第7話『続・橘さんの能力』
パラパラパラ……。
「……あれ」
次に目が覚めると、部屋は薄暗くなっていた。
パラパラパラ……。
それに加えて、何やら妙な音も聞こえる。
ベッドから体を起こして室内を見渡すと、音の正体はすぐにわかった。
部屋の隅に置かれた机に無数の本が積み上げられていて、その間に埋もれるように、
……ものすごい速度で。
「……橘さん?」
「あ、起きたんだ」
わずかなランプの明かりに照らされていた彼女が顔を上げると、その音も止まった。
「亭主さんが、晩ごはん用意してくれたよ。そこに置いてあるから、食べて。わたし、先に済ませちゃったから」
橘さんがベッドサイドの棚を指差す。その上にはサンドイッチが載っていた。
「ああ……ありがとう。いただくよ」
「うん」
お礼を言って食事を始めると、彼女はまた本のページをめくりだす。
「ねぇ、その本は?」
「談話室にあったから、借りてきたの。この街周辺の地図とか、植物や魔物の図鑑。色々あって、びっくり」
少し興奮気味に、橘さんは言う。その言い方からして、本が好きなんだろうな。
「さっきからすごい勢いでページめくってるけど、流し読みしてるの?」
「ううん、ちゃんと読んでるよ」
「え、本当に?」
「本当だよ……うん。この本も読み終えた」
そう言った直後、満足顔で本を閉じる。
一冊あたり、一分とかかっていない気がする。あれで読んでるの?
「そ、そんなに速く読んで、頭に残る?」
「大丈夫。わたし、一度読んだ本の内容は忘れないから」
「えぇ……ちょっと、その本貸して」
どこか得意げな彼女の言葉が信じられず、俺は食事の手を止めて立ち上がる。
無言で差し出された本を受け取り、適当にページを開く。表紙を見た限り、植物図鑑のようだ。
「54ページに書かれてるのは?」
「フローズンリリーの採取地とその特性。花びらに素手で触ると凍傷になるから、必ず厚手の手袋を装備すること。あと、突然飛ばしてくる氷の種も危険」
「じゃ、じゃあ、128ページ」
「イフリートの木について。火山地帯に生えている木で、移動はできないものの、意思を持ってる。近づくとその燃え盛る枝で攻撃してくるの。倒せない場合は、水魔法で攻撃するとしばらく大人しくなるから、その隙に通り過ぎること」
橘さんの言葉と、ページに記された内容を照らし合わせる。すべて合っていた。
ケルベロスとの戦いの時も薄々感じていたけど、どうやら彼女は本物の天才らしい。
「あ……やっぱり変だよね。昔、クラスの女の子にも話したことあるけど、明らかに引いてたし」
俺の動揺を感じ取ったのか、橘さんは伏し目がちに言う。
「いやいや、全然そんなことないよ。むしろ、すごい能力だと思う。羨ましいよ」
本を返しながら、俺は率直な感想を口にする。彼女の目が見開かれた。
「あ、ありがと。そう言ってくれたの、
受け取った本で顔の下半分を隠しながら言う。その顔が少し赤いのは、ランプの明かりのせいだろうか。
「と、ところで、お風呂はどうだったの?」
そんな橘さんを見ていると俺も小恥ずかしくなり、無理やり話題を変える。
「うん……勇気を出して亭主さんに訊いてみたけど、オフロってなんだ? って言われた」
「ああ……やっぱり?」
彼女の手前言えなかったけど、この街の文明レベルを見た限り、できて水浴びくらいだと思う。
「高木くんもシャワー浴びたいよね。動き回ったし」
「そ、そうだね」
そう言ってすぐ、反射的に自分の匂いを嗅いでいた。女の子の前だし、俺も匂いは気になる。
「うぅ……せめて、体拭きたいな……あ、でも服がこれしかないし」
橘さんは自分の体を抱きながら、何やらぶつぶつ言っていた。
俺は食事に戻りつつ、ある程度お金が貯まったら、まずは一番に服を買おう……なんて思ったのだった。
ファンタジー全開のこの世界で、いつまでも学生服ってのも目立ちすぎるし。
ベッドに腰掛けたまま、食事を終える。
ちょうどその時、談話室に本を返した橘さんが部屋に戻ってきて、なんとも言えない表情で俺の――俺の座るベッドを見ていた。
「え、今度はどうしたの?」
「そろそろ寝ようかと思うんだけど……この部屋、ベッドが一つしかないんだね」
「……言われてみれば」
彼女の言う通り、室内にはサイズの大きなベッドが一つあるだけだった。
周囲を見渡すも、ベッド代わりになりそうなソファのたぐいも見当たらない。
「この時間から、部屋って変えてもらえるのかな」
「受付の時、部屋はここしか空いてないって言ってなかったっけ」
「そ、そう言えば、そんなこと言ってたね。どうしよう」
橘さんの瞳には明らかな不安の色が宿っていた。会ったばかりの男と同じベッドで眠るとか、いくらなんでも耐えられないのだろう。
「……俺、床で寝るよ」
「そ、それはさすがに悪いよ。ベッド広いから、両端に寄れば多分、大丈夫」
床に降りようとする俺を静止して、彼女はベッドへ近づいてくる。そして俺とは反対側に腰を落ち着けた。
「わたし、頑張るから」
ちょっと、制服の上着を脱ぎながらその発言はやめてほしい。
上着着たままじゃ寝にくいのはわかるけど、妙な想像をしてしまうから。
「お、おやすみっ」
そんなことを考えている間にも、橘さんはランプの火を消してベッドに潜り込んでしまった。
それからすぐに、規則的な寝息が聞こえ始める。彼女も慣れない環境に心身ともに疲れていたようだ。
「……さて、俺はどうしようかな」
一方の俺は、少し前まで寝ていたということもあって、まったく眠気が訪れなかった。
むしろ、この状況で眠れるような強メンタルは持ち合わせていない。これは、長い夜になりそうだった。
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