【読み切り版】死神暮らし
四ノ崎ゆーう
第1話 リクと死神
「……私は死神。あなたの命を奪いに来た」
梅雨入り前の少し蒸し暑い月夜。バイトからの帰宅途中、物陰から突然リクの目の前に女の人が道を塞ぐように現れた。リク以外にその道を通る人はいない。
漆黒の装束を身にまとい、片手にはリクの身長よりも長いであろう大鎌が握られていた。
月明かりで大鎌が鈍色に光る。フードを深く被った彼女の顔はよく見えない。
大鎌の刃先がリクに向けられ、リクは一歩足を引き、いつでも逃げれるように準備をする。
大鎌のキリッという音がした瞬間、死神は前へと飛び、大鎌をリクの首めがけて振るってくる。
「あっぶね!!」
間一髪のところで大鎌を避けることに成功する。
避けれたことに安堵したのも束の間、死神は体勢を整え、再び大鎌をリクめがけて振るってくる。
幸いなことに今度も避けることに成功した。
(あれ? 俺ってそういう才能ある?)
そう一瞬は思ったが、そもそも大鎌を当てる気がないのではないか、と思う程には大鎌の軌道がおかしい。まさか大鎌の扱いがド下手くそなわけでもなかろうに。
二、三度襲いかかってきた後、死神はこれだけ命を狙われているのに、恐怖の悲鳴一つも上げずにケロッとしているリクに問う。
「なんでそんなにケロッとしてるの? 私は【死神】だ。怖くないのか?」
そう言われてリクは思ったことを正直に口にした。
「怖いさ。でも、それ以上にお前が心配なんだよ。……なんで、そんなに苦しそうな顔をしてるんだ?」
さっきの動きで死神が深く被っていたフードが脱げ、素顔が露わになった。顔立ちは整っており、きっと美人の分類に入るだろう。でも、その表情は無で、しかし辛そうな、苦しそうな……そんな感情が読み取れる表情だった。
当然、リクに恐怖心がないわけではない。人間、誰しも大鎌を向けられて怖くないと言えるわけがないのだ。
リクは恐怖心より、初対面でもこんな苦しそうな人をほってはおけなかった。
どうしたのか死神の動きが止まり、ピタリと動かなくなった。
気に障ることでも言ってしまったのかとリクは死神の表情を伺う。しかし、死神の表情は依然として変わらない。
リクは、せめて殺す時は優しく痛くないようにしてくれ、と思っていたが、気に障ってしまったなら無理があるかと少し諦めかけていた時、ポツポツと死神の目から涙が溢れていることに気づいた。
その表情はさっきまでの冷たい無表情ではなく、まるで普通の女の子のように泣いている。
大鎌を腕の中に抱え、両手で涙を拭っているがそれより、涙の量の方が多く、拭いきれていない。彼女がさっきまでリクの命を狙っていた死神とは思えない。
「お、おい? 大丈夫か?」
死神ではあるが、一応女の子を泣かせてしまったということで、リクの内心はかなりざわめき立てている。
泣くばかりで話を聞こうとしない死神をどうすべきかと悩む。
人通りが少ないこの住宅街でこんな光景を人に見られたら怪しいに他ならない。下手すれば警察沙汰になってしまう。
とりあえず、死神を落ち着かせる意もあり、近くの公園へ行くことにした。
まだぐすんぐすんとすすり泣いている死神に自販機で買ってきた飲み物を手渡す。
「あ、ありがと……」
死神に対する印象はもっと物々しいオーラを放っていたり、邪気があったりするというのが一般的だろう。しかし、リクの目の前にいる死神はそんなオーラは微塵もなく、ただただ可愛いさが出ていた。
(しかし、まぁ……こんな可愛い死神もいるんだな)
当然初対面だし、変なことを言うわけにもいかないので心の中だけに留めておくが、本当にリクはそう思った。
「少しは落ち着いたか?」
「うん……」
飲み物を飲んで少しは落ち着いたっぽい死神がようやく口を開く。
「取り乱してしまって悪かったわ。その……私のこの表情に気づいた人が初めてだったから……少し驚いて……それに、嬉しくて……」
少し恥ずかしそうにうつむきながらそのように話す死神。それは、リクに目の前の女性が命を狙ってる【死神】だと忘れさせるに十分な光景だった。
「もし、何か悩んでることや辛いことがあるなら相談に乗るぞ? ……まぁ初対面だし、しかも命を狙ってる相手にすることではないかもしれないけど、話してキミが楽になるならそれでもいい。どうせ、俺は殺されるんだから記憶には残らない」
どこまでも優しく接してくれるリクに死神はこの人なら自分を救ってくれるのではないかと思い始めていた。
今まで生きてきて誰にも相談できずにただ一人で抱え込んできたこの気持ちを打ち明けられる。
……でも何故だか死神は、今まで話したい、相談したいと思っていたことなのに話すことを躊躇してしまっている。
それは相手が初対面だから? 相手が命を奪う対象だから?
