第2話『それぞれの、呼び方』
黒竜の背に揺られること、一時間弱。
俺たちもようやくその移動方法に慣れてきて、会話をする余裕が出てきた。
「けっこうな時間飛んでるけど、ルーケン村ってそんな遠かったっけ?」
「最短距離を飛べば近いのですが、それだとワイヴァーンたちの縄張りを通ることになるのです。彼らを刺激しないよう、遠回りをしています」
俺が尋ねると、カナンさんはファニーの背を撫でながらそう教えてくれた。
言われてみれば、ワイヴァーンたちもファニーも同じ竜族だ。
縄張り意識だってあるだろうし、接触しないに越したことはないと思う。
会話が途切れ、俺は眼下に視線を送る。
連なった山々の間に、消え入りそうなほど細い道がいくつも見えた。
前回この山を超えた時は、あの道を商隊と一緒に通ったんだよな……そう考えると、移動手段って本当に大事だ。
「……トウヤ様、どうかなさいましたか?」
俺の視線を追ったあと、カナンさんが声をかけてくる。
「なんでもないよ。召喚術って、便利な力だね」
「それこそ、トウヤ様たちは召喚術を使えないのですか? 先日、同じ世界から来られた女性が召喚術らしき術を使っていましたが」
おそらく、
「合体スキルにも召喚術の項目はあるけど、ロックされてるみたいなんだ」
「ろっく?」
「今は使えないってこと」
背中越しに小首をかしげるカナンさんを微笑ましく見ながら、そう教えてあげる。
「そうでしたか……なら、送還術はいかがです?」
「ソウカンジュツ?」
聞き覚えのない単語に、思わず聞き返す。
「対召喚術用の秘術ですわ。召喚獣と術者の契約を一時的に断ち切り、送り返すのです」
「……なるほど。送り返すから送還術と」
「はい。と言っても、この世界では召喚術そのものが希少ですから、送還術が使えるほうが珍しいのですけど」
「むー、なんか難しい話だなぁ」
カナンさんとそんな会話をしていると、唐突に
「ねぇねぇ、それよりあたし、気になることがあるんだけど」
続いて、彼女は神妙な面持ちでそう口にした。
なんだろう。聖女の力で疑問に思ったことでもあるのかな。
あるいは、これからの旅路に不安があるとか? なんだかんだで、希空はこの世界に来て日が浅いし。その気持ちもわかる。
「……
「ふえ!?」
突然話を振られ、
というか、全然関係のない話題だった。
「あ、それは……その、馴れ馴れしいかな、って……」
「馴れ馴れしくて、大いに結構。これから一緒に旅をするんだし、下の名前で呼んでほしいかな」
「わ、わかった。の、希空ちゃん」
「うんうん、ありがとー。朱音ちゃんとの親密度メーター、急上昇!」
どこか恥ずかしそうな橘さんの隣で、希空は満足そうな笑みを浮かべていた。
女性同士だし、できるだけ仲良くしてほしい。
「じゃー次は、とーやね」
「え? 俺は別に、希空のことはずっと下の名前で呼んでるけど」
「あたしじゃなくて、朱音ちゃんのほう。あんたも、ずっと朱音ちゃんのこと名字で呼んでるでしょ」
「そ、そうだけど……」
突然話の矛先を向けられ、俺は動揺する。
「とーやと朱音ちゃん、どれくらい一緒に旅してるんだっけ?」
「えっと……そろそろ一ヶ月になるのかな」
「一ヶ月も経つのに、どっちもまだ名字呼び? 信じらんない。あたしなんて、ものの数分で名前呼びだよ?」
それは希空の距離の詰め方がおかしいんだよ……なんてことは、口が避けても言えなかった。
「まして、二人は同じスキルを持ったパートナー同士なんだから。いつまでも他人行儀じゃ駄目だと思うわけですよ。希空さんは」
俺と橘さんの肩に手を置きながら、希空は続ける。
……この流れはまずい。逃げたい。
でも、ここは空の上。逃げ場なんてなかった。
「というわけで二人とも、下の名前で呼ぶ練習」
「えぇ……こういうのはきっかけが大事だと思うんだけど」
「そのきっかけを完全に逃してるから、こうしてお膳立てしてやったんだろーが。ばかとーや」
持論を展開してみるも、一蹴されてしまった。
「はぁ……よし、頑張れ朱音ちゃん。あたしを下の名前で呼べたんだから、とーやの名前くらい楽勝だ!」
「う、うん……」
バシバシと俺の肩を叩きながら希空は言う。
その言葉に後押しされるように、橘さんは何度も深呼吸をする。
「……と、
そして意を決したように、俺の名前を口にした。
直後、むず痒いような、なんとも言えない感覚が胸の内を駆け巡る。なんだろう、これ。
「うんうん。朱音ちゃん勇気出したよ。それじゃ、次はとーやの番」
「いや、俺は……」
「朱音ちゃんにだけ呼ばせる気か、このアホ」
思わず
……これは、外堀を完全に埋められた気がする。
「じゃあ、えっと……」
俺は覚悟を決めて、橘さんへと向き直る。
「あ、朱音さん……」
絞り出すように、その名を口にする。おそらく、俺の顔は真っ赤になっていただろう。
「……は、はい。どうも、朱音さんです……」
色の違う双眼で俺を見つめ返す彼女も、耳まで赤くなっていた。
その後、俺たちは意味もなく見つめ合ってしまう。
「うしうし、よく言った。やってみたら案外楽勝だったでしょー。これからは、どっちも名字呼び禁止ね」
「え」
さらっとそんなことを言われ、俺たちは声を重ねて希空を見る。
「二度も言わすな。パートナー同士なんだし、名前で呼び合うくらい普通」
すると希空は頬を膨らませてそう言い、この話は終わりとばかりに黙りこくってしまう。
まさかの展開だ。一度呼ぶだけで、めっちゃ緊張したというのに……いつか、自然と呼べる日が来るんだろうか。
なんとも言えない空気に包まれる中、飛竜は飛行を続け……やがて眼下にルーケン村が見えてくる。
……その所々に、黒煙が上がっていた。
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