第13話 星の囁き

 こんなに泣いた事は、今まで生きて来た人生の中で無かった。

恥ずかしくて、悔しくて、情けなくて、僕は一体何をして居たんだろう?と言う自責の念に駆られて居た。

容子さんのご主人の潔よさ、懐の深さ、大きさの前に打ちひしがれた一日だった。


 田舎では、ホテルと呼ばれる施設は一軒しかなく、僕はそこを今夜の宿とした。

もちろん、容子さんも一緒だ。

少し遅い夕食を、居酒屋で済ませ少しの酒を飲んだ。

まだ、衝撃は醒めて居ないが、アルコールを摂取しないと眠れそうに無いと思い、二人で飲んだ後、ホテルの部屋に戻った。

 ツインのベットにお互い腰掛け、少し疲れた表情のままお互いを見つめていた。

「これからどうします?」と容子に聞かれたので、「ごめん、今夜は全く思考が追いつかない。明日、時間はたっぷりあるから、今夜は休もうか。」と言った。

「そうね、焦る事ではないし、今スタートに立てた気がして、それだけでもかなりの前進だと思う。」

「そうだな。かなりの前進だ。良かったら先にシャワーを浴びてくると良いよ。」と言って彼女を促した。

「はい。そうさせていただくわ。女は時間が掛かるから、ごめんなさい。」そう言いながら自分の着替えが入ったバックを手に持ち、バスルームに消えていった。

 僕は上着をハンガーにかけ、ネクタイを外し、シャツのボタンを一つ外した。

肘掛け椅子に腰掛け、大きく深呼吸をする。ボーッとする頭で自分の人生を反芻していた。特に22歳、容子と別れた時のことを思い出していた。


 それは偶然だった。昼間、彼女と喫茶店でランチをし、午後からの約束の仕事に向かった。彼女と別れてから仕事の車に乗り換え、たまたま通った同級生の家の前に、彼女の車と同じ車が停まっていた。あれ?と思いながら、ゆっくりその車の脇を抜けようとした時、車の向こうに容子の姿があった。

「あの時、僕は逃げたんだ。」と独り言を呟く。

 そんな事があってから、僕は彼女を問い詰めた。あいつと何かあったのか?とか、その同級生にも会いに行った。彼は驚き「えっつ、別れたって聞いたから、違ったのか?」と言って焦っていた。

多分、二人の言う事は本当で、何も無かったと感じたし、そう思い込みたかった。

だけれど、僕はそれを盾に彼女と別れた。本当は好きで堪らなかったっくせに、痩せ我慢して、未練たらたらなのに、無理に別れた。心のどこかで、彼女の人生を背負う事が怖かったんだと思う。

 そんな情けない過去を思い出し、今日の龍司の話では、ご主人は真逆だった事が酷く僕を追い詰めた。

頑張れるだろうか?本当に今度こそ、彼女を幸せに出来るのだろうか?不安は尽きない。「本当に僕は卑怯者だ」と改めて思い、また涙が出た。情けない。

 彼女がバスルームから出て来ると、交代でシャワーを浴びた。嫌な過去を全て洗い流すかの様に、頭からシャワーを浴び続け、嗚咽した。

 落ち着いた頃、バスルームを出てベットの方に歩いて行くと、ベットの上にちょこんと座っていた。ホテルの浴衣をきちんと着こなし、僕を見て、頭を下げた。

「今日から改めて、よろしくお願いします。」

「いやいや、こんな僕で本当に良いのかい?」と言う言葉が口をついた。

「もちろん、40年よ、40年。こうなる日が来るとは思えなかったけど、やっとあなたと暮らせる。」少し俯いて涙ながらに言った。

心が痛い。

それ以外の感情が湧いてこなかった。

「お願い、今度こそ私を離さないで。」と見上げる容子は、少女の様な顔をしていて、とても美しかった。

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