ゾンビが出て来たので、取り敢えず駄菓子屋さんを始めることにする。
ぞい
第1話 駄菓子屋とゾンビ
俺の名前は
大学を卒業後、特に理由も無く関西のとある会社に就職し、目的もなく日々を過ごして来た。そうして気づけば30歳。一昔前ならもう結婚して子供がいてもおかしくない年齢になってしまっていた。
最近、ふとした時に考えてしまう。俺は本当は何がしたかったんだろう。
休日に出かけた先で子供を連れた夫婦が楽しそうに笑っている姿を見て少し胸が苦しくなるのは、ただ他人の幸せと今の自分を比較して嫉妬してしまっているだけなのだろうか。
意味がある人生を送りたいと考えたことは無かった。ただ、漠然といつかは何者かになれるんじゃないかという気持ちだけは持っていた。
人生100年時代。最近じゃそう言われているらしい。カフェの隅の方にある目立たないテーブルで保険屋さんの説明を無感情で聞いている間、俺はせめてあと20年ぐらいで人生終わってくれないかなと資料の100年の文字を目でなぞる。
「どうでしょうか。30歳となるとある意味人生の節目とも言える時期ですし、これからのために備えておいて損はないと思いますが」
若くて美人でキラキラしているがまだ経験は浅そうな人だ。これじゃあ前のめり過ぎて引かれちゃうんじゃないだろうか。
でもこんな美人を前にする機会なんてそうそうない、ましてや自分のようなうだつの上がらない平のサラリーマンにこんなに笑顔でなんて、この先一生無いんじゃないだろうか。
そう思うと、俺はこの人の営業成績に貢献してあげたくなってしまって、結局契約書にサインしてしまっていた。
今日はありがとうございました! と頭を下げ、興奮しているのか少し速足気味に帰っていく保険屋さん。そんな彼女の姿を見て、俺は奢ってもらったコーヒーを一口すする。
「苦いな」
俺は童貞だ。性的指向は女性だが、典型的な陰キャの俺は今まで女性に好意を持たれたことは一度も無い。自分がそういう感情を向けても相手に迷惑だと思ってしまって、気になってもこちらから告白したこともない。
以前は女性と話すのに緊張していたものだが、今じゃもうなんだか枯れてしまったのかそういうのは無くなってしまった。
少しだけよれた安物のスーツ、この間買い替えたばかりのビジネスバッグを手に持ち、立ち上がる。店の雰囲気は俺が普段から行けるような空気ではない。保険屋さんが居なくなると途端に周囲の人達が気になってしまって、見てから後悔した。カップルばっかりじゃないか。
そそくさと足早に店を出る。なんだか息苦しいような気がして。若干うつむき気味に自動ドアの教会をまたぐと、排気ガスやらで汚れた街の空気が俺を迎えてくれた。
「ハァ、またいつものように駄菓子屋で菓子でも食おう」
バスに揺られ、街中から郊外へ向かう。緩やかな坂道はこの先が山であることを示していた。
俺の住んでいる場所は街から遠すぎず、近すぎない丁度良い住宅地の一角だ。去年までは街中の利便性の良い所に住んでいたが、外から聞こえてくる若者の声が自分がもう若くないという事をありありと伝えて来て辛くなってしまい、わざわざ引っ越した。
バスを降りると、山が近いからか少しだけ空気が澄んでいるような気がした。車の排気ガスも少ないだろうし、実際街中より澄んでるんだろう。
アパートの階段を上り、2階の205号室の扉の前に着いた。ここが俺の部屋だ。だが、俺は鍵を開けてもそのまま入りはしない。
ドアノブを持って、念じる。そうしてノブを捻ると、開かれた扉の先は懐かしい古びた駄菓子屋の店内になっていた。
中に入って隅の方に置かれた物を手に取ると何かのキャラクターが描かれている紙を剥がし、包装を解いて中身を口に放り込む。するとチープなソーダ味が口いっぱいに広がった。ガムだ。
