第一章 第八節
ヘシオドスの「神々の系譜」以外にも古代ギリシアの神々についての重大な情報源としての価値を持つ著作は幾つか存在した。その中でも、後世にまで、ほぼ完全な形で伝わっている物としては、「ライブラリー」や「変身についての物語集」が特筆に値する存在であった。
「ライブラリー」はアポロドロスと言う名前のギリシア人によって執筆「されたらしい」と伝承されていた。後代の人々は、この作品の著者を「伝統的に」ヘレニズム時代後半にアテナイで生きた著名な修辞学者の著作であると考えられて来た。しかし、この説に対しては、かなり早い段階で疑問視する見解が提示されて来ていた。
「ライブラリー」と言う作品を後代に残した人物が、ヘレニズム時代の著名な修辞学者と別人物なのではないかと言う説が提示される様になった主だった理由は特に文法的な面、そしてより致命的な物は「参考にされた文献」に関する矛盾面であった。こうして指摘された矛盾点は、既存の文献を照らし合わせ、文法に関する知識が十分にあれば、容易に指摘できる物ばかりであった。
まず文法上の矛盾点として指摘された点は、「ライブラリー」内で見る事が出来た文法的特徴の幾つかが、ヘレニズム時代には一般的な物ではなかった点だった。しかし、この様な指摘はそれらの「斬新的な文法」を当時、最大の修辞学者であったアポロドロスが「逸早く取り入れた物に過ぎない」と強弁できる可能性があった。
しかし、もう一つの矛盾点については、「後世に残された物がローマのプリンキパトゥス制時代に無名の著作家によって偉大なる修辞学者の作品に増補が為された結果であるとしか強弁しようがなかった。或いは「より自然な結論として」、「ライブラリー」の編著者はヘレニズム時代の著名な修辞学者とは別人であると考えるしかなかった。そして、近代以後、多くの歴史学者や古典学者、或いは宗教学者の間では、「ライブラリー」を後世に残した古代の著述家は、ヘレニズム時代の著名な修辞学者とは別人であるとする見解が一般的な物になった。
先述の様に古代のかなり早い段階で「ライブラリー」の表紙に書かれた「アポロドロス」と言う名前の人物は、へけニズム時代の著名な修辞学者とは別人なのではないかと言う指摘がなされて来た。そして、中世期以後には「ライブラリー」の著者の名前として、「偽アポロドロス」という「不名誉な」物が用いられる様に成って来た。
この様に「ライブラリー」を残した著述家を呼ぶ為に、幾分かの侮蔑を込めた名前が使われる様に成ったのは、後代の人々がこの作品の真の作者が、一種の売名行為を行なったと思っていた為であった。実際の所は、「ライブラリー」を後世に残した古代の著述家に、「後世の人々を騙してやろう」という悪意があったと断言する事は出来なかった。
結局の所、一定量の識者達が「ライブラリー」の表紙に書かれた「アポロドロス」と言う名前の人物を、「偽アポロドロス」と言う「不名誉な意味を込めた名前」で読んだ理由は、彼等自身の「愚かしさ」を覆い隠す為であった。つまり、彼等は自分達が「アポロドロス」と言う名前を見ただけで、安易にヘレニズム時代を代表する修辞学者と同一視して了った「そそっかしさ」を隠蔽したかったのだ。その為に、彼等は「ライブラリー」の表紙に名前が載っていた人物を「ヘレニズム時代を代表する修辞学者の前を騙った詐欺師だ」として糾弾したのだった。
しかし、諸学の間で「科学的で論理的な思考法」が浸透して行く中で、「ライブラリー」の編著者の名前を「偽アポロドロス」とする見解は形を潜める様に成って行った。つまり、「アポロドロス」と言う名前が「アポロンの宝物」と言う意味を持つ一般的な物的な物であったと言う事実が、漸く浸透して行ったのだった。その結果、近代以後になると、ヘレニズム時代を代表する修辞学者としてのアポロドロスと、「ライブラリー」の編著者であったアポロドロスとは、完全な別人であると言う認識が広まる事になった。更には「ライブラリー」の編著者にはヘレニズム時代を代表する修辞学者の名声を騙ろうとする意思もなかったと判断する見解が徐々に台頭する様に成って行った。
「ライブラリー」の編纂時期に関する論議に於いて、最も大きい疑問点として想起されたのは、この大著の中にヘレニズム時代後半には存在し得なかった書物からの引用が用いられていた点であった。その箇所の引用元が執筆された時代が、ローマ共和政時代の最晩期に近かった事は、ほぼ確実とされていた。その年代は、ヘレニズム時代最大の修辞学者の一人であったアテナイのアポロドロスが生きて活躍していた時代から少なくとも五十年、場合によっては一世紀近くも後の事であった。
この様にして、「ライブラリー」の中にヘレニズム時代の最末期であり、アテナイのアポロドロスの活躍した年代と遥かに離れた座大の文献の内容が引用されていた為、二十世紀初頭には、多くの識者達の間で「ライブラリー」の執筆年代は、ローマにプリンキパトゥス制が導入されたユリウス・クラウディウス朝期であると推測される様に成って行った。
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