☆【かのかな】のお料理教室☆

anon

第1話 伏原白暖

12月8日

街はクリスマスムード一色だった。

家の近くのいつもお世話になっているコンビニでも、クリスマスの時期に流れる外国の音楽が流れていた。

好物のメロンパンと一応体を壊さないための気休めのサラダの組み合わせを1週間分買って、コンビニを出る。


そそくさと早歩きで家に戻ろうと歩く私の足を、こちらに向かってくる女子高生3人が止めた。彼女たちは去年の7月までは私も毎日のように着ていた制服を身に纏いながら、歩道の隅に置かれているクリスマスツリーの前で写真を撮っていた。

私は急いで方向転換し、別の道から家へ帰った。


私の家は54階建てのマンションの48階にある。1人で暮らすには広すぎるこの部屋から私が出るのは、基本的に週に一回コンビニで食料の調達をするときだけだ。

部屋に入り、買ってきたメロンパンを頬張りながらPCを起動する。

メールが1件来ていたので確認してみると、先日納品した曲「サマーレボリューション」の修正の依頼だった。

私はソフトを起動し、要望通りに修正していく。

修正を終えてPCの時計を確認すると、もう午前4時を過ぎていた。


「寝よう。」


私はパンダやワニなどいろんなぬいぐるみが置いてある自分のベッドに横になる。

目を閉じると、すぐに瞼が重くなった。


その日、私は久しぶりに夢を見た。




12月15日

久しぶりに自分の学校の制服を見てから大体1週間が経った日の朝、私は珍しく早く起きた。

今日は10時からこの前完成させたサマーレボリューションについて、ネット上での打ち合わせがある。

朝ごはんを食べて、鏡の前で髪を整える。

そしてPC前のピンクの椅子に座り、PCを起動して10時を待つ。

10時まではまだ時間があるので、私が大体1週間に一度していることを先に済ましておくことにした。

「れいぜいわかな」

今まで何度検索したか数えきれない女の子の名前を、私は今日またスマホで検索する。

少しの期待を抱きながら検索結果をスクロールしていくが、案の定、やっぱり私の知らない新しい情報は出てこなかった。

短く溜息をつき、私はPCを操作して会議用のアプリを起動し、カメラがオフになっているのを確認してから事前に貰っているIDの部屋に入る。

まだ20分前だというのにも関わらず、今日の打ち合わせの相手である早川さんは既に待機していた。


「ティルトさん、いつも指定時刻より大分早く来ていただいてありがとうございます。」


「早川さんを待たせるのが申し訳なくて。」


「それでは、もう始めてもよろいですか。」


「はい、お願いします。」


「先日は突然の修正の依頼にも関わらず、早急にご対応頂きありがとうございました。」


「いえいえ、私も早くサマーレボリューションをラブミスが歌ってるのを聴きたいので。」


love in a mist

今年の3月から活動している二人組女性アイドルで、最近はたまに地上波で見かけることも多くなった。

ラブミスが歌う曲は一応私が今のところ全て作曲している。


「サマーレボリューションはまだ歌わないですけど、今月末にまたライブがありますのでよければぜひ。またチケットをお送りしますね。」


「いつもありがうございます。また都合が良ければ行かせていただきます。」


ラブミスのマネージャーである中川さんはとても物腰が柔らかく、そしてしっかりした方だ。

PC越しに見る彼女の整った顔は、大体20代前半くらいに思えるのだが。


「次の曲も、ぜひお願いします。これからもラブミスをよろしくお願いします、ティルトさん」


この後、サマーレボリューションをラブミスにどう歌ってほしいかや次の曲についての簡単な話をして、その日の打ち合わせは終わった。


12月28日

埼玉フラットホール

私の家がある横浜から電車で1時間のこのホールで、今年最後のラブミスのライブは始まっていた。


「「それじゃ、2曲目いくよー!」」


声を合図に彼女達が歌い出す。

すごいな、と思う。

4月のデビューライブの時から、彼女たちの歌は特別だった。

人の感情を揺さぶる何かがあったと思う。

