第4章(3)呪い

 段ボールを抱える。

 持ち上げる。

 トラックの荷台に積み込む。

 それを飽くことなく繰り返した。僕の向かいでは、紫苑さんが別のコンベアから同じように荷物を上げ下ろししている。煙草をはすに咥え、手拭いを首から掛けた姿は、何というか様になっていた。

 僕はこの単純作業が嫌いではない。コンベアを流れてくる段ボールの動きから、重さをある程度予測できるようになった。腰に負担のかからない段ボールの持ち上げ方も研究済みだ(なるべく腰を垂直に保ったまま、脚で上体を上げ下げするといい)。

 どうやら、それは以前からの――つまり、記憶を失う前からの――性分らしい。気付くと、何かを観察したり、カウントしたりしていることがある。家から職場までに自分が左足から踏み出した回数とか、夕子さんが皿洗い中に咳払いした回数とか。

 そして、それはミズカラに対しても同じだったのだろう。海辺でミズカラが首を回したとき、僕は「方向転換する」と直感した。いわゆる「身体が覚えている」という感覚と同じようなものなのだと思う。つまり、僕は過去に、ミズカラのことをそれだけ注意深く観察してきたのだ。

 僕は何者なのか――ミズカラ討伐に失敗したという国の人間だったのか、それともレジスタンスの一員だったのか。

 そして、調査官の白井さんが告げた、「あなたは、私を殺した」という言葉の意味。

 額から汗が流れるのを感じながら、僕はそれらの疑問を目の前に浮かべ、また胸の空洞へと還していく。

 段ボールを抱える。

 持ち上げる。

 トラックの荷台に積み込む。

 僕はその繰り返しへ没頭していく。全ては、一つの輪になっているのかもしれない。ここで同じ作業を繰り返し、同じ疑問を思い浮かべ、結局答えが出ないまま放り投げる。この堂々巡りの果てに、僕は老い、寿命を迎えるのだ。

 空虚な穴を抱えたまま。

 扉が開いた。

「うわ、懐かしいですね」

 耳慣れない声が聞こえる。

 顔を上げる前から、僕はそれが誰か悟っていた。

 雨宮さん。

 昔ここで働いていた人。根目沢さん曰く、僕によく似ている。

 ちょうど段ボールの流れが途切れたところだ。好奇心に負けて声のした方へ目を向けると、社長と一人の青年の姿が視界に入る。

 大人しそうで、往来で見かけても記憶に残らないような、あまり目立ったところのない人だ。彼が雨宮さんなのだろう。

 紫苑さんが、よっ、という調子で手を上げる。

「お久しぶりです」

「おう。元気か?」

「見てのとおりで」

 さわやかな好青年、という感じだ。

 雨宮さんは社長とともに、こちらへ近寄って来た。

「雨宮と申します。お仕事中にすみません」

「いえ。竹島です。初めまして」

「ここには慣れましたか?」

 大方、新入りがいると社長から聞いてきたのだろう。僕は頷く。

「皆さんが温かく迎えてくださっていますし、おかげで毎日頑張れてます」

「それはよかった。僕のときもそうだったなあ」

 彼がここで働き始めたのにも、何か事情があったのかもしれない。そう考えて、僕は勝手にシンパシーを抱く。

 雨宮さんはその後、何も言わずに僕をじっと見つめた。いや、僕を見ているというよりも、僕を透かして後ろの方を眺めているふうだ。目の焦点が僕を通り越している。それは、少しばかり僕を居心地悪くさせた。

「どうだね?」

 社長が尋ねる。僕ではなく、雨宮さんに。

 この新人には見どころがありそうか、という意味だろうか。しかし、どうにもそんな様子ではない。まるで、機械の具合をチェックするみたいに、それはひどく具体的な質問であるように思えた。

