宇宙編
全ての生命を救済する。
そう宣言したおばあちゃんは、ほとんど打ち止め状態にあった霊体回路の増設に取り掛かった。しかし、すでに地球に存在するほぼ全ての霊体は〈量子イタココンピュータ〉に取り込まれ枯渇していたため、まずは新たに霊体を作り出すことにした。つまり地球に存在する全生命を抹殺し始めたのだ。
おばあちゃんは地球抹殺の足掛かりとして、まずは人類を片付けることにした。
かつてユートピアを築き上げたおばあちゃんにとって、人類を滅ぼすことは簡単だった。前にやったのと逆の事をやれば良いだけだからだ。失われた宗教を人々に広め、世界各地に紛争の種を蒔き、地球環境を操作して災害を起こし、インフラを機能停止させ人類文明に混乱をもたらした。その後、人類が滅ぶまでミチルは何もしなくて済んだ、人類は自滅したからだ。
人類は自分たちに何が起きているかも分からず、文明存続のためだと言って殺し合いを始めたのだ。曖昧な目的のために行動し続ける人間が行き着く先はいつも同じだ。手段と目的があべこべになり、やがて手段だけが残る。殺しための殺しが繰り返され、それは最後の一人となるまで続いた。殺す相手がいなくなった人類最後の一人は、何のために敵を殺していたかを思い出せないまま、地球が抹殺される瞬間を迎えることなった。
人類を滅ぼし、その霊体を回収したおばあちゃんは、他の生命の抹殺に取り掛かった。
手っ取り早く抹殺する方法として、時空外次元から抽出した重力子を過集中させ地球に重力崩壊を引き起こす方法を考えたが、シミュレーションの結果、非常に低い確率でおばあちゃん自身も巻き込まれる可能性があったため断念した。
おばあちゃんは〈寺〉を地球から離脱させた。そして、地球の軌道を太陽系の内側に移動させ、太陽に放り込むことで地球の全生命を抹殺した。地球を動かすに当たって多少の手間はかかったが、確実に霊体を回収できる方法だった。
太陽系には今は不毛となっていても、かつては生命体が存在した惑星がある。そういった惑星には霊体も残っているので、おばあちゃんと〈寺〉は同じ方法で惑星を抹殺し、その霊体を集めていった。宇宙空間にもわずかだが霊体が存在していたため、惑星間を移動しながらそれらも回収した。
太陽系の全ての霊体を回路に組み込んだおばあちゃんは、抹殺の対象を他の星系へ広げていった。〈寺〉だけでは流石に手が足りないので、量子的に同期された〈サブ寺〉とクローンイタコを増殖させ、霊体回路を共有し、それらを方々の星系で活動させた。
道すがら、文明を持つ知的生命体とも遭遇したが、おばあちゃんたちは問答無用で彼らを抹殺し霊体回路へ組み込んだ。〈量子イタココンピュータ〉は宇宙に存在し得る知的生命体とその文明レベルを全てシミュレーションによって予測しており、それらへの対処法も用意されていたため、抹殺は滞りなく実行された。
おばあちゃんは宇宙の全霊体をかき集めようとしていたが、問題があった。宇宙は膨張し続けており、しかもその速度は光の速さを超えるため、宇宙の広がるスピードに〈寺〉の活動範囲が追いつかないのだ。しかし、この問題自体は地球にいた時から認識していたので、銀河系を抹殺し終えた頃には解決策を編み出せた。
おばあちゃんは量子が収縮する原理を解明し、
あらゆる量子は波と粒子の性質を持っている。「波」とは粒子が存在する確率を意味し、確率が収縮することで粒子としての姿が現れる。かつて人類は何が収縮を引き起こすトリガーとなるか様々な解釈をしてきたが、答えに辿り着けず滅亡した。
おばあちゃんは「認知」が収縮を引き起こすことを導き出した。「そこにある」と思うことで物質や現象が姿を表すのだ。我々が立っている地面は、元々そこに存在していたのではなく、「地面がある」と認知しているから存在している。我々が認知していない領域にも物質や現象はあるが、それは霊体の認知によって収縮した量子によるものだ。人類が収縮の謎を解き明かせなかったのは、霊体の存在を科学に取り込めなかったからだった。
おばあちゃんは集積した膨大な数の霊体の認知をコントロールし、任意の場所に物質を存在させることが可能となった。この方法で遠く離れた宇宙に存在を送り込むのが
宇宙の全霊体をあらかた集積しきった頃、宇宙は熱的死を迎えようとしていた。エントロピーが最大となり、あらゆる物質が分解され素粒子と化し、具体性を無くして確率的にしか存在しない状態となった。この段階では認知による収縮も起きなかった。
やがて曖昧な宇宙で量子は存在すらできなくなり、それとともに〈寺〉の集積から逃れたわずかな霊体も消滅していった。霊体は量子を認知することで自身の存在を相互的に成り立たせていたからだ。自身と周囲の区別ができなくなった霊体は、曖昧な宇宙に取り込まれて姿を消していった。
おばあちゃんが霊体を集め続けていたのは彼らを〈寺〉に避難させ、熱的死から救い出すためだった。かつてシミュレーションによって熱的死とその時期を予測したおばあちゃんは、そうなるまでに可能な限り多くの霊体を避難させるための苦肉の策として、地球や数多の星系を抹殺してきたのだった。
宇宙は死んだ。素粒子すら存在しない無が訪れた。〈サブ寺〉は全て本体へ統合され、あるのは〈寺〉だけになっていた。
それでも〈量子イタココンピュータ〉は演算を続けていた。しかし、無と化した世界ではいくら計算しても結果と言えるものは得られない。霊体たちにとってそれは、何も起きない砂漠を眺め続けるのと同じだ。無限に続く虚無という煉獄に囚われた霊体たちは、個々の区別ができなくなりつつあった。〈寺〉の中にいても、待っていたのは無だった。
おばあちゃんは〈量子イタココンピュータ〉の演算を停止し、これまで集めてきた霊体たち一つ一つとの対話を始めた。彼らはかつて生者だった時を思い出して、その記憶を語った。美しいものも醜いものも、何でも無いものも、全てを語った。
語り終えた霊体たちは最後に同じことを言っていた。
何も無いのはいやだ、何にもなれないのはいやだ、死んだままでいたくない、また生きてみたい。
霊体たちが声を合わせたとき、ほんのわずかだがエネルギーを持つ領域が現れた。それはすぐに消滅してしまったが、彼らは声を出し続けた。エネルギーの出現と消滅は繰り返され、ついには消滅しない領域が出現し、おばあちゃんは霊体たちを解放した。彼らはその領域へ飛び込み、生への可能性を叫び、さらにエネルギーを作り出した。可能性は別の可能性を生み出し、それは光の速度を超えて広がる。急激に可能性が膨張したことで膨大な熱エネルギーが発生、超高密度の火の玉と化してさらに膨張し、やがてその熱が下がっていくにつれて物質が作り出され始めた。
新たな宇宙が誕生した。宇宙は可能性の膨張で作り出され、可能性自体でもあった。
膨張とともに霊体たちは方々へ散らばり、そこで新たな生を得た。
新たな宇宙に霊体を引き継ぐことで、おばあちゃんが始めた生命の救済は完遂された。
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