第9話 その日、Y家であったこと

 これは私とY家との話――


 私が中学校のとき、となりにY家が引っ越してきた。平凡そうなお父さんと、きれいで優しそうなお母さんと、ユキノという女の子。年末にはもう一人生まれますと言っていた。東京から引っ越してきたこともあって近所で一時(いっとき)話題になったが、すぐに地域に溶け込み、うちともすぐに良いお隣さん同士になった。その年の12月に弟のソウタ君が生まれてからはお母さんは赤ちゃんにかかりきりで、ユキノちゃんはよくうちに来て一緒に遊んだ。私は部活を引退していたので、小学校に入ったばかりのユキノちゃんと和室のテーブルで並んで勉強した。本当の姉妹のようだった。しかし、そんな生活も長くは続かなかった。

 Y家が引っ越してきて3年が経つ頃、原因はよく知らないがユキノちゃんの両親が急に不仲になった。はじめは夜の言い争い程度だったが、1カ月が経つ頃には怒鳴り声、悲鳴、何かを殴るような音、子どもたちの泣き声が聞こえてくるようになった。その頃、私は高校3年生になっていて、部活で帰りが遅くユキノちゃんにも会っていなかった。やがて、その日を迎えた。

 その日は梅雨もあけて蒸し暑くて、部屋の窓をあけてテスト勉強をしていた。隣の家からは今日も怒号が聞こえていた。しかし、どうも様子が違っていた。まず、何かが当たり窓が割れる音がした。次に、鈍い音が聞こえて、そして、声が止んだ。おそろしく無言。気になって階段を降りて、玄関に向かう。外にユキノちゃんが立っていた。数か月ぶりに見た彼女はちょっとだけ大きくなって、かわいくなっていて、そして、折れてしまいそうなほどに細かった。すぐに抱きしめる。

 その夜、うちの両親は旅行に行っていて、私だけだった。警察に通報した方がいいかなって思ったけど、あとあとユキノちゃんの両親に追及されるのが怖くて、電話できなかった。今思えば、あの時私が電話していたら、ソウタ君は助かっていたのかもしれない。

 それから数分後、外から扉を叩く音がした。私は、ユキノちゃんを電気の消えたままのトイレに隠した。

「はーい」

 私が返事をすると、ユキノちゃんのお父さんが「Yですが、ソウタを見ませんでしたか」と聞いてきた。「見てません」と答えると、「見かけたら教えてください」とだけ言って帰っていった。私はすぐにユキノちゃんを連れて、2階の自分の部屋へ入って布団を被った。開けたままになっていた窓から声が聞こえる。

「嫌だよ。助けてよ」

「ソウタ、家へ帰ろう。お母さんも待ってるよ」

「嫌だよ。誰か助けて」

 私は怖くなって、布団の中のユキノちゃんを強く抱きしめた。

 ソウタ君は口を押さえられたのだろう。もごもご言いながら、自分の家に連れていかれてしまった。

 ごめんね。

 Y家の中でソウタ君の泣き声がしばらく聞こえた後、聞こえなくなった。

 ユキノちゃんの頭を抱く。

 次はユキノちゃんの番だ。あの父親がもう一度うちの前まで来て、玄関の扉を叩いて、「ユキノは来ていますか」と聞くだろう。私はもう答えない。すると、力づくで扉を開けて、うちに入ってきて、リビング、台所、お風呂、トイレ、全部を開けて、次は2階。2階はトイレと両親の寝室とこの部屋しかない。一部屋ずつ念入りに探しても、ここにたどり着くまで10分もかからないだろう。

 でも、私はユキノちゃんだけは守りたい。

 私は恐怖で体を震わせながら、掛け布団をユキノちゃんの方に寄せる。すると、ユキノちゃんは「ありがとう」と言った。自分が殺されるかもしれないのに、ユキノちゃんは笑っているようだった。

 コンコン…

 いつも間にか寝落ちていたようで、誰かが玄関の扉を叩く音で目を覚ました。外はすっかり明るくなっていた。布団の中にユキノちゃんの姿はなかった。しかし、玄関のかぎはかかっていたから彼女は家の中にいるだろう。

 玄関を開けると、警察官からY家での事件について聞かされた。言い争いの末、母親とソウタ君は父親に殺され、父親は母親から負ったキズで失血死したとのことだった。そして、驚くことにユキノちゃんはソウタ君より先に父親に殺されていたとのことだった。でも、昨日の夜ユキノちゃんがいた部分の布団はしっかりと彼女のあとが残っていたし、私の腕にもしっかりとその感触があった。


 あの事件から1年が経ち、私は東京の大学に行くためにアパート暮らしをしている。そして今日、前期試験を終えて初めて帰省していた。スマホをマナーモードにして、エアコンの設定温度を上げて、薄い掛け布団を被った。すると夜中、ゆっくりとドアが開き、気配が足元に近付いた。私は目を閉じたまま、掛け布団をまくると彼女は滑り込んできて私の両腕の間に収まった。私は彼女に「ただいま」と言った。

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