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 その年の四月、僕は高校二年生になった。近所の桜並木も例年のごとく咲き、そして散っていた。風のない夜に桜の花びらが枝を離れる時、どんな音が聞こえるのだろうか?そんなことを考えている間に僕は進級していた。しかし、進級しても僕自身は何も変わっていないように思えた。事実肉体的変化も顕著に見られず、相変わらず僕は僕のペースで新陳代謝していた。精神的になんか何一つ変わっていなかった。

 変化したのは僕の周辺ばかりだった。四月になってからというもの、僕の周辺は慌ただしくその姿を変えていった。まず身近なものでは、学生証が変わった。灰色の学生証は青色に変わり証明写真が新しくなった。写真は去年の冬頃撮ったスナップ写真を切り抜いて使った。この頃の僕の顔は何だか自分の顔に見えなかった。まるで鏡に映した時計板を見るように空間的に逆転したような存在だった。残りの背景の部分は捨ててしまったので何の写真だったか思い出せない。きっと写っていたのはろくなもんじゃない。

 次に教室が変わった。慣れ親しんだ教室を離れることは少し不安だったけれど、教室なんてどこもその学校に関して言えばどれも同じ大きさで同じレイアウトだから入口に入って五分で新しい教室に慣れてしまった。三階なので階段の昇り降りが面倒になった。机の位置が変わったのは妙な気分だった。去年は廊下から二列目の一番後ろだったから感じなかったけれど今年はその位置から二つほど前に移り自分の背中が見られているのかと思うと馬鹿みたいな話しだけれど少し緊張した。

 当然ながら僕の机の周辺も変わった。新しいクラス編成となり、ほとんど知らない顔の連中がクラスの七割は占めていた。僕の周辺にいる前後左右斜めの八人の中で去年のクラスが一緒だったのはたったの二人だった。僕の席の左斜め前にいるのがそのうちの一人で、去年も席が近かったので僕とは割に親しかった。『クロック(柱時計)』というのが僕が心の中で勝手につけた彼の仇名だった。

 クロックは僕なんかとは違う、別の世界の住人のようだった。クロックは僕より十五センチも背が高く、1.5リットルのペットボトルみたいに大きな身体をしているが動作は俊敏できびきびしていた。頭の回転は早く性格は良く言えばおおらか、悪く言えば大ざっぱだった。そしていつも明るく寛容な精神の持ち主だった。クロックは僕と帰り道が途中の池袋まで一緒なので、たまに時間がある時はロードショーを見たり、ゲームセンターに行って遊んでいた。池袋を経由して学校に来る同級生は余りいなかったからクロックの存在は結構貴重だった。住んでいる街が違うだけで話しが噛み合わない奴らが一杯いたからだ。クロックはバスケットボール部に所属していたこともあって運動部の連中とも知合いは多く、他のクラスにもたくさんの友人がいたようだ。だいたい休み時間はクロックの周りに人が集まりワイワイ賑やかだった。そのせいか知合いのほとんどいない今のクラスで孤独を感じる時間が少なくなった。一つの集団が輪を作れば、クロックは自然とその中心におさまっていた。自分の意志に関わらず背中を押されてその中心に座らせられたのだとしても、僕にはそれがクロックの自然な姿に見えた。自然の摂理がそうであるように集団は必ずその長を求めるものなのだ。

 クロックは去年までバスケットボール部に所属していた。その腕前もなかなかのもので一年生の時の新人戦ではスターティングメンバーに抜擢されるほどだ。僕の見解だがバスケットのうまい奴は例外なく運動神経が良い。クロックもその例に洩れずサッカーも野球もバレーも体育の時間は大活躍だった。キックオフゴールを決めたり、一試合に必ず二本ランニングホームランを打ったり、ドライブサーブができたり、クロックの参加するゲームは誰もが熱狂し、歓声を上げた。それぐらいのスーパースターは隣のクラスにいるかも知れない。何のスポーツをやらしても様になる奴。でもそんなのはたいていワンマンなプレーで一部で反感を買うような奴だ。クロックは違う。クロックの凄いところはそれだけではなかった。クロックはおよそ味方に対しては均等にバスケットでもサッカーでもパスを送り、誰にでもシュートチャンスを与えた。決して上手さをひけらかすワンマンプレーをせず、誰もが楽しくプレーすることができた。もちろんあまり上手くないこの僕でさえも。

 クロックは人が集まり賑やかになると僕の方に振り向いて「お前はどうだ?」とか「それは違うよな~」と意見を求める時がある。その話題に対して僕が全く門外漢だった時でもクロックは僕に振り向く。クロックの友達の目からは僕とクロックの関係はさぞ奇異に映っただろう。はっきり言って僕とクロックは不釣合いな友人関係だった。かたや一般的高校生かたや学校一目立つ存在。親しくしている理由なんて他人は説明できないだろう。僕にだってよくわからない。それでもクロックは僕に話しかける。そういうことが何度か繰り返されたことによって僕は今のクラスで知合いを増やした。クロックと親しいという理由からか僕は周囲の人間からまずまず信用されているらしい。僕は新しいクラスの連中ともまあまあ折り合うことができた。彼らは僕のことをどう思っているか知らないけれど面白い話しをすれば笑いあうし、つまらない冗談にはしらけあった。会話はちゃんと成立した。ただ冷静な分析をすれば、僕はクロックを介して知り合った連中に対して心の底から興味と好意を持つことができなかった。僕はここで彼らを悪く言うつもりはない。彼らは僕の席のそばに(正確にはクロックの席のそばに)いただけなのだ。けれど彼らの話している内容に対して何の共感も教訓もそして反感でさえも得られないのは事実だった。彼らの話しは僕に何ももたらさなかった。弁解するつもりじゃないけれど、これは僕個人の話しだ。僕だけの内輪話しだ。彼らは誰も僕に迷惑をかけたわけじゃない。誰も。

 ともあれ、深く考えたり追求したりしなければ表面的ではあったけれど、みんなもそれなりに良い連中だった。誰も悪くない。そう、僕だけがいつも深刻なのだ。

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