9(1)

 この国に正式な軍隊が発足されてから五年。年が経つごとにその規模は拡大され、他国にひけをとらぬ強大なものになった。

 激動の世界はこの国のまだ生まれて間もない軍隊を必要とし、政府は何度となく兵士を派遣した。そしてその活躍を僕は真夜中のCNNで幾度も聞いた。


 僕は新聞やニュースで戦争のことが取り沙汰されるたびに半年以上も前に軍隊に入隊した友人のことを思い出した。彼はいつも僕に言っていた。彼は世界を批判していた。この国を批判していた。この学校を批判していた。そして彼自身を批判していた。

「このままじゃダメだ」そう言って彼は自分を卑下し、自分に厳しくあろうとした。歯を喰いしばり目を吊り上げ拳を握りしめていた。

 彼は僕が入学した時の一番目の友人らしい友人と言えた。だが話しを聞いているうちに彼の心の中の深刻な問題にも徐々に触れて行くカタチになった。

 彼は必ずどこかにいる物事が上手くいかないというタイプで、人が会話する上での基本的な表現能力が決定的に欠けていた。要するに口ベタなのだ。思うことがあって口にしてもボキャブラリーの不足で相手に思うように気持ちを伝えられなかった。勉強も飲み込みが悪くふてくされてタバコも吸うが、せきこむ有様だった。彼の言うことはなかなか理解し難く、みんな首を傾げることをムキになって喋った。感情に任せて言葉を放つだけで言っていることに筋がないのだ。僕は彼のそのもどかしさを理解していた。彼の一つ一つの言葉を僕なりの表現に直して交流を深めた。僕も昔一時的に表現の仕方に戸惑ったことがあるので彼の気持ちはわかるような気がした。

 当時から彼は今現在の僕同様、通っている学校に対して不満の声を上げていた。特に両親の離婚が決まってまだ間もなかったので、苛立ちはつのるばかりのようだった。彼は母親と一緒に暮らすようだ。父親は思いきり殴ったと言っていた。

「本当にこの学校はクズばっかだな。イライラしてくる」と彼は言葉を強めて言った。「殴ってやりたくなるぜ。俺が親父をやった時みたいに」

「そんなこと言うなよ」と当時の僕は言った。どう考えても彼の方が分が悪いからだ。変に焚き付けるようなことは逆効果だ。「イライラする気持ちはわからないでもないけどさ」

「目だよ目。死んでんだよ。どいつもこいつも」

「じゃ、僕も死んでるのかな?」

「お前は・・・」と彼は僕の目をジッと見た。「お前は死んでないよ。今は何かがお前の目を曇らせてるけど、その奥に少なくとも周りの奴らとは違う光がある」

「へえ、そうかな」と僕は首をかしげた。

 その時のことを思い出すと僕は彼に会いたくなる。今でも僕の目は死んでないだろうか?僕の目を何が曇らせ、何が潜んでるんだろうか?

 彼はある日突然学校を辞めた。誰にもその理由は話さなかった。僕にでさえも。

 彼が軍隊に入隊したのを知ったのはもっとずいぶん後のことだった。あるTV番組の新人隊員のインタビューに彼が出ているのを僕は見た。その時の彼はもう迷わないという鋭利で精悍な顔つきだった。


 土曜日。

 学校は昼を待たずに早く終わる。喜ぶべき週末の始まりなのに、僕の胸の岸辺にはいつも決って退屈なさざ波が静かにパシャッ、と音を立てる。思えばここ半年間、僕の週末は呆れるほど決まったサイクルで動き続けている。いや、生活そのものが決められた枠の中をはみ出すことなく、規則正しく回り続けている。まだ空回りする車の中を必死で走り続けるリスの方が僕よりましだと思った。彼らは疲れたら車から降りればいいのだ。そうすればまた別のリスが車を回すだろう。

 退屈が嫌なら薬でも飲めよ。そういう奴もいる。街にはいよいよいかがわしい薬が溢れ、学生のほんの小遣い程度の金で一時的な狂楽に身を委ねることができた。つい最近もどこかのアホな女子大生が薬の飲み過ぎで死んだと新聞に書いてあった。僕と同世代の連中は、海を渡ってやって来た魅惑の粉を平然と吸っていた。先のことなど必要ない。今だけあればいいのだ。

