第6話『宿屋で体力は回復しない』
俺と橘さんは全力で逃げたものの、素の状態だとまったく体力がなかった。
すぐに息が切れ、追いかけてきたグリッドさんに速攻で捕まってしまう。
「おいおい、いくらなんでも、逃げなくたっていいだろ」
「す、すみませっ……つい……」
「は、恥ずかししゅぎて……」
揃って膝に手をつき、肩で息をする俺たちを見て、グリッドさんは頭を抱えていた。
「……わかった。俺は何も見ていないことにしておく。色々あって疲れただろうし、今日はもう休め。仕事は明日からだ」
そう言って、彼は近くの建物を指差す。看板からして宿屋のようだ。
「え、宿に泊まるお金なんて……」
「ほれ、これを使え」
息を整えながら言った時、彼は数枚の銀貨を差し出してくる。
「いやいや、食事も奢ってもらったのに、さすがにもらえませんよ」
「いいから受け取っとけ。これはお前らの紹介料の一部だ。あの宿屋くらいなら、一週間は泊まれるだろうよ」
満足げな笑みを浮かべる彼から、半ば強引に銀貨を押し付けられる。
紹介制度……そんなものがあるのなら、ありがたく受け取っておこう。
「おっと、勘違いするなよ。俺は紹介料欲しさにお前らをギルドに連れてったわけじゃない。森の主を倒した、その腕を買ってるんだからな」
「ええ、わかってます」
「ならいい。それと、これからは同業者だからな。敬語はなしで頼むぜ」
「え」
彼は当然のように言った。まさかの展開に、俺は固まる。
「わ、わかっ……りました」
「わかってねぇじゃねぇかよ」
動揺したまま言葉を返すと、彼は俺の頭を軽く小突いた。これも彼なりのスキンシップのようだった。
「ま、追々慣れてくれりゃいいや。明日の朝には、簡単な依頼を持ってきてやる。今日は早めに休んどけよ。じゃあな」
最後に手を振って、グリッドさんは去っていった。
「ふぅ……」
その背が見えなくなって、俺と橘さんは同時に息を吐く。
「なんか……すごく濃い一日だったね」
地面に向かって呟かれた橘さんの言葉に、俺は頷く。
異世界転移して、追放されて、魔物に追いかけられて、合体して……最終的に旅の資金を稼ぐため、冒険者ギルドに所属した。
ここまで波乱万丈な一日も、そうそうないと思う。
思わず顔を見合わせたあと、俺たちは疲れた足を引きずって宿屋へと向かった。
それから宿を取るも、すでに夕方近いということもあって、部屋は一つしか空いていなかった。
元々一人用の部屋だと言われたものの、疲れていた俺たちは特に考えずにOKし、料金を支払う。
そして亭主に案内されたのは、大きなベッドと小さな机が一つずつ置かれた部屋だった。
「家具もほとんどないし、部屋も狭いね。廊下の途中に談話室があったけど、皆、そこで過ごしてるのかな」
室内を見渡しながら、橘さんが呟く。
クローゼットのたぐいもなく、荷物の収納場所にも苦労しそうだった。
「部屋にお風呂やシャワーは……ないよね。さすがに」
落胆の声色で彼女は続け、やがて踵を返してドアノブを掴む。
「ちょっと、訊くだけ訊いてくる」
そう言って、橘さんは部屋を出ていってしまった。
陰キャの彼女にしてはすごい行動力だけど、女の子だし、やっぱりお風呂には入りたいのかな。
ぼんやりとそうを考えつつ、俺はベッドに座り込む。見た目は大きいけど、クッション性はほとんどない。
ゲームでは宿に泊まると、HPとMPが完全回復するのが定番だけど……ここで一晩寝たところで体力はあまり回復しそうになかった。
「ふわ……」
それでも、慣れないことの連続で体は疲れていた。一人になったことで気が抜けたのか、一気に睡魔が襲ってくる。
やがて、俺はベッドに倒れ込み、深い眠りに落ちてしまったのだった。
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