第4章(2)来客

「竹島さんがその人を殺したって?」

 春日さんが怪訝な顔をする。

 面接を終えた僕は彼女に誘われ、「きみどり」へとやって来ていた。僕らのほかに客はおらず、夕子さんは店の奥に引っ込んで皿を洗っている。

「不思議なことを言われたのね。その人は現に生きてるじゃない」

「うん。僕も反論しようと思ったんだけど、何か言う前に追い出されちゃって」

 白井さんは、「もう話すことはない」と僕をつまみ出したのだった。所員に電話でもしそうな雰囲気だったので――事実、彼女はスマートフォンを肩の辺りまで持ち上げていた――僕は混乱したまますごすごと退散するしかなかった。

「本当に、私のときとは態度が違ったのね」

「もっと穏やかだった?」

「そうよ。確かに、にこやかに人と接するタイプではないと思ったけれど、私の話をうんうん頷きながら聞いてくれたし」

「質問にも答えてくれた、と」

「うん。ええと、何聞いたかな? ……また同じことは起こりそうなんですかって聞いたら、まだ何ともって。ご丁寧に、答えられなくてすみません、我々の方でも予測ができるように情報収集を頑張ります、とか何とか言い添えてたわ」

「ふむ」

「あとは、今回の件の原因を聞いてみたの。憶測でもいいからって。そうしたら、確証はないけど、やつらの親玉が復活しそうなのかもって言ってた」

 親玉。神林運輸の社長も口にしていた。国の後を引き継いだレジスタンスがやつらの親玉を倒したことで、人間が襲われなくなったのだと。

「それよりもさ」

 春日さんがグラスを置いた。大柄な氷が一つ、その中でからんと音を立てる。

「本当に身体は何ともないの? もう無茶はしないでって言ったのに」

「ごめん。検査でも問題なかったし、ぴんぴんしてるよ」

 ふくれっ面の春日さんに謝る。納得しているのかしていないのか、彼女は「そう」とだけ言った。

「助けてくれてありがとう。あなたが私たちを守ろうとして盾になったのは分かってるのよ。でも、あんな――」

 彼女の言葉は続かない。僕には、彼女が今何を考えているのか手に取るように分かった。彼女とフユをかばった僕。そして、僕が自らに胸を貫かれるイメージ。

 あれが事実にしろ錯覚にしろ、彼女は強いショックを受けたに違いない。

「心配かけてごめんよ。でも、あの場ではああするしかなかったんだ」

「そう。そうね」

 それだけ言って、彼女は口をつぐんでしまう。僕は何と彼女に声をかけていいか分からない。

 ごまかすようにグラスを傾けていると、玉のれん越しに夕子さんと目が合った。主人の秘密を知ってしまった家政婦さながら、にやにや笑ってこちらをうかがっている。

 春日さんとの関係を、どうやら誤解されたらしい。そう悟った。

「いいわね。若いのね、二人とも」

 そう言って夕子さんはカウンターに戻って来る。

「若いって、何がですか」

「誰が誰を守ったってえ? この色男」

「なんか誤解してません?」

「誤解なんてとんでもない。で、この後はどっちの家にしけこむのさ?」

「ほらやっぱり。話をややこしくしないでください」

 僕らのやり取りを見て、春日さんの顔に笑みがこぼれる。それを見て、僕は安堵した。

 さらに続く夕子さんのからかいを受け流しながら、僕はちょっとした罪の意識を感じていた。

 春日さんは、僕が彼女とフユを守ろうとしたと思っている。それに間違いはない。けれど――。

 海中で意識を取り戻したときのことを思い出す。

 あのとき僕を突き動かしたのは、「春日さんとフユを守りたい」という思いではなかった。それとよく似ている、けれど明らかに非なるものだ。

 ――××を守らなければならないのだ。

 それが誰のことか分からない。ただ、僕が闘い続けようとしたのは、その人を守るために他ならなかった。


 二日ぶりに職場へ顔を出すと、珍しく受付に社長の姿があった。紫苑さんと話し込んでいたらしい。

 事情は電話で伝えてあったが、まずはシフトに穴をあけてしまったことを詫びる。

 すると、相好を崩した社長が僕の肩を叩いた。

「そんなことを気にする必要はない。噂はうちにも届いてる。女の子を守るために大立ち回りしたんだってな。大したもんだ」

 隣で紫苑さんも大げさに頷く。

「聞いたときにはたまげたさ。ただ、同時に心配にもなった。本当に怪我はないんだろうな?」

 紫苑さんがそうやって気にかけてくれるのは、素直にうれしい。ありがとうございます、大丈夫です、と伝えておく。

 社長はにやりと笑ってみせた。

「根目沢くんは今日休みだが――君に代わって連勤してくれたからね――、彼女も話を漏れ聞いて感心していたそうだよ。なんでも、竹島さんならそうすると思います、なんて言っていたらしい。君たち、いつの間にそれほど仲良くなったんだね?」

 隅に置けないなあ、と社長に脇腹の辺りを小突かれる。

 そんな噂が広まっていることなど寝耳に水だった。それに、根目沢さんがそんなふうに言ってくれていたことも。良くも悪くも、僕らは必要なことだけをやり取りするビジネスライクな関係でしかないと思っていた。

「冗談はさておき、今日からまた作業の方を頼むよ」

 そう言って、社長は踵を返し、社長室の方へ歩き始める。

「この後、来客があるんだ。もしかしたら仕事の様子を見に行くかもしれないから、心に留めておいてくれ」

 新しいアルバイトでも雇うのだろうか。

 僕は、はい、と返事をし、紫苑さんと連れだって更衣室へと向かう。

「今日は、前にここで働いていたやつが顔を出しに来るんだ。社長も表には出さないが、喜んでる」

 聞いてもいないのに、紫苑さんは教えてくれた。

「前に働いていた人、ですか?」

「そう。ここを辞めて自分で事業を起こしたらしいんだが、それが軌道に乗って生活が落ち着いてきたから、改めて挨拶に来たいんだと」

「なるほど。すごい人なんですね」

「ああ。いろんな意味でな」

 紫苑さんは遠い眼をしてみせた。

「――雨宮ってやつだよ」

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