第2話 死神と名前

 「うぅーん……朝か……」

 

 自然と目が覚めたのはきっと、いつもと寝ている場所が違うからだろう。

 昨夜、死神を家に泊めたのはいいものの、死神をどこで寝かせるか、という問題が発生した。リクの家にある寝具はベッドのみ。布団は実家から持ってきていない。

 リクのベッドはシングルサイズだから二人で寝るには少々狭さを感じる。他に寝れそうなところというとリビングにあるソファーだ。このソファーは三人掛け用で身体をフルに伸ばすには少し小さいが寝れないこともない。今ある選択肢はこの二択だ。

 しかし、当然、死神はお客様なんだからソファーで寝かせるわけにもいかない。そうなると必然的にリクがソファー、死神がベッドということになり、一晩ソファーで過ごすことになった。

 さすがにソファーで寝ると腰が痛くなる。唯一の救いは案外よく眠れたことだろうか。

 まだ、覚めきらない身体を起こして、時計を見たところでいつもより少し早い時間に起きてしまったことに気づいた。

 二度寝も考えたが、さすがにソファーで二度寝は腰が死ぬので活動準備を開始する。 きっとまだ寝ているであろう死神を起こさないように、そっと寝室へ入り、着替えを取る。

 チラッと見えた死神の可愛い寝顔に少しドキッとしてしまったのはここだけの秘密だ。 


 着替えを取った後、音を立てないよう静かに洗面所へ向かう。

 そこで、歯を磨き、顔を洗い、髪を整えたらキッチンへ移動し、朝食の準備を行う。

 冷蔵庫の在庫を確認すると、ちょうど卵が二個残っていた。


「あー今日、卵買いに行かないとな」


 今からこの二個の卵を目玉焼きにするので買い足しおく必要がある。

 さすがに目玉焼きだけだとお皿が味気ないので、残っているウィンナーとレタス、ミニトマトを添えておくことにした。

 ここで迷うのがパンかご飯か。別にご飯でもパンでも食べられる献立であるが故に発生する悩みである。

 リク的にはパンでサンドして食べたいところ。でも死神はご飯のおかずとして食べたい派かもしれない。


「これは彼女に決めてもらおう」


 とりあえずリクは自分の分のパンを焼き始める。

 

 ちょうど、リクのパンが焼き終えたところで、寝室の方からガサゴソと音がしてガチャと扉が開いた。


「やぁ、おはよう。昨夜はよく眠れたか?」

「お、おはよう……。お陰様でよく眠れたわ」


 昨日の今日でまだ少し接し方がぎこちないのは仕方ない。少しずつ慣れていってくれたらそれでいい。


「朝食作ったから、身支度済ませといで」

「あ、ありがと」

「あ、それで、目玉焼きとウィンナー焼いたんだけどパンとご飯どっちがいい?」

「……ご飯で」

「はいよ」


 洗面所の場所は昨日のうちに教えていたからスムーズに向かっていく。その背中を見送り、リクは茶碗にご飯をよそう。

 ついでに時間があったので味噌汁を作っておいた。


 食卓に並べてみて気付いたが、ここまでバランスの取れた朝食は久しぶりかもしれない。

 大体リクは手軽に済ませるので、あまり、一人の時の朝食で主菜が並ぶことは少ない。食パンだけの時もあるし、ご飯と味噌汁だけということもある。だから、それに比べれば今日の朝食は充実し過ぎている。


「わ、美味しそう」


 寝起きでポケーとしてた顔をスッキリさせた死神が帰ってきた。

 食卓を見て、少し遠慮がちに呟く。まだ結構リクに気を遣っているようだ。


「ありがとう。まぁ、突っ立てないで座りなよ。そんでこれからどうするか会議しよう」


 未だに座ろうとしない死神にリクがそう促すと、ちょこんという擬音が似合うように座った。

 お互いにいただきますを言って、朝食を食べ始める。


「あ、そうだ。目玉焼きには好きな調味料かけて」


 そう言って、テーブルの脇に置いていた調味料のラックを取ってテーブルの真ん中ら辺へと移動する。

 それを見て、死神は「ありがと」と言い、醤油に手を伸ばした。


「キミは醤油派なんだ」

「え、あなたは違うの?」

「俺は塩コショウ派だよ」

「そ、そうなんだ」


 こうちょっとした会話から打ち解けていかないとだめかなと思い、他愛もない会話を朝食を食べながらする。すると、朝食を食べ終えることにはすっかり表情の緊張もなくなり、柔らかい笑みを浮かべてくれるようになった。