学校に行かなくなり作曲家になってから、初めて作った曲をラブミスの2人が歌っている映像を中川さんに見せてもらった。

彼女たちの歌は当時絶望の底にいた私を救ってくれた。

気がつけば私は他のファンと同じようにサイリウムを歌に合わせて振っていた。



ライブが終わり、そのまま握手会に入る。

ラブミスの握手会のシステムは、CD1枚購入するごとに10秒、1人と触れ合えるというものだ。

ライブに来るファンの人数も徐々に多くなった10月のライブからは時間の上限が設定され、CDを何枚買ってもメンバー2人と触れ合える合計時間が180秒になった。

私は18枚のチケットを持ち、メンバーの片方、NONOKAの列に並ぶ。

別にもう1人のメンバー、AOIよりNONOKAの方が好きだとかそういうわけではない。

前回のライブではAOIと話したので、今回はNONOKA、というだけだ。

私は箱推しだ。

自分の順番を待ちながら、私は列の先頭の人に握手をするNONOKAを見ていた。

肩まで伸びるセミロングの綺麗な茶色い髪、どこか幼さを感じさせる整った顔。

そしてこれでファンサもバッチリなんだから人気が出ないわけがない。

NONOKAに手を握られているファンの方に目をやると、まるで自分は世界一の幸せ者、みたいな顔をしていた。

そりゃそうなるよね。

その後もそんな感じでNONOKAを眺めていたらNONOKAの透き通るような声が急に近くで聞こえた。


「サングラスの方、お久しぶりです!」


どうやらいつのまにか自分の番が来ていたらしい。


「お、お久しぶりです。ま、また会えて嬉しいです。」


「こうやって喋るのは大体2ヶ月ぶりですよね!この前の11月のライブも来てたのにAOIの方に行ってましたもんねー!」


「そ、それは、えっと、その..。NONOKAも大好きだけどAOIも大好きっていうか。」


「あはは、もう冗談ですよ。いつもライブに来てくれてありがとうございます。デビューからいつも来てくれて、本当に嬉しいです。」


「それにしても、そのフードを被ってサングラスにマスクをするって格好、夏の握手会の時は暑そうって言いましたけど、今は丁度いいかもですね。」


NONOKAの言う通り私はサングラスにマスク、そしてフードまで被って顔を見えないようにしている。握手会に限らず基本的に外出する時はこの格好だ。自意識過剰と思われるかもしれないが、万が一にでも顔を見られて騒がれたくない。


「あはは、そうですね。」


「前から思ってたんですけど、あなたの手ってすごく綺麗ですよね。」


そう言って、NONOKAが私の手を取る。

予想だにしないNONOKAの動きに、私の体が思わず跳ねる。


「色も白くて、指も細くて、あと爪も綺麗だよね。」


ファンサの一環で言っているのは分かっているが、思わず顔がニヤけてしまう。


「いや、NONOKAの方がー」


「あと10秒です。」


まるで天国にいるような気分だった私をスタッフの残り時間を知らせる声が現実に引き戻す。


「また、次のライブでお会いしましょうね!

私、待ってますから。」


NONOKAは最後に少し強く私の手を握り、そして離した。



ライブが終わり、私は自分の部屋に戻る。

PCを開くと、メールが1件入っていた。

内容は、新作ドラマの主題歌のために曲を提供してほしい、というものだった。

作詞、作曲家になってから、私は今までラブミスからしか曲の提供の依頼は来ていなかった。

深夜ドラマとはいえ、ラブミス以外から依頼が来るようになるなんて、ティルトの名も売れてきたな、なんて思いながらメールに書かれているドラマの内容に目を通す。

内容としては天文部に所属する女子高生2人の日常コメディという印象である。

漫画が原作らしい。

さらにメールを下へスクロールしていく。

「えあっ」

突然、予想だにしない名前を見つけて、思わず声が出る。

マウスのホイールをなぞっていた私の人差しが止まる。

何度見直しても主演の欄に「冷泉羽奏」と書かれていた。

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