「非常に複雑ですね。それに、欠落が大きすぎる」

 欠落、と聞いてどきりとする。この雨宮という人は、僕の胸の穴を凝視していたのではないだろうか。そんな思いが脳裏をかすめたのだ。

 社長は得心したように頷く。

「やはりそうだろう。君には扱えそうか?」

「すべては無理です。でも、ある程度のところまでなら」

「そうか」

 彼らが何について話しているのか、僕には分からない。

「竹島くん」

 社長の呼びかけに、はい、と居住まいを正して答える。それだけの重みが、その声にはあった。

「もし君さえよければ――ただのお節介かもしれないんだが――この後、少しいいか?」

「大丈夫ですが、一体何を?」

 社長はいつもの調子で指を一本立て、その銃口を僕に向けた。

「君の呪いを解くんだよ」


 がらんどうの部屋で、僕はパイプ椅子に座らされていた。殺風景な部屋の壁にはひびや黒ずみが残り、どこまでも灰色だ。

 ――拷問部屋。そんな言葉がよぎる。

「申し訳ないけど、目隠しをさせてもらいますね」

 そう言って、雨宮さんがアイマスクを僕に手渡す。視覚を奪われることに不安を覚えた。まるでこれから拘束される人質になった気分だ。

 僕がアイマスクを装着すると、オーケー、という雨宮さんの声が聞こえた。

「竹島さんにしてもらうことは特にありません。僕があなたに触れることも、何か道具を使うこともないので、気持ちを落ち着けて座っていてください」

 今から僕の呪いを解いていくのだという。

 社長の業務説明を思い出す。あるモノから禍を切り離し、別々に梱包して然るべきところに送るのだと。呪われたネックレスがあれば、呪いとネックレスを分離させる――今回の場合、ネックレスは僕なのだ。

 社長はどうやら初めて顔を合わせたときから、僕へまとわりついている呪いに気付いていたらしい。ただ、その厄介さから自分たちの手には負えないと判断した。そして、雨宮さんが来社したのをこれ幸いと、助力を依頼したのだそうだ。

 呪いを切り離して梱包する技能において、雨宮さんに肩を並べる者はいないのだという。

 何の音も聞こえない。雨宮さんと社長は何をしているだろう。二人にじっと見下ろされている自分を想像すると、落ち着かなくなる。

 そのうち、じわじわと何かが吸い出されていくような感覚が広がった。僕の中から――胸の穴からだ。非常に複雑ですね、という雨宮さんの言葉どおり、その何かは引っ掛かり、時に後戻りしながら少しずつ滲み出ていく。

「よし」

 雨宮さんの呟きが聞こえる。

 集中しているからなのか、かすれて今にも霧散してしまいそうだ。

「ほどけるか?」

 社長の声。

「改めて見ると、凄まじい入り乱れ方ですね。まるで知恵の輪だ」

 ぐっ、と雨宮さんが喉の奥でうなる。呪いを解く作業は、やはり一筋縄ではいかないらしい。

 呪い。

 これが解けたら、僕は名を取り戻すことができるのだろうか。呪いとやらが記憶の再生を阻害していたとするならば、その見込みもあるに違いない。

「白と黒だ。当然、黒が禍だろう」

「おそらくは。やれるところまでやってみます」

「頼む。しかし、なんて量だ」

「気になりますね。黒が多すぎて、白が少なすぎる。初めて見ます」

 黒が――つまり、呪いが大きすぎる。そして、白が――僕自身が、小さすぎる。二人の会話をひとまずそう解釈した。

 欠落、とはこのことだろうか。小さすぎる僕自身。もし呪いを取り去ってしまったとき、僕に残るものはあるのだろうかと不安を覚える。もし、何かが欠落したまま、ただただ矮小な存在となって生き続けるのだとしたら。記憶を取り戻すことも叶わず、永遠に輪の中を回り続けることになったとしたら。

 ざっ、と雑味を帯びた音が響く。

「動いた?」

 社長が後ずさったらしい。聞いたことのない、困惑をはらんだ声音だ。

 雨宮さんの呼吸が速まっている。苦しそうに。

「抑えました。一体これは……」

「何なんだ。いや、違う」

「そうか、そういうことですね」

 沈黙。僕の胸に働いている引力は、強まったり弱まったりを繰り返す。

「――三つ」

「三つか」

「ええ。白と黒の二つじゃない。です」

「禍が二つ、ということか?」

「いえ。禍は一つだけですね」

 再び沈黙、

 雨宮さんの荒い息だけが、部屋に反響している。ハッハッハ。短く三回。それから、スウッという深い呼吸が一回。それが休むことなく繰り返されていく。

 社長が低く絞り出した。


「じゃあ、――?」


 その瞬間、弾けたように何かが僕の脳裏を横切った。それは耐えようもないくらいに鮮烈で、僕の胸は一気に締め付けられる。

 僕はそれを掴もうと必死になった。どれだけ注意を向けても、その何かはひらりひらりとすり抜けていってしまう。

 胸の穴が、ずきずきと脈打った。

 記憶の触手を、引き裂けそうなほどに伸ばす。そうしてやっと手に入れたそれは、文字列の形をしていた。

 僕は誰にも聞こえない声で呟く。

 ――

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