 それを確認して、リクは本題へと入ることにした。


「それじゃあ、これからどうするか。キミは……」

「どうかした?」

「そういえば、キミの名前を聞いてなかったなって思って」

「名前……」


 ずっと二人称で呼び続けるのもどうかなと思ったからなんの気もなく訊いたのだが、少し死神が暗い表情になる。何かまずいことを言ったかとリクが謝る前に死神が口を開く。


「私、名前がないの……」

「名前がない……?」

「うん……強いて言うなら『死神』が名前かな」


 それは名前というより名称なのではないだろうか。死神というのは普通名詞であり、固有名詞ではない。それを名前と言って呼ぶのは少し違う。それに、死神と呼びたくないなってリクは思った。一人の人として接して呼ぶとするならちゃんと名前で呼んであげたい。しかし、名前がないなら何も始まらない。


「そっか……。じゃあさ、俺が名前つけてもいい?」

「え!? あなたが?」

「うん。やっぱり俺的には『死神』って呼ぶの好きじゃないしさ」

「うーん……それは私も思ってたから別にいいけど……」

「やったー!」


 許可をもらい、早速リクは考え始める。最初は死神に因んだ名前がいいかなと思っていたが、彼女は自分が死神であることを嫌っているので死神に因んだ名前を付けるのは違うと思った。


(彼女の雰囲気というか、キャラというか……そういうところから付けたいところだな)


 そこで、彼女のキャラを考えてみる。

 リクは“清楚で可愛い美少女”という印象を持ってる。

 彼女のどこか幼さが残るふわっとした柔らかい表情。しかし、スラッとしたスタイルはどこか大人っぽさも感じさせてくる。

 昨日の今日だが、これだけの印象をリクは死神に抱いている。

 それらを踏まえて名前を考えるべく再び頭を悩ます。


 やることをやりながら、あーでもないこーでもないと悩むこと一時間。ようやく死神にピッタリな名前を思いついた。


「なぁ、『アリシア』なんて名前どうよ?」


 『アリシア』これはバラの品種名であり、鮮やかで上品な濃いピンク色をしている。花言葉は『愛』、『美』で花首が柔らかいのが特徴だ。

 アリシアはリクが死神に抱く清楚と大人っぽいというイメージに適しており、それに加えてピンク色という可愛らしい色をしている。


「アリシア……」


 小さく復唱して、少し言葉を噛み砕いた後にすごく嬉しそうに柔らかな可愛い笑みを浮かべた。


「……うん、アリシア、好き」

「そっか、よかった。それじゃあよろしく、アリシア」

「うん、よろしく!」


 名前のなかった死神が、アリシアという名前を手に入れた。それがよっぽど嬉しかったらしく、その後はずっと機嫌が良さそうに笑っていた。


 お昼が近くなってきた頃、昼食を作りながら今後どうするか会議をし忘れていたことに気づいた。

 名前を命名したことに満足しすぎて本題をすっかり忘れていた。


「なぁ、アリシア」

「なに? リク」


 ついさっき始めたばかりの名前呼び。昨日出会ったばかりとは思えないほどに馴染んでいてリクも内心驚いている。

 ちなみにアリシアがリクを名前呼びしているのは、さっきアリシアに命名した時に「俺がアリシアって名前で呼ぶんだからアリシアも俺のことを名前で呼んでいいよ」と伝えたからである。

 初めこそ少し恥ずかしそうに躊躇したぎこちない呼び方だったが、アリシアは馴染むのが得意なのか、リク呼びにすぐに慣れてしまった。


「思い出したんだが、今後どうするか会議やってないぞ」

「あ、そうだった」


 リクに言われて思い出したアリシア。どこかもうどうでもいいとでも言うような表情だ。


「アリシアはこれからどうしたいとかあるか?」

「私は……」


 アリシアも自身が元いた場所に帰り、そして、司令部に任務の失敗を伝え、リクに二度と手を出さないよう促すのが一番の最善だとわかっている。しかし、どうしてもアリシアの心がここにいたい、リクと過ごしたいと我儘を言う。

 これ以上リクに迷惑をかけるわけにはいかないのはアリシアも頭では理解している。でも、気持ちは正直だ。


「私は、リクと一緒にいたい」


 受け取り方によっては告白とも取れる言葉。リクがどのように受け取るかはリクの自由だ。

 アリシアにはリクにどんな受け取り方をされても受け入れる、受け入れられる覚悟があった。


「そっ……か」


 アリシアの口からこんな言葉が出てくるとは思ってもおらず、返事が少し詰まってしまった。

 

「べ、別に変な意味はなくてね、リクといるとなんか安心できるから!」

「わかった。アリシアがそこまで俺のことを慕ってくれるなら、全然いいよ」


 アリシアがリクの家にいることで不便なこと、困ることはない。強いて言うなら、寝床が足りないということだろう。もともと一人暮らしにしては少々広めな家だ。スペースは有り余っている。


「いいの?」

「もちろん。そうと決まれば、布団買いに行かないとなー。寝床が確実に足りないもんな。あとアリシアの生活用品もだな」

「……ふふ、そうだね」


 そう言うと、アリシアは嬉しそうにはにかんで笑った。

 これから、二人の共同生活が幕を開けるのだ。

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