第2話 駄菓子の力
「痛たた」
変な奴に絡まれてアパートの二階手摺から落ちた。おかげで腰を痛めたのか鈍い痛みが継続している。
それでも何とか立ち上がり一緒に落ちた人に目を向けると、そこには目を覆いたくなるような悲惨な光景が広がっていた。顔が潰れて顔かどうかも判別できない様な状態になっていたのだ。
「う、嘘だろ」
慌ててそいつの手首を掴む。脈が無い。
その人は顔が潰れたせいか、完全に死んでいた。
「お、俺、そんなつもりじゃ」
まさかこんなことで犯罪者になってしまうなんて。これは殺人罪になってしまうのだろうか。いや、でも最初に掴みかかって来たのはこの人だし、俺はそれに抵抗して結果手摺から落ちたわけで。事故。そう事故だったんだ。
人を殺してしまったとは言え、正当防衛の事故ならまだ情状酌量の余地があるかもしれない。
俺は余りの事態に視界が揺れる中、震える手でスマホを取り出した。
こういう場合、先にどちらに電話をかけるべきなのだろう。警察か、消防か。
一瞬迷ったが、現在の自分の立場を鑑みて結局警察に電話をかけることにした。
110番を押す手が重い。この先一体どうなってしまうのかという事が頭の中でずっと回っている。
トゥルルルルルル。トゥルルルルルル。トゥルルルルルル。
呼び出し音が長い。長くなればなるほど俺の心臓の鼓動が大きくなっているような気がする。
しかし、俺の緊張はすぐに切り崩された。つながったと思った電話が、機械音声の案内だったからだ。
現在込み合っている為、時間を空けておかけ直しください。
「込み合っているだって!? こっちは人が死んでるってのに!」
焦る気持ちが声を荒げさせる。機械音声に文句言っても仕方がないのに、不安のせいか文句を言う口を止めることは出来なかった。
じゃあ先に消防に電話をしよう。そう思って119をコールしてみるが、なんと消防も繋がらない。
「一体どうなってるんだ!」
テロでも起きてるわけじゃあるまいし。どちらも繋がらないなんて事があっていいのかよ。
強烈な臭いを放ち続けている死体の横で何度も警察と消防にかけてみるが、全くつながる気配は無かった。
仕方がないので大家さんに事情を説明して来てもらおうかと思って立ち上がる、すると急に東の空が赤く光った。何だと思っていると遅れて物凄い轟音と衝撃が襲い掛かって来る。
「あっちは街の方だ。ま、まさか本当にテロか!?」
電話していた手を止めスマホでSNSアプリを開く。情報を早く入手するならネットで検索するよりこっちの方が早い。
アプリが立ち上がり地方トレンド欄が表示される。住んでいる地域のトレンドが一覧でずらっと並び、そしてその異様な文字の羅列に困惑した。
まず思った通りテロの文字はあった。だが、それよりも一番上に表示されていた文字がひときわ異彩を放っている。
ゾンビ。
ゾンビ、と表示されている。有名なゲーム会社のゲームタイトルが無いかと探しても、他にあるのは人食いや歩く死体などのワードが表示されているだけだ。
「ははは、まさか。質の悪い冗談でしょ」
ゾンビなんてものが現実に存在する訳がない。今日は何かのイベントが行われていて、そこでゾンビの仮装でもしているのだろう。
……。
臭いが鼻を刺激する。無視できない存在が、足元にある。
気にしないように、まさかそんなわけない。そう考えれば考えるほどそこに在るものが主張を強め、自然と首を下げさせる。
視界に飛び込んできたのはさっきと変わらない死体。顔は判別不能なほどに潰れ、ピクリとも動いていない。ただ今さっき死んだにしてはその肌の色や質感がおかしい。まるで腐っているようだ。
もしかして、この強烈な臭いは体が腐っている臭いなのか?
俺は手に持っていたスマホを操作し、もう一度警察に電話をかけてみる。
繋がらない。
時刻は既に朝6時を指していた。もうそろそろ人が外に出て活動し始める時間だ。
静かだった。静寂の中で自分の心臓の鼓動だけが激しさを増して五月蠅いぐらいに動いていた。
ここに居るのは拙いかもしれない。
「い、一回家に帰るか」
ここに死体を置いて帰るのは常識的に考えればあり得ない。でももうここに居続けることは出来なかった。
ガチャリ。
後ろでドアが開いた音が聞こえた。今居る場所の後ろの部屋はたしか斎藤のお爺ちゃんが住んでいる部屋だ。斎藤さんは健康のために毎朝6時過ぎに散歩に行くのだとこの前話したときに言っていた。
そうだ、普通にドアが明けられた音がしたし、斎藤さんがゾンビになってるはずがない。この状況を説明して、一緒にどうすればいいか考えてもらおう。
そう思っても頭の片隅にはもしかしたらこびり付いていて、振り返る動作がぎこちなくなる。
意を決して後ろを向く。いつも元気な斎藤のお爺ちゃんがそこで話しかけてくれる筈だった。
しかし、振り返った時見たのは、獲物を捕らえるべく飛び込んだライオンのように、歯をむき出しにして襲い掛かって来ようとしている斎藤さんの姿だった。
やばい、食われる!