 学校に持って来る馬鹿もいた。それはキドリ一派だった。うちの学校に所持品検査がめったにないことをいいことに、粗悪な薬を一部の生徒に安価で売っていた。今や悪名高い渋谷ドラッグスラムに知合いがいるんだか、出入りしているんだか知らないけれど僕も売りつけられそうになったことがある。キドリはわざとスラムに出入りしていることを言いふらしている。あそこは名前が出るだけで敬遠される場所でもあるが、十代の不良少年たちにとっては憧れの場所でもあるのだ。僕が因縁をふっかけられた時、幸いにもクロックがその場をおさめてくれた。

「かかりつけの医者に止められてるんで」と僕が言うと、キドリはこめかみをぴくりとさせて僕に掴みかかろうとしたが、クロックの登場でそうはならなかった。

「先輩、こいつ俺のダチなんすよ。あとで言っときますから勘弁してもらえないすかね」とクロックが僕の肩を優しく掴んでキドリにそう言った。

 その場はキドリの「失せろ」の一言でことは済んだ。

 キドリは確かに喧嘩っぱやく危ない奴だと言われていたが、クロック相手に無茶するのはさすがに馬鹿げていると思ったのだろうか。その頃クロックがバスケ部の先輩をめちゃくちゃに殴ったことはかなり有名だったのだ。バスケ部の先輩とキドリがどんな関係だったかは知らないが、キドリはその先輩を「喧嘩を売ってはいけない手帳」にリストアップしていたに違いない。

 何かの本に大麻や覚醒剤は、脳の覚醒と破壊を促す諸刃の剣だと書いてあった。欧米のそれに比べれば、まだまだこの国も及ばない部分もあるが、人の覚醒を促進する効果が全く理解されていない点では、どっこいのようだ。ひょっとしたら十代の連中みんなは本能的に察しているのかも知れない。だからみんな先のことなどどうでも良かったのだ。数年続いた良好な環境での単細胞生物の急激な増殖のようなこの国の好況は、やがて訪れるであろう没落の落し穴を否が応でも予感させていた。

 未来はない。

 東京のデカダンスはやがて来る無慈悲で破壊的暴力的な竜巻を呼ぶセレモニーに思えるのは僕だけじゃないはずだ。


 僕は三時八分前にアルバイトのタイムカードを押すと、すぐにエプロンをつけて販売機の補充を始めた。店には社員一号と二号、バイトの先輩一号から三号とニワトリとメンバー揃いぶみだった。ニワトリがカウンターの中でせっせっと忙しそうにしていたが、目を合わせずにできるだけ無機質に「おはようございます」と挨拶した。ニワトリは最近何を血迷ったか白髪混じりだった頭をいきなり紫で染めた。それも壁の落書きに使うスプレーでぶっかけたような品のない紫だった。みんなは怖くてそれについてコメントを控えていたが、本人不在の時には必ず「トサカが紫、トサカが紫」と呪文のように唱えていた。僕も初めてそれを見た時は、笑いを堪えるのに一食分のエネルギーを使ってしまった。

 僕を見たニワトリは「忙しいんだから、早く販売機終わらせてよ」と僕に向かって耳に障る不快な高い声で言った。僕は台車に積んだコーラ二十四本入りのケースをぶん投げてやろうかと思ったが重たいからやめた。ムキになるほど馬鹿馬鹿しくなるだけだった。なるほどセンター内は土曜日だけあって人の入りも良く、ボーリングレーンも八割お客で埋まっていたし、ジュースの売れもなかなかのものだ。僕は台車に積めるだけ缶ジュースのケースを積んで、空腹で余計な神経をすり減らしている販売機に果敢に挑んだ。

