第七留
「それで……ここからは真面目な話になる」
眠っている宮沢一瑠をよそに、龍ヶ崎は僕のもとで咳払いをひとつ。
それから、今までみたことのないような真面目な表情になった。
「これから私が話すことは……あまり他の人に共有しないでくれ、いいかな?」
「ちょ、ちょっと待て。秘密とは言うが、宮沢が起きてしまったら……」
「ああ、大丈夫。あの子の話だし。それに、きっとしばらくは起きないからね」
僕は宮沢に視線を向ける。
彼女は深く眠っているのか、こちらの会話など気にもせず小さな寝息を立てていた。
「たしかによく眠っているが……確証でもあるのか?」
「ああ、そうだね。
マナブくん……ナルコレプシー、って知ってるかい?」
「ああ、聞いたことがある。眠気とは関係なく、昼間突然眠くなってしまうという……あ」
まさか。
僕がそう口にするよりも前に、龍ヶ崎は頷いた。
「宮沢一瑠は、それなんだ」
「え……」
「夜の睡眠時間に関わらず、突発的に深い眠りについてしまう。生まれつき、そういう病気なんだよ。しかもその頻度だって相当多い。一日の稼働時間が5時間を下回ることもザラだ」
「そう、なのか。いや、しかし……」
龍ヶ崎が口にしたその事実を、僕は未だ信じられずにいた。
「……昨日、彼女の家で圏論のテキストを見たんだ。驚いた、宮沢は小学生の時にそれを読み終えていたのだそうだ」
「うん、天才数学少女だからね」
「だが……そんなに眠ってしまうなら、彼女はいつ勉強をしているんだ。それだけの短い稼働時間で大学数学まで辿り着くのは相当に困難では……」
「逆だよ。きっと、眠りこそが彼女にとって必要だったんだ」
「え?」
「確かに彼女は少しの時間しか起きられない。けれど、寝ている間、無意識で数学のことを考え続けているのだそうだ。私がかつて見た番組で、彼女はそれを『夢の中で数式と友達になっている』などと口にしていたね」
「なんだ、それ、そんなのって、まるで……」
僕はかの有名な数学者を思い出していた。
三十二年の短い生涯の間に、 何千もの新たな公式を生み出したインドの魔術師。
彼は、眠っている間にナーマギリ女神が数式を教えてくれていたのだという。
「『ラマヌジャンの生まれ変わり』。ツウの間では彼女をそう呼ぶ人たちもいたね」
信じられない話だ、僕は唖然としてしまった。
そんな僕から目を逸らさず、龍ヶ崎は説明を続けた。
「君はメディアに興味がないから知らないと思うけど……これだけの美貌で、今世紀イチの天才数学少女で、しかも眠り姫ときた……ブランディングは完璧だ」
龍ヶ崎は僕にスマホを手渡す。
ニュース記事が開かれていた。
そこには確かに、目の前で眠っている宮沢一瑠の顔が写っていた。
【小学生で何十本もの論文を投稿】
【中学の頃には世界トップ数学者と遜色のない能力に】
【『世界を変える十代』に満場一致で選出】
読んでいくほどに胸が苦しくなった。
昨日、圏論の話題になった時の非じゃない。
どうして?
簡単だ。
自分が井の中の蛙であることを思い知らされて。
本当の天才には遠く及ばない、という現実を直視させられて。
僕は身の程知らずにも、宮沢一瑠に嫉妬していた。
「けれど今年、そんな彼女に大きな大きな問題が起こった」
「……なんだ、その問題は」
僕は必死に無表情をつくって龍ヶ崎に問いかける。
惨めな気持ちを見透かされないように。
「ああ、彼女の人生でいちばんの問題、それはね……
……彼女が留年してしまったことだ」
「………………え?」
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