第6話 婚姻の儀 2

 クリスティーナの最初の感想が「足長ッ!」だったのは、足元からパーンするように顔まで見たからだろう。

 紺色の式典用の礼服はヴァレンスの浅黒い肌によく似合っており、いつもは無造作に流されているだけの黒髪は、今日はしっかりと固められ、彫りの深い顔立ちを全面に押し出していた。

 宝石のように綺麗な青い目が、冷ややかにクリスティーナを見下ろしており、そのクールと言うには少し冷徹過ぎる表情は、これから結婚式を挙げる新郎としては相応しくないように見えた。


 しかし、それがクリスティーナを逆に安堵させた。


 自分は皇帝陛下に望まれてはいない。つまりは、これは形ばかりの婚姻で、第三側妃としてひっそり(ぐうたら)と生活できるのではないかと、希望が持てた瞬間だったからだ。


 ヴァレンスがクリスティーナに腕を差し出し、クリスティーナはアレクの腕を離して手袋をはめた手をヴァレンスの腕に置いた。二人揃って祭壇に向き合うと、祭壇に炎が焚かれて婚礼の儀が厳かに始まった。


 司祭の詠うような祭句は長々と続き、クリスティーナがそろそろ欠伸が出る一歩手前まできた時、やっと司祭は教典を閉じた。

 司祭に指示されて、クリスティーナはヴァレンスの方を向いて頭を下げる。ヴァレンスもクリスティーナに向き合い、クリスティーナのベールを上げた。目の前がクリアになり、クリスティーナは金色に近い琥珀色の瞳をヴァレンスに向ける。


(すっ……ごい美形だな、私の夫)


 普通の人間ならば、ヴァレンスに射抜かれるような視線を向けられると、その覇気に耐えられずに、蒼白になってガタガタ震えて視線をそらすものだが、クリスティーナは呑気にヴァレンスの容姿を鑑賞していた。


 婚姻誓約書にサインをし、指輪を交換する。式典最後の誓いのキスだが、クリスティーナは本当にされるとは考えていなかった。下手をしたらないかなくらいに考えていたし、寸止めのエアキス、最悪は額や頬にかするくらいだろうと高を括っていた。


 ヴァレンスの手袋越しの大きな手がクリスティーナの両頬を覆った。口元は手で隠されているから、これならばキスしたふりをしても参列者にはキスをしたかのように見せられる。クリスティーナは感心しつつ、協力気味に顔を上に向けてしっかりとヴァレンスと視線を合わせる。

 クリスティーナがゆっくりと瞳を閉じると、プラチナブロンドの長いまつ毛がバサリと伏せられと僅かに震える。小さくふっくらとした唇は、化粧をしなくても綺麗な赤色をしているのだが、今はピンク色に艶めいていた。


 全体的に可愛らしい顔つきをしているクリスティーナではあるが、二十二歳という年齢もあってか、しっとりとした色気が滲み出て……いるように感じたのは、もしかしたらヴァレンスだけだったかもしれない。

 そう、冷徹な表情を崩さなかったレキシントン初代皇帝は表情には表さなかったが、クリスティーナの花嫁姿に目一杯心を奪われていた。


 クリスティーナは覚えていなかったが、二人が初めて会ったのは十五年前、ヴァレンスの住む離宮の裏にある湖でだった。会話した時間はほんの十数分。

 人形のように愛らしいクリスティーナに、最初は目を奪われた。そして、婚約者(当時はアーツ国第二王子との婚約直前だった)を変態呼ばわりしたことに笑いがこみあげ、漕げもしないボートに乗り込む無謀さに呆れた。

 そして何よりも、誰にも存在価値を認められなかった第五王子の自分を肯定してくれたクリスティーナに気持ちを奪われた。


 もちろん、クリスティーナが年の離れた第二王子よりもヴァレンスの方が良いと言ってくれたとしても、そんなのは一時の現実逃避みたいなものだとはわかっている。なんなら、冗談のようなものだったのかもしれない。


 しかし、もしかしたらいつか……。


 ヴァレンスは剣技の鍛錬に勤しみ、戦術や政治を学び、クリスティーナが認めてくれたように、誰にでも認められる存在になろうとストイックなまでに努力を重ねた。その結果、武勇優れるアーツ国の中でも剣豪と呼ばれるまでになった。あまりに厳しい鍛錬を自分に課したせいか、表情筋が固まり笑顔を忘れてしまったが。


 そんなヴァレンスが、戦でなまくら王子達に負ける筈もなく、降りかかる火の粉を払っていたら、いつの間にか第二王子とヴァレンスが後継者争いから始まった内戦の二大主軸になっており、色々あった結果ヴァレンスはレキシントン帝国の皇帝におさまり、今、クリスティーナと婚姻の儀に漕ぎ着けたのだった。


 十五年前の面影を残すクリスティーナに感無量のヴァレンスに対し、過去の出会いなどすっかり頭にないクリスティーナ。

 同じ場所に立っている二人の温度は、火と氷程も違かった。


 いつまでも動きのないヴァレンスに、クリスティーナは薄っすらと目を開けて様子を窺った。


 もしかすると、愛するアンナの前で他の女と婚姻の儀を取り行うことに抵抗があるんだろうか?それならば、それこそフリだけでササッと終わらせれば良いのに……と、クリスティーナが思ったまさにその瞬間、柔らかい感触が唇に押し付けられた。しかも、その途端に凄まじい情報量が頭に流れ込んでくる。


 しかも、キスされている?!


 色んな面でキャパオーバーになったクリスティーナは、大勢の参列者達の前で気を失ってしまった。





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