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 クロックがバスケット部を一年で辞めたのにはもちろんそれなりの理由があった。一般的には、当時三年生の先輩をメチャクチャに殴ったからだと言われている。殴った理由については一般的にはこんな風に伝わっている。

 クロックは中学の頃からバスケット部のスタープレイヤーだった。オフェンスとしてのパワフルで正確な攻撃力は高く評価されていた。地区内でダンクシュートを決められるのはクロックだけだった。中学最後の大会では地区優勝もしていたし、外国との親善試合にも選抜されたこともあった。高校入学と同時にバスケット部に即入部し、あっと言う間にレギュラーの座を獲得していた。攻撃力に今一つ欠ける我が校のバスケット部にとって、クロックの存在はなくてはならないものになっていった。試合ではいつも得点の三分の二はクロックによるものだった。敵にどんなにマークされても、どんなパワープレイヤーがゴール下で壁を築いても、クロックはものともせずマークを振り払いその強固な壁を打ち砕き得点する。クロックのプレーはまばゆく光輝き、他の者を圧倒した。観客は次の予測のつかない行動に何が起こるのかを期待するのだ。周囲を照らす太陽がクロックだった。しかし、光があれば必ずどこかに影が存在するように、みんなから期待を寄せられるクロックを良く思わない輩もいたのだった。それも同じチームの中に。

 クロックがまだレギュラーにもなっていない他校との練習試合の時だった。練習試合は我が校の体育館で行われた。クロックは前半戦をいつものように順調に得点をかさねていった。ダンクシュートを決め、3Pシュートを決め、マークがつき始める頃にはもう時既に遅く、クロックは完全に自分のペースでゲームを支配していた。前半戦終了の時の得点は三十六対八と完全に敵を突き放した。

 もともと新人の力量を見るための試合ということもあって、クロックは後半戦は外されお役御免となった。不穏な空気に気づいたのはその時からだったらしい。

 後半戦の最中、誰もいない更衣室のベンチでスポーツドリンクを飲んで休憩しているクロックにある一人の二年の先輩から声がかかった。ちょっと体育館の裏に来いよ、と。

クロックはそこで「お前やるなぁ、さすがだよ、凄いよ」「そんな謙遜するなよ。もっと自分を出せよ」「エッ、ほら?」「オイ、調子にのんじゃねえぞ」「たかが練習試合でいい気になりやがって、調子にのってんじゃねえぞ」「何とか言えよ。アアッ」「ちょっとばっか上手いからってのぼせやがって、何黙ってんだコラ!」と全く会話にならない因縁をふっかけられた。

 その二年の先輩は、一応レギュラーだけどクラブの中でもあまり上手い方ではなく、その時点でもうクロックとは比べるのがかわいそうなくらいの実力の持ち主だった。きっとレギュラーの座を奪われると思ったのだろう。

 その先輩はクロックの胸ぐらをひっつかみロッカーに突き飛ばした。クロックはそこに背中から倒れ、ロッカーは凄い音を立てて形が変わってしまった。だがクロックは何くわぬ顔で立ち上がった。あらためて先輩の前に立ちはだかり、その目をじっと見た。

「てめえ、何ガンくれてんだ。何だその面は」

 クロックは冷やかな表情で何も言わなかった。そして先輩は怒りにまかせて右の拳をクロックに向けて発射した。先輩は顔面を狙ったつもりだったがクロックはあっさりそれをかわした。クロックの反撃はわずか一発だった。右のストレートを先輩の背にしていたロッカーに叩き込んだ。スチール製のロッカーには拳の形の穴が開いた。そのパンチの軌道のすぐ横には先輩の左耳があった。先輩はその場のへたりこみ、クロックはその場を立ち去った。

 試合は結局五十八対四十六で我が校の勝利に終わった。後半戦は我が校の新人選手は余り活躍せず、また他校は三年生を投入したため、試合内容はまずまずのものになった。

 その後、二年の先輩はレギュラーから外され、クロックはレギュラーの座を獲得した。そして着実に地区内で名を知らしめていった。同時にクロックにはある三年の先輩からの強烈なしごきが始まった。

「お前はまだまだ甘い」

 その三年の先輩は毎日のようにクロックをしごいた。ボールを持たさずランニングと腕立てと腹筋と背筋の繰り返し、繰り返し・・・。たまにボールを持ってもドリブルの練習、ドリブルドリブルドリブル・・・。シュート練習をすれば全部千本単位。フリースロー千本、レイアップ千本、ディフェンスつきで千本・・・。ちょっとしたミスでも「下手くそ」と怒鳴り、「試合が近い」と言っては特別メニューでクロックをしごいた。練習中の休憩時間も座ることは許されなかった。試合の前日でも練習は行われた。休養日のまるでない月もあった。きちんとした(親が死ぬくらいの)理由じゃないと、休むことすら許されていなかった。

 その先輩はキャプテンではなかったが、実質上バスケット部を牛耳っていた。スピードとテクニックは地区内一と言われ、実力では誰もかなわなかった。身長も百九十センチにあとちょっとというところで、性格も攻撃的で高圧的だった。まず言葉と体躯で他人を威圧して後は自分の思い通りに従わせるような奴だった。当時のキャプテンはその先輩に推薦(任命)されたらしい。

 ともかくクロックはそのしごき全部に耐えた。何を言われても全部こなそうとして、全部こなした。ところがつきあわされた周りの同じ一年生には到底耐えられることではなかった。二十人いた新入部員はしごきが始まって一ヶ月で半分になった。さらにその半分は秋の大会を待たずに逃げ出す態勢だった。一年生のほとんどが巻き込まれないうちに退散するべきだと考えていた。一連のしごきがクロックを気に喰わない一人の先輩による感情的なものであることはみんな薄々気づいていたし、誰もその先輩に意見しなかったし、上級生は全員必死に食いついて来るクロックを面白がっていた。

 一年生部員の数は徐々に減っていった。でも練習はいつも通りだった。

 ある日の放課後、その先輩と二人っきりになったクロックは「自分がしごかれるのは構わないがこれ以上部員が減るのはまずい」と直に言った。「練習メニューはお前の口に出すことじゃねえ」と一蹴された。そして口論が起こり・・・。

 その三年の先輩は折れた計六本の歯をあらたにして、今実業団で活躍しているらしい。

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