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 僕の住んでいるところは豊島区の東長崎だ。駅を挟んで両側に二つの大きな商店街がある割と活気に溢れた町だ。定期的に福引や大売り出しや縁日、夏祭りを行ってお客を集めている。僕の家はそこから少し離れた住宅街にある。商店街の賑やかさに比べてこっちの方はいつもひっそりとしていて僕はその雰囲気を寂しく感じながらも嫌いではなかった。静かな日曜日に空を行くヘリコプターの音や電線にとまる鳩の声を聞きながら洗濯物を干していると、何故だかわからないけど世界が僕を中心に回っているような気がした。

 自分で言うのも何だけど、僕は豊島区ののんびりした雰囲気が好きだ。板橋は少しうるさそうだし練馬は空気が静かすぎる。豊島区は喧騒と静寂のバランスが上手く調和しているのだ。だから豊島区の住民はみんな疲れた表情をあまりしない。

 ただ豊島区の住民が一つだけ悩みを抱えているとすればそれは『豊島園』について他人に上手く説明するということだった。人は言う。まず豊島園の存在を知っていながら行ったことのない人は「豊島園は豊島区にあるんじゃないの?」と言う。そしてその答えは「ない」だ。一度でも豊島園に行ったことのある人は「豊島園なのに練馬区にあるの?」と言う。でも誰も正確にそのことを解答できる住民は豊島区に一割といない。練馬区民にも同じ様なことが言える。たぶん千葉県の浦安市民も神奈川県の川崎市民も同じ様な悩みを抱えているに違いない、と僕は思う。

 僕はいつも朝七時前に目覚めて自分で作った簡単な朝食をとってから七時十五分には家を出る。七時半をまわってからでは遅刻してしまう。自転車の篭にカバンを突っ込んで駅に向かう。駅までの所用時間はだいたい五分くらいだった。夏場はいいが、冬場は五分でも外には出ていたくはない。駅には駐輪場があったが、スペースが狭く近日中に有料になるとのことだった。そうなると僕は駅に歩いて行かなくてはならなくなる。面倒だけどこの辺には自転車を一日中置いておける場所なんてない。僕はそろそろ駅まで歩いて行くことを本気で考えなくてはならない。

 いつもの時間に電車に乗り僕は池袋に向かう。池袋の駅は七時を過ぎた時点でかなりの人が混みあうが、八時を過ぎるともっと凄いことになる。凄いことにはもうこりごりなのでなるべく電車はきちんと時間通りに乗るようにしている。凄いことに巻き込まれると朝から疲れてしまい学校どころではなくなってしまう。山手線に乗り品川駅につくと後は京浜急行に乗るだけだ。入学当初は山手線に乗る寿司詰めの三十分に嫌気がさしたが、人が乗り降りする場所を把握しさえすれば本を読むことだってできたし座ることも可能だった。僕はこの三十分間に好きな本を読み、テストの時必要であれば単語帳をめくった。

 京浜急行を降りて、歩いて十分弱で学校に辿り着く。途中の行き方は何通りかあるが僕はだいたい公園と隣接した野球場を横切るコースを取る。まあこれは個人の趣味というか気分みたいなものでたまにコースが変わることもある。

 そうして僕の目の前に学校が現れる。あらゆる可能性と希望を叶える健全なる空間。でもあらゆる可能性とは極めて限定された選択肢のことだと僕は最近薄々感づいていた。

 家から学校までの所用時間は一時間強。生徒の中では平均を少し上回る数字だ。確か最高は二時間だっけ。よく来るものだ。そうして僕は八時半までに席に着いて、いつものように授業を受けるわけだ。あらゆるカノウセイのために。

 僕の学校は品川の埋立地のはずれの運河の横にあった。高速道路もモノレールもそばを通っていた。周囲には工場や倉庫やコンテナが建ち並んでいた。創立は去年で二十五周年を迎えたらしい。校舎はあちこち傷んでいる二年生のB棟(通称:二年棟)や、文化部の部室があるD棟(通称:北館)以外は新しくて割と綺麗だった。三年生や一年生のいるA棟や、C棟には大型プロジェクターのある視聴覚室やらビデオで学習する英語学習室やらの勉強意欲をそそる近代的ハイテク設備があったが、二年棟には薬品臭いマッドな科学者の研究室みたいな化学実験室やら生物の標本室やら普段率先して足を踏み入れたくないような所が豊富だった。二年棟は半分鉄筋半分木造の四階建てで二十五年前は白かったと思われる壁も所々に日焼けによるシミ・ソバカスが見られた。廊下の壁は穴だらけだし、トイレには水の流れない便器があったりもした。校内放送が聞こえない教室もあった。諸々の事情で三年棟、一年棟、体育館、プールと優先順に工事を順々にこなしていったら二年棟にかかる前に予算がなくなったらしい。みんなあと一年間この汚い校舎で授業を受けるのかとぼやいていた。でも、僕は他の棟にはなくて、二年棟にしかないある魅力的な点を知っていた。

 学校の屋上からは近くの京浜運河やら団地やらその向こうの埠頭のコンテナクレーンが見えた。その中でも二年棟は四階建てで、他の棟より一階高いため、屋上からの景色が素晴らしかった。クロックや僕や他の連中はよく二年棟の屋上にタバコを吸いに行った。二年棟の屋上は去年の秋以来施錠されていたが、何者かがぶち壊して以来そのままになっていた。みんなはそこでタバコを夢中で吸っていた。授業の最中に、休み時間に、誰かがここでタバコを吸っていた。「プクイチするか?」はみんなの合言葉だった。僕はどちらかというとタバコを吸うよりも外の景色を見ている方が好きだった。特に雲一つない晴れた日に遥か向こうに見える富士山は素晴らしく綺麗だった。また埠頭のある方向には赤いキリンのように稟々しく並び立ったコンテナクレーンが幾つも見えるパノラマのような風景も好きだった。ここからは空港の方角に東京エデンの女神像も見える。飛行機だって毎日ガンガン飛んでる。でもみんなはタバコを吸いながら覚え始めたパチンコや麻雀の話しに夢中になっていた。みんなの視界に大空と大地は目に入らない。ダニエル・キイスの話しなんて誰もしない。サラ・パレッキーもパーネル・ホールもみんなのお呼びではないのだ。ちょっとした目先の楽しいことやこづかい稼ぎに夢中になっていた。みんなそういうことだけは大人になりたがっていた。大人たちのする楽しいわずかな部分だけやりたがっていた。この先あることを先取りしようと躍起になっていた。僕だって「今はできないけれど近い将来やって来る楽しいこと」に憧れていないわけじゃない。僕だって早く大人になってみたかった。だけど僕にはまだそれを良しとしない何かが心の中で僕自身を引きとめていた。

 何が僕を引きとめるのだろう?

 その何かのせいだろうか?僕の見解や意見はみんなのそれとは若干ずれているようだった。最初は気づかないけれど、後で気になって首を傾げるようなずれ。ユーモアやナンセンスのずれではない。僕はどこにも収まらない歪んだ窓枠みたいなものが、僕自身の口から放たれるのを感じとっていた。

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