第5話


「痛……」


魔草の採集がちょうど最深部の折り返しに差し掛かった頃、リリアは何かに頭をぶつけて苦痛に顔を歪める。


下ばかり見ていたので気づかなかったのだ。

頭頭を押さえてさすりながら顔を上げる。


壁に大きな門枠があり、その部分が出っ張りになっている。そこに頭をぶつけたらしい。


「忘れてた……意味無し扉だ」


痛みを堪えながらリリアは呟いた。

目の前の門枠はかつてこのダンジョンを最初に踏破した探索者が見つけたと言われているものである。


大きな扉はあるもののその扉を開いてもその先には壁があるだけで他にはなにもない。


扉としてなんの意味もなしていないこの扉は最深部を最初に見つけた探索者たちの落胆の気持ちから皮肉をこめて「意味無し扉」と呼ばれていた。


その向こうに何もないことはリリアも一度確認して知っている。

探索者になり、初めてこのダンジョンに潜った駆け出しの探索者は扉を開けてその先に何もないことを確認するのが定番である。


そこには「一見立派に見えるダンジョンでも実りが少ないこともある」という探索者の心得的な何かが込められているらしいが、もはや「ダンジョン初攻略の記念」程度に考えている探索者も多いようだ。


リリアはじっと扉を見つめていた。

前に見た時とその姿かたちは変わっていない。


それなのに不思議と目が離せなかった。そんなはずはないとわかっているのに扉の向こうにまだダンジョンが続いているような気がしたのだ。


無意識のうちに足は扉の真下に向かっていた。

その扉の取っ手に自然と手がかかる。リリアの身長の何倍もある扉は意外にもさほど重くなく、リリアが取っ手を引くと「ギギ……ギ」と金属のこすれる音とともにゆっくりと開いた。


「なにこれ……」


リリアは思わず絶句して、手に持っていた魔草を入れた鞄を落としそうになった。

黒い何かがそこにはあった。

本来そこはただの壁になっているはずである。

それなのにリリアの目に映ったのは扉の向こう一面を埋め尽くす暗い闇だった。


ゆらゆらと波立つそれは不気味だった。

リリアは視界を凝らす。


闇の向こうで何かが動いた気がした。

普段ならば危険だと判断してすぐに距離をとっただろう。


だが、どういうわけかその闇から目が離せない。

一歩一歩足が前に進む。


右手を伸ばし、その闇に触れようとする。


「ダメだ。危ない。離れなきゃ」


頭ではそうわかっているはずなのに湧き出るようにあふれる好奇心が抑えられない。


その手が闇に触れようとした。


「ひやあっ!」


間抜けな悲鳴が最深部に響く。リリアの悲鳴だ。

闇に触れたことで何かが起こったわけではない。リリアが触れるよりも前にそれは起こったのだ。


腕が闇の中からぬうと出てきたのである。筋張った男性らしい腕だった。

その予想にもしていない出来事にリリアは奇妙な悲鳴を上げて、後ろに飛び去り倒れてしまう。


出てきたのは腕だけではなく、胸や足、肩と順番に全身が見えてくる。

最後に顔が闇の中から現れる。


「ふう……ようやく出られたか。なんとなく見覚えがあるぞここ……」


闇の中から出てきた男は肩や腰に付いた汚れをはたいて落とす。

彼が出てきた闇はいつの間にか消えていて、リリアが以前見た通りの壁に戻っている。


「あ……あ……あの」


状況が理解できず、リリアは混乱していた。

なんとか絞り出したその言葉で男はリリアの存在に気が付いたらしい。


「お……? 人だ。同業か? 悪いな、ここは俺が先に……」


男の言葉を遮るようにダンジョン内に「ゴゴゴゴゴ……」という妙な音が響き渡る。

それと同時にダンジョン内が大きく揺れる。


「な……なに?」


未経験の異常事態が続き、リリアは頭を抱えるようにしてその場に這いつくばる。その背中に男の激が飛ぶ。


「何してんだ! 崩れるぞ!」


男の言葉の意味をリリアは一瞬では理解できなかった。

反応の遅いリリアを見て男が舌打ちと共に走り出した。


男はリリアの隣に立つとその腰をひょいと持ち上げて肩に担ぐ。


「え……? えっ?」


リアクションが間に合わないまま、男は走り出した。

今まで、どんなダンジョンだろうとリリアは慎重に行動してきた。


一歩ずつ踏みしめるように進み、危険が少なくなるように努めてきた。

パーティーメンバーから「役立たず」と言われようともその信念を変えなかった。


そんな彼女にとって男のとった行動は信じられないものだった。

彼はリリアをその肩に担いだまま、ダンジョン内を出口に向かって走り始めたのである。


魔物も罠もすべてを無視して。

男に抱えられているリリアの視点はダンジョンの床しか映らない。

その視界が左右に揺れて、時には斜めになって、気持ちが悪くなるほどにグラグラと揺れていた。

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