第6話 風に柳の女

 確かに、容子はいい女になった。いや、昔からいい女だった。何杯目かの焼酎を口に運びながら「和哉さん、お願いがあるの」とちゃんと推しどころのツボを押さえている。さっきより幾分酔いが回り、虚な眼差しで、相変わらず真っ直ぐに僕を見つめながら言う。「帰ってきて。とは言わないけれど、一度でいいから息子に会ってやってくれないかしら。」

「どうゆうこと?」

「もちろん、息子が会いたいと言ったらだけど。田舎は目立つから、東京のどこかでも良いので、お願い。」


 「息子が高校生の時、盲腸に罹って急遽手術する事になったの。その時入院した病院の看護師さんから、そっと耳打ちされたわ。」

「息子さんの血液型を調べた事ありました?」

「えっつ?多分B型だと記憶していますが、それが何か?」

「はい、ただしRHマイナスのB型で、稀な血液だと言う事はご存知でしたか?」

「いいえ、そこまでは…」


確実だった。そう、僕はRHマイナスのB型。多分、いや間違いなく僕の息子だ。


 「看護師さんは、小さく何度も頷き手術室に消えて行ったわ。そう、息子は間違いなくあなたと同じ血液型。看護師さんは個人情報の観点から大袈裟にせず、私にそっと耳打ちしてくれたのだと思う。」

「やっぱり、息子が心配なの。これから、年齢を重ねるにつれ、いろいろな病気のリスクが上がるわ。そんな時、もし、血液が必要になったら。分かってくれる?」


 彼女が言って居る事は、尤もだった。しかしどうやって説明するのだろうか。

「私ね、主人を癌で亡くして思ったの。主人や恋人はとても大切な人。でもね、女は息子なの。息子に何かあったら生きていけない。あなたと別れた時も泣いたわ。気が狂れるんじゃ無いかと思うくらいに、泣いた。でも、息子に何かあったらと思うと、もっともっと辛いと思う。身を切られるより辛い。」

そう言って、俯いた声は涙ながらの声に変わっていた。

 「主人を亡くした時も、すごく悲しかったけれど息子までと思ったら、気が気ではなくて、だって癌は遺伝するでしょ?若くても、リスクはあるし。

だから、今回、此処まで来たの。あなたがなんと言おうが、あなたを誘惑してでも近くに居てもらおうと、あなたに会いに来た。」

「でもどうやって、息子に説明するの?なんて紹介するの?」

「分からないわ。でも、正直に言うつもり。たとえ、それで息子に軽蔑されても良い。もしあの子にに何かあったら。主人が癌で余命宣告されてから、みるみる痩せて行きとても辛かった。もう嫌なの、そんな家族を見て居る事が、辛い。」

そこまで一気に話すと、彼女の声は、押し殺した嗚咽に変わった。


 とんでもない事をしていた。と思い酔いが覚めた。

僕はこれまで、どれほど自分勝手だったのかを、改めて痛感させられた。

「勿論、誘惑なんてされなくたって、息子に会いに行くよ。」

腹は決まった。気が付かずに沢山の人を傷つけ、迷惑をかけて来た。

せめてもの罪滅ぼしに、どんなに責められようが、嫌われようが、この人の家族を守りたいと遅まきながら、痛感した。


 お互い気持ちが少し落ち着いたところで、居酒屋を出た。

魚町通りを歩きながら、夜風が心地いい。気付かぬうちに僕たちは腕を組んで歩いていた。酔っていたから、支え合うつもりで自然と腕を組んでいたのだと思う。

 そんな時、銀天街の方から方から酔っ払いが歩ってきた。

「まずいなこんな時間の酔っ払いは。絡まれると面倒だから、うまくやり過そう」とした時、追い抜きざまに絡んできた。

「お二人さん、熱いねぇ、これから良い所かい?」

すると、彼女は振り返り「そんなふうに見えます?」と思わぬ発言。

「あれぇ?吉田?吉田和哉じゃねえか」とその中の一人が僕のフルネームを口にした。慌てて振り返ると、そこに、人相の悪そうな3人組。「やばい。」と思ったら、「橘さん?」

「おう。何してんだ吉田、こちらの美女はどなただ?」

「えっ、和哉さんのお知り合い?」

「おう、和哉さんって、お安くないな」

そこに居たのは、この辺ではちょっと名の知れた人物、橘 勘三郎.。

彼は今僕の仕事をして居る会社の先輩で、港湾の顔役でもある。なんでも母親が歌舞伎が好きすぎて、息子に勘三郎とつけてしまったくらいの歌舞伎ファンなのだが、確かに整った顔立ちをしている。しかし、界隈では若い頃やんちゃしていて、知らぬ者はいない。

「おう、吉田いいところで会った。俺たち今から、源さんで飲もうと思ってるんだ。お前も付き合え。」

「ええっ?でも…」と躊躇していると、容子は「わぁ、楽しそう。私もご一緒して良いですか?」

「えっ、まじ?大丈夫?」

「おっ、良いね、お嬢さん。見かけない顔だけど、どこの店にお勤めだい?」

「ごめんなさい。私、ご挨拶遅れましたけれど、吉田和哉の元カノです。」と言って笑ってる。

気を良くした勘三郎の兄貴は、豪快に笑い「こりゃあ傑作だ。気に入った。飲もう、飲もう。」と言って、歩き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る