 販売機の補充で一番困るのは、頭の悪いお客が前扉を開けているのにお金を入れることだ。声をかけるのが遅ければボタンを押して販売口に手を入れ「あれ、ないぞ?」と言う始末だ。どう考えても前扉の開いた販売機は係員が作業しているとわかるはずなのに、勝手にお金を入れて「どれにしようか」なんて迷っている神経が僕にはわからない。以前タバコの販売機で勝手にお金を入れてボタンを押した客ともめたことがある。僕がいるのを気づかず「あれねえな」と言っていた。望んだタバコは受け口に入らず地面に落ちた。僕がはいと渡すとなんだその態度はフザケンナテメエといきなり怒鳴った。胸をつかみ顔を張って馬鹿呼ばわりまでしたので頭にきてそいつの足を踏んでやった。現場を見ていた支配人が割って入りその場は収まったが僕は凄く損した気分だった。だからもう僕は怒らない。疲れるから。

 僕が二階の缶ジュースの販売機を全て片付け、締めくくりであるコーラの瓶の方の販売機を補充していると、意外な人物を発見した。その人物とは直伝後輩だった。彼はレーンに降りる階段の手前のボール置き場に立っていた。彼は『ニュー・バランス』の紺色のTシャツに左膝の破れたなかなかいい色に履き込んだジーンズを履いていた。露になった細い腕の内部には精巧なバネのような筋肉が仕掛けられていた。その直伝後輩はボール置き場でどうやら自分の手に合うボールを捜しているようだった。

「君の手にあうのならたぶん向こうの方だぜ」と直伝後輩のそばに寄って、僕は声をかけた。彼が探しているあたりは十二ポンドばかりが置いてあるコーナーで、指のサイズはみんな一律同じに作られていて、ここになければボールのサイズを上げるしかない。

 直伝後輩は一目で僕が誰なのか気づいたようだ。「あー」と言って笑いながら「あー、顔面にちょく・・・いや、先輩の同級の・・・」

「顔にボールが直撃が何だって」と僕はわざと大げさに言った。

「す、すいません。笑って」と直伝後輩は本当に申し訳なさそうに言った。

「いや、いいんだよ。ホントだから」と僕は笑って言った。「ところでどうしてここに?こっちに住んでるの?」

 直伝後輩はボールを探すのをやめて僕に向き直った。直伝後輩はきっと誰に対しても人の目を見て話すに違いない。その目は正直さに満ちて輝いていた。

「ええ、成増なんですけど。たまたま今日家族で親戚の家に遊びに来てて、あ、ほら、あっちのレーンでいるのがそうなんですけど・・・。先輩はそのカッコからするとバイトですか?」と直伝後輩は察しのいいことを言った。直伝後輩に先輩なんて言われると何だかこそばゆく感じる。

「ああ、まあね」と僕は慌てて後ろにカウンターがあることを思い出した。サッと後ろを振り向くとニワトリは奥に引っ込んでいるらしく、コーヒーを立ててる先輩三号の姿しか見えなかった。僕はすかさずカウンターの死角に入った。

「何かまずいことでもありました?」と直伝後輩は言った。「俺と話してちゃまずかったですかね?」

「いや別に。気にしないでよ。へー成増なんだ。あ、そうか。あいつと中学一緒だっけ?」と僕は言った。「ところであの時は球拾い係でずっと午前中バスケのゲームを見てたけど、うまいね。感心したよ。優勝しちゃうんだもん。あれほとんど君の手柄だろ」

「いや、あんなの」と嫌味なく直伝後輩は謙遜した。「ありがとうございます」

「バスケ部何だろ?部活の方はどう?順調?」僕は何だか直伝後輩のことが気に入り出した。僕はクラブの先輩後輩の関係には無縁だったけど、こんな後輩ならいても悪くないなと思った。クロックが羨ましく思える。

「本当は先輩と全国でも目指したかったんですけどね。まさか去年あんなことがあったなんて」と直伝後輩はがっかりしたように言った。「まあ、今さらそんなこと言ってもしょうがないから自分なりに目指しますよ。上を」

「知ってたんだ」と僕は言った。「そのことを知った時はきっとショックだったんじゃないの?」

「ええ、それなりにショックでしたよ。先輩が辞めたのは今年に入ってから本人から聞きました。ただ、その時は今年一緒にやれなくなったって電話があって。事情はその時話してくれませんでした。それからだいたいの理由は入部してすぐ他の先輩から聞かされました。あのままだったら嫌なイビリの伝統がきっと今も続いていたって」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る