俺には昔から他人と違うところが一つだけあった。それがこの古びた駄菓子屋を呼び出す能力だ。物心ついた頃にはもう当たり前に出来ていたので、きっかけが何なのかは不明。中にはそこそこ広い空間に商品棚がいくつか置かれていて、殆どのスペースは空きになっている。
だがそんな中、何故かこのソーダ味のガムとイカ串だけは毎回補充されていて。一日に10個までなら食べ放題になっている。補充されるお菓子はこの2種類だけなので、流石に飽きてきていて最近は外で買ったお菓子ばっかり食べていたけど、たまに食べると普通に美味しい。
「今日はもう駄菓子屋で寝ちゃうか。なんだか疲れたし、お腹もイカ串食べとけばいいでしょ」
駄菓子屋の奥はちょっとした生活スペースになっている。小さいが冷蔵庫とポットもあって、布団さえあればここでの生活も可能だ。テレビもWi-fiも無いので超暇なのは玉に瑕である。電波は来ているけど、通信制限は掛けられたくないから使わない。ちなみに床は畳だ。
布団はこのまえ中に持ってきたので敷いてしまえばそのまま寝られる。
俺はイカ串の入ったプラスチックの容器を片手に抱えながら靴を脱ぐと、奥に積まれていた布団を引っ張り、掛布団が横に無謀さに投げ出された状態のままダイブした。
イカをちょびっとずつ食いちぎってもしゃもしゃと噛んでいると、やがて布団のおかげで襲って来た睡魔に負けて意識を手放した。
数時間後、薄暗い部屋で目を覚ます。この駄菓子屋、照明がついていない時は外の明るさで明暗が変わるので、この薄暗さは早朝であることを示している。
ポケットからスマホを取り出し時間を確認すると、時刻は朝の4時50分を示していた。帰って来てすぐに寝てしまったので十分な睡眠はとれているのだが、こんな時間に目を覚ましたのは何だかもったいない気がして、俺はもう一度布団にダイブした。
しかし、ダイブしたのはいいものの睡眠欲は戻ってこず、それどころか昨日ちゃんとしたご飯を食べなかった影響でお腹がぐ~っと鳴る。
駄菓子屋の冷蔵庫を見てみると、ろくなものが入っていなかった。飲みかけの牛乳と安いチョコレートの袋が1つだけ。流石の俺も朝からチョコレートはちょっとなぁ。
「仕方ない。一回外出て家に入るか」
皺の付いたスーツをサッと撫で、駄菓子屋の店舗で入り口である両開きの引き戸を開ける。入ってきた時普通に押し開けるタイプのドアだったのに出る時は引き戸。まあ変だよね。
外の空気がぬるっと流れ込んで来る中で一歩を踏み出すと、まさかの目の前に人が居たらしく俺はその人にぶつかってしまった。
拙いな、人が居たのか。
駄菓子屋は中から外の様子が分からないのがネックだ。こうして注意せずに出て行くと、人やら動物やらが前を歩いていたなんてことがこれまでの人生で何度かあった。猫を驚かせてしまった時は申し訳なかったなぁ。飛び上がってひっくり返ってたし。
っと、ぶつかった人に謝らなければ。そう思って相手をよく見る。
ここはアパートの2階。居るなら住人か大家さんだろう。彼らとは比較的仲が良いので謝ったら普通に許してくれるはず。そのはず、だった。
「えっ」
そこにあった顔は酷く痩せていて青黒かった。目は焦点が合っていないかのように不自然に揺れていて、そして何より猛烈な臭いが漂っている。
こ、この辺のホームレスの人か?
「あ、あの」
『ヴぁあ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝』
「うわああッッ!?」
男は、いや男かどうか分からないが、そいつは俺が声をかけたと同時に襲い掛かって来た。スーツを掴み、目を剥いて、赤黒く染まった歯で噛みつこうとしてきたんだ。
俺は腕を突き立てて必死に抵抗した。そして揉み合って。そのまま二階の廊下の手すりから落ちた。
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