相手のことを理解している。だから、爽やかな友人関係らしきものが見えた気がしないでもない――そんな錯覚に陥るのだ。

 もちろん、以上は個人的見解である。一億人が読めば一億通りの解釈があり、それこそが物語やキャラクター(引いては「推し活」)の醍醐味でもあろう。

 ある一点の基準で割り切れない、屈折した関係性。善と悪の交絡。日常ではありふれているものだが、ヒーローとヴィランでそれを描いているが故に、妙に生々しく、魅力的に映るのかもしれない。


 さて、ここから小説の話になる。

 バットマンとジョーカーを自分が描くとしたら……という発想そのものがどこから来たのかはあまり覚えていない。自分は基本的に、出来のいい創作物に触れるとすぐ「自分がそれを小説化したら」と考えてしまう。自覚はあまりないが、どうやらリライトとかリブートが好きなようだ(そのくせ二次創作には手を出したことがない)。

 たぶん、そのときも同じような感じだったのだろう。映画「バットマンライジング」を観たときか、あるいは「ジョーカー」を観たときか、それとも「ザ・バットマン」を観たときか、はたまたDCユニバースのアメコミを読んだときか。そのどれかだと思う。

 刑務所にいる老いた二人を思い描いたとき、自分はそのイメージをいたく気に入った。ヒーローまたはヴィランの第一線を退いた二人にとって、敵対する意味は薄れている。だからこそ、あの不思議で歪な友人関係が表面化してくるのではないか――そんなふうに思ったのだ。

 それに、饒舌な文体をあまり好まない自分にとっても、ジョーカー的口調は魅力的だった。あれで一人称小説を書けるだろうか? 意外にも、語り口としてはしっくりくる気がする――。そんなことを考えた。

 だからと言って、すぐに小説に着手したわけではない。むしろ、「いつか使えるかも」くらいの感覚で、長いこと寝かせておいた。

 このアイディアが日の目を見たのは、拙著「夏と針金」を書き始めたときだ。この物語にはSide-AとSide-Bという二面があり、それらを交互に描いていく(また別の機会に詳しく書くが、この手法は村上春樹氏の物真似だ)。二つの物語は絡み合うようで絡み合わず、奇妙に響き合っていく。

 Side-Aは特に深く考えずに書いた。自分が思う懐かしい夏の風景と、ネットで流行っていた「魔女集会へようこそ」の雰囲気を混ぜ込んだ物語だ。

 そして、Side-Bをどうしようかと思案したときに、眠っていたはずのアイディアが突然目を覚まして浮上してきたのである。しかも、いつの間に醸成されたのか、それには続きがくっついていた。


 やがて、ブルースは出所していく。彼の自警活動は紛れもなく違法だったが、一方で多くの犯罪を抑制してきたのは事実だ。そうした事情が考慮されたのだろう。

 ジョーカーは一人になった。どうしようもない退屈に身をゆだねながら、毎日草取りをする。

 あるとき、ブルースの訃報が届く。何者かに殺されたのだ。バットマンがその昔、刑務所にぶち込んだ連中の仕業だという噂が流れたが、真偽は分からない。

 ジョーカーは、草をむしる。そうしながら、フェンスの向こう側を凝視する。

 口が動く。

 ――なあ、バッツ。

 風が吹き付け、積み上げられた草がいくらか舞う。

 それらが地に落ちるころ、ジョーカーの姿はすでにない。

 フェンスを越えたのだ。友人の復讐を果たすために。


 正直、自分でもジョーカーらしくないなと思う。あまりにもまともすぎる。

 そのことが逆に、「バットマンとジョーカーではなく、自分の小説として書けそうだ」という思いを抱かせた。

 奇妙で一方的な友人関係という点はそのままに、バットマンとジョーカーを、服役している元警察官と小悪党に置き換えた。

「なあ、バッツ」という呼び掛けの語感は大事にしたかったので、キャラクターの愛称を「ミッツ」にする。

 ――なあ、ミッツ。

「ミッツ」にたどり着くまでに、いろいろな音に「ッツ」を当てはめてみる、という試行錯誤を繰り返した。カッツ、キッツ、クッツ、ケッツ……。そんなふうに唱えるのだ。周りからは、さぞ不思議な行動に見えたことだろう。

 かくして、「夏と針金」のSide-Bはスタートした。雰囲気重視の書き方だったが、ストーリー展開にもひと捻り加えてある(ミッツが死んだ理由のところだ)。そのため、語り手が最後に取る行動も「復讐」とは違ったものになっている。

 最初は、死の原因となった人間に報復するシンプルな復讐譚にしようと思っていた。その方が、カタルシスがあると思ったのだ。

 しかし、途中で気付いてしまった。

 ――こいつは、人を殺さないな。

 ジョーカーから生まれた主人公であったが、プロットをこねくり回しているうちに、ホンモノとはかけ離れたキャラクターになっていた。彼は、言い訳がましく、厚顔無恥で、あまり頭がよくない。しかし、大事なことに気付きかけている。

 そんな奴が、復讐のために暴力を是とするだろうか。否、である。ジョーカーであれば嬉々として拷問器具を取り出しそうなものだが。

 最終的には、自分の創り出したキャラクターに引きずられる形で、物語の結末が定まっていった。小説としては、この上なく理想的な幕の引き方だと思う。

 正直、今読み返すと、「きゃ、はずかし」なんて思う箇所もいくつかある。饒舌な文体に慣れていないせいで、語り手の口調にむらができている。それに、途中かなり感情的になっている場面があり(作者が、ではなく語り手が、である)、勢いだけで空回りしているのが手に取るようにわかる。

 そんなふうに、決して出来のいい作品というわけではないのだが、刑務所にいる二人の不思議な関係性や空気感はまあ及第点というところまでたどり着けたかな、と思う。

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