(――違う。ただ怖いからだ)
これは紛れもない恐怖心だ。何に対する……というのは死神本人にもわからない。でも、確かな恐怖心を抱いている。
死神は気づかないうちに身体が震えていた。そんな死神にリクが優しく手を重ねてくれる。
人の温かさを目の当たりにして、死神の心は溶かされる。
「……私は【死神】だけど、命は大切にしたいし、できれば命を奪うなんてことしたくない。命を奪って得する奴らなんて数少ない。でも、私は今まで数え切れない程の命を奪ってきた。そして、奪う度に心が痛んだ。奪った相手の親族が泣き崩れる姿を見る度に自分の存在が憎くなった……。いつも役割だから命令だからと我慢してきたけど、私はこの【死神】って役目を辞めたい。ホントはこんなことやりたくない……でも……」
その先の言葉は自然と続かなかった。死神が【死神】を辞められない理由。その理由が思い出せない。
思い出せないように記憶にフィルターがかかっているような感覚がある。かけているのかかけられているのか、死神自身はわからない。
でも、思い出したくない、もしくは思い出させないようになっていることは確かだ。
「あー……無理に話さなくてもいいよ。なんとなく事情があるのはわかったから」
悪いことを訊いてしまったかな、と頬を引きずらせるリクに死神は、この人はホントにいい人なんだな、と再認識した。
死神はこんなにも優しさを向けられたのが初めてのことで少し気恥ずかしさを覚える。
彼女の頬が少し紅色に染まっていることには誰も気づかなかった。
少しの沈黙が流れちょっとずつ気まずい雰囲気になっていた頃。死神はこれからどうしようかと途方に暮れていた。任務を果たしてないのにこのまま帰るわけにもいかないのだ。それに、死神に今更リクの命を奪おうなんて気持ちは微塵もない。
(ずっとここにいても彼に迷惑をかけるだけだ)
「わ、私は帰る。迷惑をかけたわ」
と、死神が立ち上がった時、リクが声をかける。
「帰るって言ったって、帰る場所、あるのか?」
「それは……」
死神の表情を見てリクは帰る場所がないんだなということがわかった。
リクの観察眼は鋭く、リクは相手の表情と口調、それまで話していた内容を諸々含めて考え、今の相手の心情をある程度読み取れる。しかし、たまに無感情で無表情の人がいて、そういう人の心情はさすがに読み取れない。
死神なのに感情が読み取れちゃうあたり、ホントに死神なの? と疑いたくなる部分もあるけど、それはそれで彼女のいいところなのかもしれない。
「よかったら、うち来る?」
「え?」
「別に他意はない。困ってるなら助けてあげたいなって思っただけだから」
初対面でしかも命を狙ってた相手にここまでしてくれると、もはやリクはお人好しという言葉だけでは表現が足りなくなってくる。
「で、でも……」
あなたに悪いし、とそう言うとリクが、はぁーと深い溜め息をついて言う。
「もっと、人を頼りな。キミは困ってる、うちに来るかと提案したのは俺。つまり、俺が困る、迷惑ならそもそもそんな提案はしない。困ってる人を助けるのは当たり前だろう?」
「な、ならお邪魔していい?」
「うん、いいぞ」
死神は結構押しに弱かった。
死神と出会った場所自体がリクの家から近かったのでそれほど歩かなくて済んだ。
リクの住む家は賃貸マンションの四階。別に高台に建っているわけでもないし、ごく普通の住宅街に位置しているから眺めはよくない。そもそも四階だし。いいことがあるとすればリクの部屋は南向きということだろうか。日当たりは抜群によく、晴れの日は洗濯物がよく乾くのだ。
「お邪魔します……」
「どうぞ。何もない家だけどね」
【死神】の仮面がすっかり外れた彼女はどこにでもいる女の子そのものだ。最初のキャラは作り物で、おそらくこっちが彼女の素なのだろう。
リクは、そう考えると女の子を家にあげるのは初めてだな、と改めて思う。一年前に大学へ進学してここに上京して来てから彼女もできたことないし、女友達もいないので必然的に女の子を家に呼ぶ、というイベントが起きないのだ。
「お腹空いてない? なんか作るけど」
「大丈夫。ありが――」
''ぐぅーー''
胃の中が空っぽであることを知らせる音が無音の部屋に鳴り響く。鳴るにはベストタイミングすぎた。
「あはは、もう誤魔化せないな。何食べたい?」
「な、なんでもいいです……」
「はいよ。じゃあカレーでも作ろうかな」
三十分程経ってカレーが完成した。何の変哲もないただのカレーだが、死神はあたかも高級料理を食べているかのように、すごく美味しそうにカレーを食べていた。リクは手料理をこうも美味しそうに食べてくれると少しむず痒いなと感じたがが、滅多に手料理を振る舞わないリクとしては嬉しい限りだった。
夕食後、とりあえず夜も更けてきたから今考えるべき諸々は明日考えることにして、今日のところは寝ることにした。
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