量子イタココンピュータおばあちゃん

羊倉ふと

地球編

 おばあちゃんは何でも知っている。宇宙の始まりも、その終わりも、全ての生命を救済する方法も、何もかも知っている。


 黄泉川ミチルは人類最強のイタコだった。

 彼女は17歳でイタコになり、68歳の時に、それまで誰も使うことができなかった伝説上のイタコ奥義である並行口寄パラレルポゼッションを習得した。

 イタコが行う通常の口寄せは強制入換口寄ダイナミックポゼッションと呼ばれ、憑依させた霊体に、イタコの肉体のコントロール権と知覚を奪われてしまう。そのため、強制入換口寄ダイナミックポゼッションを行う際には、憑依状態にあるイタコが逃げ出したり暴れたりしないように、身体を拘束する必要があった。

 しかし、ミチルが習得した並行口寄パラレルポゼッションは肉体のコントロール権をイタコ側が維持したまま、霊体の知覚と思考を共有することができた。このイタコ奥義によって、憑依中でもミチルは霊体の思考能力と認知能力を手にして、自分の意思で行動することができた。


 奥義を身につけたミチルは世界中を旅して、あらゆる悪の組織と戦った。

 国際犯罪組織〈円卓騎士団〉との戦いでは宮本武蔵を、呪術師集団〈八卦〉討伐では安倍晴明を、天才ハッカー軍団〈ノーバディ・ノーウェア〉とのデスゲームではラマヌジャンを憑依させ、彼らの能力を持って幾度となく世界を救った。

 戦いの中で、ミチルのイタコ能力は成長し、二人以上の霊体を同時に憑依させることが可能になった。ミチルは複数の霊体を憑依させることで、その人数分の情報を同時に処理することができた。例えば、計算問題が五個あってそれらを全て解く場合、通常は「問題を解く」という行動を五回繰り返すことになる。ミチルは五人分の霊体を同時に憑依し、彼らに一つずつ問題を処理させることで「問題を解く」行動を一回で五個の計算問題を同時に解き、その答えを認識する事ができた。

 ミチルはこの新たなイタコ奥義である量子口寄クオンタムポゼッションを使って何人もの霊体を自身に憑依させ、彼らを霊体回路として利用することで、驚異的な演算能力を手に入れた。量子口寄クオンタムポゼッションは理論上、憑依できる霊体の数に上限が無い。人間一人分の大きさの中に、無限に霊体回路を増設することができたミチルの演算能力は、あっという間に当時最強と言われていた量子コンピュータ〈烈〉を超えた。


 ミチルは手に入れた演算能力を持って、人類のあらゆる問題の解決に取り組んだ。つまり、エネルギー、環境、自然災害、紛争、宗教の問題である。エネルギーと環境の問題解決は簡単だった。時空外次元から抽出した重力子を燃料とするクリーンな擬似永久機関と、量子効果を利用してエネルギーロスがゼロとなる伝送システムを開発したのだ。当時の科学者の多くは「新たなエネルギー源を得るにはダイソン球を建設するしかない」と主張していたため、この発明はコロンブスの卵だった。さらに擬似永久機関と天候操作呪術を組み合わせることで自然災害の発生を無くした。また、エネルギー問題が解決したことで各地の紛争もほとんど自然消滅していった。宗教に関する問題の解決には流石のミチルも少々手こずったが、最終的に全宗教の経典を論破することで、地球からあらゆる宗教を抹消した。

 ミチルの活躍で地球は完全なユートピアとなった。技術的特異点シンギュラリティはイタコによってもたらされた。


 科学が発展した結果、人類は歳を取らなくなっていた。二十歳の状態で老化が止まり、その時の見た目で寿命まで生きるのである。ミチルは百五十歳となり、同世代の人間は皆死に絶えたため、地球で老人の姿をしているのはミチルだけになっていた。ミチルは全人類から〈おばあちゃん〉と呼ばれ、地球を守護するイタコとして崇められていた。


 地球がユートピアとなってからも、おばあちゃんは量子口寄クオンタムポゼッションによる霊体回路の増設と演算を続けていた。解決するべき問題が無くなってからも、自分には何か果たすべき使命があるはずだと思っていたからだ。遅い、とおばあちゃんは感じていた。理論上は無限に霊体を憑依できるが、おばあちゃん一人では回路増設の効率に限界がある。当時の地球には並行口寄パラレルポゼッションができるイタコは数人いたが、量子口寄クオンタムポゼッションができるイタコはおばあちゃんしかいなかった。

 そこでおばあちゃんは、自身と同じ能力を持つの複製体である〈クローンイタコ〉を製造し、各々に霊体回路の増設をさせた。さらにおばあちゃんと〈クローンイタコ〉たちを量子的に同期し、その回路を遅延ゼロで共有した。こうして構築されたイタコ回路は〈量子イタココンピュータ〉と呼ばれ、彼女たちが霊体を集積するための場所として超構造体建造物〈寺〉が建設された。


 おばあちゃんが二百六歳になった時に、彼女の肉体は限界を迎えていた。ヘルニアが全身の関節に侵食し、身体を少しも動かせなくなったのだ。この問題は、霊体を持たない複製体〈バックアップおばあちゃん〉を製造し、自身の霊体と集積した回路を移すことで解決した。この「生きている自身の霊体を他の肉体に移す」という行為は、それまで前例が無かった全く新しいイタコ奥義であると言えたが、そのことについて驚く者は一人もいなかった。おばあちゃんに不可能は無いと地球の誰もが思っていたからだ。


 それから更に三百年の時が経ち、地球にいる霊体は全て〈寺〉に集積されていた。人間だけでなく、他の動物や微生物、植物の霊体さえも回路に組み込まれ、死を迎え肉体から離れた霊体もその瞬間に集積された。

 地球で最初の生命が誕生してから四十億年間に渡り発生してきた全霊体を集積し、人類と宇宙の行末をシミュレーションしていたおばあちゃんは、ある結果を導き出した。その結果はおばあちゃんには受け入れ難いものだった。何度もシミュレーションし直したが、結果は百パーセントの確率で同じだった。おばあちゃんはその結果を受け入れ、何ができるかを考え抜いた末に、こうすることが自分の真の使命であると確信を持って言った。

「この宇宙の、全ての生命を救済する」

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