第4話 アパートからの脱出

 後ろを向いていた斎藤さんの服を掴み、思いきり二階の手摺から外に放り投げる。斎藤さんはこちらに気付く前にガムによって上がった俺のパワーで体が浮き上がり、下の駐車場の地面に向かって放物線を描いた。


 グシャッという潰れた音が辺りに鳴り響き、斎藤さんの周りにゾンビが集まり始める。音に反応して集まって来たらしい。数は5体、まさかの裏庭より多い。ただ今は斎藤さんのおかげで注意がそれている。階段を降りるなら今しかない。


 俺は音を立てないように慎重に歩を進めると、錆びた手摺を持ちながら階段を一歩づつ降りる。下が空洞のために音が鳴りやすい階段だ。かなりゆっくりと降りなければすぐにゾンビ達に気付かれてしまうだろう。


 階段を下に降り終えるまでやたら長く感じたがようやく最後の段だ。降りきったら走りながら『ちょこば~』を食べてスピードを上げ駆け抜ける。道路まで出てしまえば車道は広いので多少ゾンビが徘徊していても間を縫って坂を下れるはずだ。


 そのはず、だった。


 階段を降りきった時、ゾンビ達はまだこちらに気付いてはいなかった。地面に足を付いた瞬間に食べかけの『ちょこば~』をポケットから出してかじりついた俺は、溶けたチョコが口の周りに付くのを気持ち悪く思いながら全力で車道に出る。しかし、俺が車道に出た途端、坂の上側からものすごいスピードで車が下って来て、危うく匹殺されそうになる。


 車に乗っていたのは人間だったらしい。急ブレーキを踏んだ音が鳴り響き、車はそのまま近くの電柱に突っ込んだ。車はボンネットから煙を出し始め、炎上。同時に音につられたゾンビ達が一斉に車の方に向かって来る。


『『『ヴァア˝ア˝ア˝ア˝ア˝ア˝ア˝ア˝ッッ!!!』』』


 それは最早、群れだった。恐ろしい形相と臭気のゾンビの群れが、四方八方から迫って来る。ゾンビのイメージで走れないというのは定番だと思うのだが、コイツ等は人間よりほんの少し動きが遅いくらいで当たり前のように走る。


 俺は絶体絶命の状況にあった。何せ車と俺の距離はかなり近い。ここに俺が居るという事は既に奴らに気付かれている。


 (ど、どうする!?)

 

 気付かれてさえいなければ走り抜けられた。だがこの状況では間を縫うどころの話ではない。隙間が無いのだ。


 一体何匹いるんだ?!


 この辺りの住人はみんなゾンビになってしまったとでもいうのか。絶望的な状況の中、さらに坂の上の方から迫って来る第二陣のゾンビの群れが見えた。その数100以上はありそうな有様だ。


 もうダメか。


 そう思った時だった。炎上している車の後部座席の扉が開き、人が這うように出て来たのだ。それは小学校中学年ぐらいの女の子だった。頭から血を流し、意識が朦朧とする中、何とか車から這い出して来たという感じだった。


 それを見た時、俺は俺自身の中に謎の正義感が湧いて来るのを感じた。あの子はまだ生きている、今なら助けられるかもしれない。


 俺は急いでその子の傍に近寄った。小さな体で行き絶え絶えに何かを呟いている女の子。その子が何を言っているのかを聞き取って、車の中を確認する。


 お父さんとお母さんを助けて。


 そう言われて車の中を確認した俺の目には凄惨な状況が広がっていた。この子の父と母は運転席と助手席に座っていた。そして、彼らはシートベルトをしていなかったのだ。


 見えたのは粉々に砕けたフロントガラスと血。そして電柱の先の石の壁にもたれる人間だったもの。


 即死。


 どう見ても無理だった。彼らは既に命を落としている。


 それが分かってからの行動は早かった。俺は女の子を抱きかかえ、味が混ざってマズくなるのもお構いなしに『ちょこば~』と『ガム』を同時に口に突っ込み、車のドアを引きちぎって右手に持ち、全力でアパートに向かって走り出す。


 前方には迫って来る5つの影。アパートの住人たちがゾンビになったのか、それとも近所から流れて来たのか、男も女も混じったようなもう顔も分からない動く腐った死体たちを、右手に持った車のドアを投げつけることでなぎ倒す。


 連なって迫って来ていたゾンビ達は、前のゾンビが倒れたことで流れに逆らえず倒れる。それを横目にアパートの階段を2段飛ばしで登りきり、そのまま部屋に戻ろうと思って振り返った所で、俺は見た光景に唖然とした。アパートの周りがもう縁日の神社のごとくゾンビで一杯になっていたのだ。


 この数に押し寄せられたら、もう二度と部屋から出られない。それはつまり部屋に戻った場合。餓死か食われて死ぬかまたは自殺するかの3択しかない事を意味していた。

 

 階段からゾンビが上がってくる音が聞こえる。


 考えている時間は無かった。俺は部屋とは逆、201号室のある方を向くと走り出す。前方にはアパートの横のデカい家とその間にある石造りの大きな塀。端まで走り切る寸前にジャンプして、手摺に飛び乗ると、さらに高く飛ぶために足に力を籠め、そして手摺が壊れるほどのパワーでジャンプした。


 俺は女の子を前で抱えたまま下を過ぎて行く塀を見送る。そして、その跳躍は家の四角い屋根の上まで届き、そのまま女の子を庇うようにしてそこに倒れ込んだ。


 (な、何とかなったか)


 「痛ッ」


 どうやら倒れ込んだ時に肘を怪我したらしい。あの状況でこの程度の傷で良かったってところか。


 塀越しに俺が飛んで来たアパートの方を見ると、ひしゃげた手摺の所から身を乗り出してこちらに向かって手を伸ばす複数のゾンビの姿があった。無理やり押し込まれたかのように狭い通路に詰まったそれらは、まるで腐肉を肉詰した一匹の化け物の様だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る