咄嗟に左手で顔を庇う、すると直後に生温い硬い物が腕に触れた。挟み込むように何度も何度も刺激が伝わる。だが、痛みは無かった。
ゾンビ映画なら咬まれたらその人もゾンビになってしまうというのは通例だ。俺は咬まれてしまった、ゾンビになった斎藤さんに。俺も終わりか。
「い、いやだ! 死にたくない! うわあっ!」
いざ死ぬのだと思うと、不思議と死にたくないという感情がこみ上げて来た。今までの人生で行きたいと思うより死にたいと思う事の方が多かったというのにだ。
俺は斎藤さんを力ずくで振り払うと、一目散に自分の部屋に駆けだした。
斎藤さんが小柄で良かった。火事場の馬鹿力なのか斎藤さんは数メートルも吹っ飛び、再び立ち上がって襲ってくるまでに時間が出来ていた。
いつもよりも動きがは鈍いものの、そこそこのスピードで走って来る斎藤さん。それを無視して自宅へと駆けこむ。ドアのカギを閉め、チェーンまでかけたところでドアが外からバンバンと叩かれた。
「ま、間に合った」
だが安心してはいられない。俺はすぐさま台所に駆け込み水道の蛇口をひねって水を出す。出てきた水に腕を突っ込み一心不乱にこすった。赤黒い血の塊が流れていく。
そうしてしばらく無我夢中になって、ふと気が付いた。
「あれ? う、腕に何の傷もない」
俺、確かに斎藤さんに噛まれた、よな?
どれだけ確認しても歯形さえない腕。確かにあの時痛みは無かった。でも、圧迫感は確かにあったし、斎藤さんが手加減しているような様子も無かった。なんで俺の腕は無傷なんだ?
まさかこの異常事態に合わせて俺の体が進化したとか?
馬鹿馬鹿しい。そんなわけあるか。
でも、もし、万が一本当にそうなっていたら……。
「試してみるか」
俺は腕を振り上げて思いっきりシンクの淵にたたきつけた。
「ッ!?
クソほど痛い。思いっきりやるんじゃなかった。
で、でもこれでハッキリわかった。俺自身が進化して丈夫になったわけじゃない。じゃあ一体何が原因であの時歯が通らなかったのだろうか。
思い返してみても何か特別なことをやった覚えはない。直近でした事と言えば駄菓子屋で寝たことと、寝ながらイカ串を食べていたぐらいだ。
ん? イカ串……?
い、いやある! そうだイカ串だ! 俺の変な力、駄菓子屋を出す能力でいつも何故か勝手に補充されているイカ串。もしかしするとアレを食べたことが原因なんじゃないか!?
俺はスーツの上着ポケットに入れていたガムを一つ取り出す。コイツも駄菓子屋で勝手に補充される商品の一つだ。
包みを開けて口に放り込むと、口の中いっぱいにソーダ味が広がった。このガム、味は3分ぐらいしかもたないがその分濃いんだよな。
イカ串で体が頑丈になっていたのだとしたら、このガムでも何かしらの変化が起こるかもしれない。何か変わっているような気はしないが。どう確認するべきか。
ドアの方では未だに佐藤さんが暴れている音が聞こえる。体当たりでもしているのか?
一応の安全が確保されたせいか、何度もたたかれるドアの音に段々イラついてきた。
思い返せば今日は起きてから散々だった。ゾンビらしき知らない奴に襲われて二階の手すりから一緒に落ちるわ。落ちたらそいつが死んでいて自分が殺してしまったと肝を冷やすことになるわ。挙句の果てには斎藤のお爺ちゃんに飛び掛かられて、今もドアを連打されている。
『あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝ぁぁぁ』ドン! ドン!
「……いい加減にうるさいんじゃボケえええええええぇぇぇッッ!!!!」
俺は怒りを全て拳に乗せてシンクの淵にたたきつける。さっき思いっきり振り下ろして自爆していたというのに、馬鹿なやつだ。
しかし、今度はただ痛みが来るだけでは無かった。
バコッ!! と大きな音が鳴ったかと思うと、拳がステンレスに埋まっていたのである。
「ええっ!?」
流石にここまでは予想していなかった。駄菓子に力があるかどうかなんてぶっちゃけ半信半疑だった。あるとしてもまさかここまでとは……。
でも、これならもし世界がゾンビだらけになっていたとしても何とか生き残っていけるかもしれない。
俺は手をシンクの淵の部分から抜き出すと、まじまじと今埋まっていた拳を見た。
血まみれだった。
「うぎゃああああッッ!?」
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