336.一人暮らし(2)
静かな部屋にけたたましいベルの音が鳴る。気持ちのいいうたた寝を起こされて、目をギュッと瞑った。それから布団の中から手をヘッドボードのところに伸ばし、目覚まし時計を探す。
左に右に手を動かすと、振動する小物に手が当たった。これだ、その小物を掴むと手探りで止めるスイッチを探す。目を開けずにいるので中々に見つからない。
すると、指先に突起がぶつかった。その突起を押すと、けたたましく鳴り響いていた目覚まし時計が鳴り止んだ。
「うぅ……朝……」
重い瞼を開けると、カーテンの隙間から光が漏れ出ていた。しばらく天井を見上げて、頭の覚醒を待つ。まだ見慣れない天井だけど、きっとこれから見慣れていく天井になるだろう。
「よし、起きるかな」
ベッドの中でボーッとしたお陰か、頭が冴えてきた。体を起こしして、大きく背伸びをする。
「んーー……はぁ」
新しいベッドはとても気持ちが良くて、深い眠りを堪能できる。そのお陰か、朝の寝起きが良くなった。寝具を奮発して良かった、冒険者は体が資本だから大切にしないとね。
ベッドから下りて、スリッパを履く。この家は本当は土足用の床になっていたが、私個人の好みで土足禁止にしてスリッパで移動できるようにした。だから、前世と変わりなく過ごせるところがいい。
部屋のカーテンを開けると、眩しい朝日が差し込んでくる。
「あー、今日もいい天気。気持ちいい」
天気が晴れだとやっぱり気持ちがいい。朝のスタートにはピッタリで今日もいい一日になりそうだ。
部屋を出てリビングに移動すると、そこのカーテンも開ける。暗かった部屋に日差しが差し込んできて、清々しい気持ちだ。部屋を明るくした後は朝食の準備だ。
台所に行くとまず小さなやかんに水を入れて、発火コンロの火にかける。壁にぶら下げていたフライパンを手に取ると、もう一つの発火コンロの上に乗せる。
それから食糧保管庫を開け、バター、砂糖、縦に切っておいた細長いパンを取り出す。発火コンロの火をつけてフライパンを温めると、バターを溶かした後に砂糖を振りかけてそれも溶かす。その後にパンの平らの面をフライパンにくっ付けて焼いていく。
すると、やかんのお湯が沸いた。発火コンロの火を止めると、紙フィルターの必要がないコーヒードリップにコーヒーの粉を入れる。マグカップの上にドリップを置くと、その上からお湯を注ぐ。
コーヒーの匂いとバターと砂糖が焼かれる匂いが混じり合って、堪らなくなる。やかんの中に入った余分なお湯を捨てて、水切りカゴの中に入れた。その後、新しいフライパンを取り出して発火コンロの上に乗せる。
食糧保管庫から厚切りベーコンと卵を二つ取り出す。熱せられたフライパンの中にベーコンを入れて、その上に卵を二つ割り入れる。それから壁にかけていた蓋を取り出して、フライパンの上に乗せた。
そんなことをしていると、コーヒーのドリップが終わった。コーヒーの粉をゴミ箱に捨て、食糧保管庫から牛乳を取り出す。熱々のコーヒーの中に砂糖を入れて溶かし、牛乳で薄める。子供の舌ではまだコーヒーだけでは苦くて飲めないから、いつもカフェオレにしている。
パンを焼いていたフライパンの火を止め、パンを皿に乗っける。バターと砂糖のいい匂いに早くかぶりつきたい気持ちを抑える。出来たカフェオレとパンを先にダイニングテーブルの上に置いておく。
ベーコンと卵もいいかな? 蓋を開けると、いい感じにベーコンと卵が半熟に焼けている。火を止めると、上から塩と胡椒を振りかけて味をつけた。壁にかけてあったフライ返しでそれを取ると、皿に盛り付ける。
最後に冷蔵庫から昨日作ってあったサラダを取り出して、ダイニングテーブルに並べる。あとは……フォークとナイフか。台所の引き出しからそれらを出すと、私はようやく席に着いた。
カフェオレ、目玉焼きとベーコン、バターと砂糖のパン、サラダ、これが私の朝食だ。
「いただきます」
手を合わせて挨拶をすると、早速食べ始める。パンを齧ると、甘い砂糖と少し焦げたバターのコクを感じて堪らない。その後、卵の黄身を潰すと、トロリと黄身が零れだす。そこに切ったベーコンと白身をつけて一口。
「ふふっ、美味しい」
甘いパンを食べた後の塩見と黄身のコクは堪らない。思わず独り言を零してしまうほどに。そんな美味しい朝食を食べながら今日のことを考える。
「今日が久しぶりのお仕事の開始。何をしようかな? 外に行くのもいいし、内で仕事を見つけるのもいいし……」
難民の自立を支援するお仕事ももうやることがないので、ようやく私個人で働きに出る時がきた。新居の準備で沢山のお金が無くなったから、またお金を稼がなくちゃいけない。
とりあえず、クエストボードを見る。その後にヒルデさんたちと合流して、どうするか決めていかないとな。久しぶりに普通の仕事をすることに私はワクワクとした気持ちでいた。
ふと、前世を思い出す。無為に過ごした平和なだけな日々。あの時と比べたら、とても充実しているように思う。絶対に前世のほうが物や生活が充実していたはずなのに、不便な今の方が心が充実しているように思う。
朝食の準備も前世なら億劫だったけど、今は準備をすることを楽しんでいる。湧いていくお湯、焼けるパンとベーコンの音と匂い、テーブルに並べられる皿。少しずつ準備が整っていくのが楽しかった。
はじめは辛かったな。固い草のベッドに一日一食の配給。寝るのも食べるのも苦労していた。傍には信頼できる人もおらず、自分の足だけで立たなくてはいけない状況だった。
でも、少しずつ改善して、少しずつ力をつけて、少しずつ前へ進んだ。その結果がこれだ。寝心地のいいベッドで寝られて、お腹いっぱいに食事ができて、わくわくしながら仕事に向かえる。
そうだ、魔道具の仕事とかないかな? 便利な魔道具が増えれば生活はもっと豊かになるだろう。自分で作るのも面白いかもしれない。前世にあった便利なものを作るとか……うん、楽しそう。
「ごちそうさまでした」
そんなことを考えている内に美味しい朝食を食べ終えた。最後に残ったカフェオレを飲み干すと、使い終わった食器を流し台の中に置く。それから水を出して、スポンジに洗剤を付けて使った物を洗う。水で泡を流し落とせば、水切りカゴに入れた。
歯を磨き、顔を洗う。フカフカのタオルで顔を拭く瞬間が好きだ。それから寝室に戻ると用意してあった冒険者の服に着替える。鏡を見ながら髪を梳かし、全身を鏡でチェックする。
「よし、準備完了」
マジックバッグを背負い、鍵を手にすると玄関に行く。ブーツを履き、つま先をトントンと床に叩く。それから振り向いて、自分の部屋に向かって――
「行ってきます!」
扉を開けて、私は外に出た。一日の始まりだ。
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