第6章(1)水脈へ

 大場スミと僕は灯台へとやって来ていた。それは相変わらず、二つに折れた半身をさらしている。

 レジスタンスたちは問題なく行動しているようだ。浜に所狭しと並べられた車、それに海面を埋める船たち。その向こうに、ぼんやりとミズカラたちの姿が見える。彼らは緩慢な動きで船の手前をうろうろしていた。この分だと、上陸するまでにかなりの時間を稼ぐことができそうだ。

「まずは、入口を開けないと」

 大場スミが誰にともなく言う。

 ここの錠前は番号式だ。〇から九までのキーがあり、四つの数字を正しい順で押し込むことで開錠される。ただし、当たり前のことだがそれでは灯台の内部にしか行けない。

 ある特殊な操作をすることで、この灯台は洞窟内部へつながる門となる。

「私たちが初めて出会った洞窟の行き方、覚えてます?」

 大場スミが錠前をいじりながら思い出話を始める。

「あの古い雑居ビルの?」

「そうです。洞窟への門の開き方で言えば、あそこが一番トリッキーだったと思うんですよね」

「そうかなあ。あの雑居ビルから洞窟に行くには、エレベーターの中で、存在しない十三階のボタンをペンで描くんだったよね。で、その十三階のボタンを押すと、ただの落書きが点灯して――」

「――洞窟へつながる。懐かしいですね」

「うん。ただ、トリッキーかと言われると、そうでもないよ。山の中で、三体並んだ地蔵の頭の向きを変えると洞窟につながるってところもあった」

「げ、それは嫌ですね。ちょっとホラー味が強すぎます」

 そうこう言っているうちに、がちゃりと錠前が外れた。

「そう考えると、ここは至って普通ですね。本来の番号とは違う、やたら長い数字のパターンを入れ込むだけ」

「まあ、気楽でいいじゃない」

「そうですけど。――よし、入りましょう」


 灯台の中は仄暗い。ライトを点灯させて入り込む。

 剥き出しの岩肌。ぴちょん、ぴちょんという水音。

 洞窟が広がっていた。その空間は、明らかに灯台の大きさを超えている。先ほどまで僕らがいた場所とは、異なる次元なのだ。

 大場スミが扉を閉め、内側につっかい棒を挿し込んだ。万が一この中にミズカラが出現した場合、外へ出ないようにという配慮だ。

「水を被りますか?」

「そうだね」

 大場スミからペットボトルをもらい受ける。キャップを外し、頭から注いだ。

 水脈にミズカラたちの姿はない、とのことだったが、ここはまだ水脈ではない。この洞窟を通り、水路を経ることで水脈へ至ることができるのだ。だから、この洞窟内にミズカラが潜んでいたとしてもおかしくない。

 水音や冷気に注意を向ける。ミズカラたちは水から現れるのだ。そして、水を被った僕らの感覚は、普段よりずっと鋭敏になっている。

「真っ直ぐ奥へ。そうすると壊れたシャッターがあって、その向こうに水路が開けているはずです」

 大場スミが囁く。

「壊れたシャッター? おっと」

 左の物陰から突然ミズカラが現れた。伸ばされた腕をかわし、頭部を握り潰しておく。水が散り、胴体が倒れた。やがてそれも水に還るだろう。

 僕の背後では、大場スミが別の一匹を仕留めたようだった。

「シャッターは国が設置したものです。水路へ人員を送り込むために大掛かりな装置を運び込んで、それらを囲うように建てられました。まあ、ミズカラによって破られましたが」

 ミズカラの襲撃など意に介さない様子で、彼女は言った。

 僕は鼻を鳴らす。

「愚かだな。コスパが悪すぎる。シャッターを設置するのにどれだけ犠牲を払ったんだか。なのに、破られるのは一瞬だ」

「コスパって。人命ですよ」

「すまない、言い方が悪かった」

 三匹のミズカラが正面から躍り出た。僕はそのうち二匹へと立て続けにアッパーカットを見舞う。その横で、大場スミが最後の一匹の首を捻じ曲げた。

 破裂音。それから、水風船がしぼむような音。

 僕らは袖口まで濡れている。ミズカラの体液と考えると不快だが、その実はただの水だ。

 目の前に半壊したシャッターが現れる。歪んで裂けた鉄の塊。国の連中は、本当にこれでミズカラたちを退けられると信じていたのだろうか。

 シャッターの残骸を乗り越える。

 その向こうには、巨大な穴が口を開けていた。覗き込むと、横穴から溢れた水流が、底の方へと流れ込んでいる。

「本来なら、防護服を着て、あのアームで吊り下げられながら水脈へ向かうんです」

 大場スミが指さす先には、確かに幾台かのアームが設置されていた。泥にまみれて朽ちかけており、正常に作動するのかどうか甚だ怪しい。

「今の私たちにはおそらく必要ないかと」

「もちろん」

 穴の内部には凹凸があり、足場を探していけば中ほどまで問題なく降りられそうだった。その先は水の流れに身を任せればいい。スリル満点のウォータースライダーだ。

 背後からギョオオッという鳴き声が聞こえた。いつの間にかミズカラが接近していたらしい。

 組み付かれる前に、背負い投げの要領でそいつを投げ飛ばす。そのミズカラは水路内の岩壁に激突して無惨に散った。

「行きましょうか。これ以上ここにいて、また背後を狙われても面倒です」

「そうだな。陸の方は大丈夫だろうか? 船のバリケードはもう突破されたころなんじゃない?」

「まだ船の三分の一にも達していないでしょう。船同士を結び付けて、錨まで下ろしているんです。ミズカラの腕力には到底敵いませんが、やつらは協働するということを知りません。それに、アンカーを外すような知恵も持ち合わせていない」

「なるほど」

 僕らはそれぞれ、ちょうどいい足場を目指して穴を下った。足場は脆く、何度か崩れかけたが、岩壁に手を掛けてしのぐ。クライミングをしている気分だ。

 あっという間に、穴を数十メートル下降する。

「この先は水流に乗るしかないでしょう」

「ぞっとするね」

「どの口が言うんですか」

 穴の奥底を見つめる。そこは、どこまでも黒々としていた。この先、どこをどう流れていくのか見当もつかない。

 横に並んだ大場スミへと目を向ける。彼女は僕へ微笑み返し、小さく頷いた。

 僕らは飛び込む。

 そして、激しい水しぶきの中へと吞み込まれていった。

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