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 ある男が世界の滅亡を予言してから幾百年、いよいよ世界の滅亡へのカウントダウンが一方的に始まった。その男の予言によれば、あと十年数えると恐怖の大王がどこからかやって来るらしい。

 誰かはその言葉に不安を覚え、誰かはそんなことはありえないと強く言い切った。

 また誰かはあと十年で確実に核戦争が起こると言った。核ミサイルが世界中の空を駆け回り誰かの頭上にやって来るのだ。

 その誰かとは僕の中学校の頃の友人で、暴れ出しそうな自意識をうちに秘めた奴だった。進化と自己変革のことを常に考え、予言が実現すれば人類は今だかつてない進化の壁を打ち破るだろうと信じていた。核戦争は閉塞された人類の意識を飛躍的に解放し、進化を促す試金石だと考えていた。人類のほとんどが死滅するが、わずかに生き残った人間こそ、史上まれに見る生物になるはずだろうと言った。

「ソウゾウ力のない奴にこの話しは理解できないだろう」と友人は僕に言った。その話しは何の根拠もないはずなのにどこかソリッドな確信があった。

 友人は中学を卒業し、都立でも二番目に偏差値の良い学校に入学すると、来るべき変革のための準備をして人類を超える存在を目指そうとしていた。しかし高く遥かな目標を掲げたにも関わらず、環境の変化と自己の表現方法につまづき、おまけに自分の能力の限界まで知って、自分のやるべき方向性を見失ってしまった。自分が死滅しないようにするには、学校で何をし、何をするべきかわからず、机にじっと座ってただ見失った道を探し求めていた。同級生の卑劣で陰湿ないじめにあいながら暗くて孤独な一年間を過ごすと、生きることの意味さえ見失い自殺を決意した。自分は死滅する側だと思った。

 二月のある夜に友人は睡眠薬を口に頬張り、目を閉じて次の朝に息絶え横たわる自分を想像していた。しかし、友人は死ななかった。風邪薬では人は死ねない。友人は睡眠薬と風邪薬を真剣に間違えたのだ。都合の良いことに彼は生まれ変わった。死ぬべき自分はその晩に死んだのだ。新しい彼はその後ミルアとダリの絵を愛し、ラヴクラフトを愛し、美大を志望し、最後の日が来るまでオブジェを造り続けたいと言った。死滅してもしなくても。

 世界が滅ぶことについて、誰かはそんなことどうでもいいと思っていた。だってどうでもいいじゃないか?適当なことしか言わないはしゃぐだけのお前らにそんなことがわかるのかよ?お前らはただの騒ぎたがり屋なんだから黙ってろ。余計なお世話だ。迷惑だ。

 それは僕だった。

 僕は世界に対して何の期待もしていなかったから、滅ぼうとどうなろうとどうでもよかった。世界が滅亡するなんて誰かが興味本意と愚かさで喚き立てているだけだと思っていた。実際、僕はずいぶん前から世界に対して何も期待していなかった。諦めがあった訳じゃない。捨て鉢になったり、無関心でいたり、やけを起こした訳じゃない。ただ世界には母親のように甘えたり、わがままを言ったりすることはできないことを僕は知っていた。また、世界は向こうからやって来て親切に世話を焼いてくれないことを知っていた。

 そんなことを思うようになったのも僕には本当に母親というものがいなかったからかも知れない。母は僕が生まれて二、三年ぐらいで身体を悪くして死んでしまった。だから母親の温もり(と言われてるもの)も母親のうるさいお小言も全く知らなかった。代わりに父が僕を育てた。幼い時の僕がつまづいて転んでも泣きわめいても父は起こしてくれなかった。その代わり転んで失敗した自分を恥じろと言った。デパートのおもちゃ売り場にしゃがみ込んでジタバタおもちゃをせがんでも父は何も買ってくれなかった。その代わり道具箱に並べられた大きな鋸と金槌を持たされて本棚や椅子の作り方を教わった。お前が何かを欲しがってじっと道に座り込んで待っていても、何もお前の望み通りには物事は動かない。みんな知らん顔でお前を無視してさっさと通り過ぎるだけだと父は言った。誰もお前の泣き顔も泣き言も見たくも聞きたくもないんだ。そう、きっぱり言った。

 僕は父の厳しさをずいぶん憎んだこともあった。誰の施しも受けないような父の生き方は幼い僕にはつらすぎた。欲しいものは手に入らず優しい言葉の一つも父はかけてくれない。他の子供たちに母親がいて、僕にいないのは父のせいだと思った。世界中の恨みごとは全部父のせいだと思ったこともあった。でも本当につらいのは父の方だった。実は僕には五つ上の兄がいたらしい。それも僕とは母親の違う。元々その人と父は結婚していたわけだが、その人は昔から身体が弱かったのにも関わらず、医者に無茶だと言われながらも兄を産み、そして死んだ。そして十時間後に兄も死んだ。ただただ悲しいのは父だった。大事なものを一度に二つも失ってしまった。それから数年、僕の母と結婚し、僕が生まれ、母は死んだ。たぶん父の中には僕と教訓だけが残ったに違いない。そう思うと父のやり方は間違っているとは一概には言えなかった。

 僕はそのことを親戚のおばさんから教えてもらった。父の口からはそのことについては一度も僕に語られていない。僕も事実を教えてもらった今でも父にそのことを聞いていない。生きている者に形骸はいらないと父は言ったことがある。そしてやがて何も残らないと。飼っていた犬が死んだ時だ。それから僕は死んだ兄がいたことを考える時がたまにあった。考えるだけで他には何も考えなかった。死んでしまった者の可能性を考えるほど馬鹿ではない。僕はそんなにセンチメンタルではない。また、僕の『生』が三人の死に築かれたものだと後ろ暗く思っていない。むしろそれは当り前のことで、僕たちは必ず誰かの墓標の上で生活しているのだ。こんな風に考えるようになったのも父の教育の成果かも知れない。いや、きっとそうだ。おかげで色々なつらいことを回避できたこともあった。僕が誰かの死について何かと敏感だったから・・・。

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