334.恩を返す時(2)
朝の騒がしい時間、人が外に出始めた時間。私は大通りを走っていた。気持ちが大きくなると、もっと早く走りたくなる。ゆっくりなんてしてられない。
人の波を潜り抜けて、真っすぐ目的地へと向かう。だんだんと見慣れた光景が目に入ってくると、気持ちが逸ってくる。あともう少し、あともう少しで伝えられる。
そして、見慣れた建物が目に入ってくると脇目も振らずに中へと入る。見慣れた扉を見つけると、その扉を叩く。
「ヒルデさん、リルです!」
ドンドン、と扉を叩くと一歩扉から離れる。早く扉が開かないかな、そう思っていると中から物音が聞こえた。すると、扉がゆっくりと開く。
「どうした、リル。こんな朝に」
「ヒルデさん、できたんです!」
「……何がだ?」
「あの、あのっ! 素材がようやく集まったので、それをオルトーさんに渡して、すぐに作ってもらいました。すぐにって言っても三日もかかっちゃいましたが……でも、でも!」
「落ち着けリル。オルトーみたいに早口でめちゃくちゃ喋る奴になってるぞ」
「だって、だってっ!」
伝えたいことが伝わらないもどかしさ。落ち着いて話したらちゃんと伝わるのが分かっているのに、気持ちが逸ってしまって中々伝えられない。
「家の中に入って、茶でも飲むか?」
「そんなのんびりしている暇はないです! 急いでいきましょう!」
「急ぐってどこへ行くんだ?」
「オルトーさんのところへです?」
「オルトーのところ? で、結局何ができたんだ?」
そうだ、まだ肝心なことを伝えていなかった。私は落ち着くように深呼吸をする。うん、もう大丈夫。
「ヒルデさんの体を元に戻す薬ができたんです」
ようやく伝えられた。それを伝えるとヒルデさんは驚いた顔になって、しばらく固まった。
「素材がようやく集まって、それでオルトーさんに作ってもらったんです」
「それは、本当か?」
「はい、本当です」
「そうか……」
まだちょっと信じられない、と言った表情をする。でも、これは本当なんだ。ヒルデさんの腕を掴んで引っ張った。
「行きましょう。薬はオルトーさんに預かってもらってます」
「おいおい、急かすな。今、準備してくるから待ってろ」
「早くですよ!」
ヒルデさんは苦笑いをしながら、一旦家の中へと戻っていった。扉の前で待たされている間の時間はとても長く感じた。
◇
「早く、早く!」
「おいおい、そんなに急ぐな。足が痛い」
「戦っている時は走っていたじゃないですか」
「それは、必要があったからだ。今はそれほど必要ではない」
「必要です!」
ヒルデさんの手を引っ張って通りを進んでいく。片足が棒のままのヒルデさんは走るのが得意じゃない。それは分かっているんだけど、早く薬を飲んで欲しくてヒルデさんを急かした。
目の前にオルトーさんのお店が見えてきた。私はヒルデさんを引っ張る力を強くして、強引にお店の前まで引っ張ってきた。そして、挨拶もせずに扉を開く。
「オルトーさん、薬は無事ですか?」
いつもの作業場に行くと、オルトーさんはいつもの机に向かってお茶を飲んでいた。
「無事だよ、無事。あれから一度も触ってないし、地震とかも起こってない。ほら、なんともないだろう?」
薬は出てきた時と同じ場所に置いてあった。良かった、なんともなくて。
「やぁ、オルトー。薬を作ってくれたんだってな、ありがとう」
「いやいや、こちらこそ。貴重な素材を使って貴重な薬を作る経験をさせてもらったんだ、とてもいい仕事だったよ。やっぱり高難易度の調合はいいね、やりがいがあるよ。しかも、今回はリルのサポートつきだったから、かなり楽に作れた。自信作だ」
「そうか、それは頼もしい」
薬をよそに二人は雑談をし始めた。その雑談を聞いていて、私はとてももどかしくなった。
「もう! 話はいいですから、早く飲んでください!」
「はははっ、リルに怒られてしまったよ」
「これは話よりも薬のほうが先決だな」
「イスを貸してもらえないか?」
「もちろん。そこのテーブルのイスを使ってくれ」
「早くしてください!」
なんでこの二人はこんなにのんびりなんだろう。そりゃ、薬は逃げないし、飲めない事態にはならない。でも、早く飲んで欲しい。
ヒルデさんはイスに座ると、左足に装着した棒を外した。左目を覆っていた眼帯も外し、いつでも復活しても大丈夫なようにする。
「それじゃあ、リル。薬をくれ」
「はい」
薬を渡すと、蓋を開けて中身を確認する。
「匂いはまともだな。凄い薬だから、匂いも強烈なんじゃないかって思ったよ」
「まぁ、そういう薬もあるっちゃあるね。でも、そういう薬の場合は」
「二人とも、こんな時までお喋りしないでください!」
もう、この二人はのんびりなんだか……!
「はははっ、すまない。これで自分の体が元に戻ると思うと、感慨深くてね。ちょっと飲むのを躊躇してしまったんだよ」
「ヒルデさん……」
「そんな顔をするな。ちゃんと飲むから安心しろ」
まさか、今になって元に戻りたくないってことはないよね。心配していると、ヒルデさんは笑った。そして、薬の瓶を口元に持っていき、中身を飲み込んだ。
全てを飲み干し、瓶をテーブルの上に置く。しばらくは何も反応がなかったけれど、それは突然起こった。
「えっ、光ってる」
左目の部分と左膝の部分が光り出した。左目の部分は光っているだけだが、左膝の下から光りが伸びてくる。ぐんぐん伸びていった光りは足の形をして止まった。
形どると、光りが収束していく。その後に現れたのは、肌色をした普通の足だった。
「足が生えてきた……」
「こうなるのか」
「あ、あのっ! 動かせますか?」
「やってみる」
ドキドキしながら生えてきた足を見ると、つま先が上下に動く。
「動きました!」
「自分の足のようだ……」
「ヒルデさんの足ですよ! 今度は立ってみてください!」
「あぁ」
そういうと、ヒルデさんは自分の両足で立ち上がった。真っすぐに立つ姿はいつもと変わらない。いや、いつも以上に凛々しく見えた。
「立てたな」
「立てました、立てたんです! やったぁ!」
その姿を見てとても嬉しくなった。その喜びを分かち合いたくて、ヒルデさんに抱き着いた。
「そんなに喜んでもらえて、なんだか恥ずかしいな」
「ヒルデさんは嬉しくないんですか?」
「嬉しいさ。ただもうはしゃぐ年でもないからな、こういう時どうすればいいか分からないんだ」
「嬉しかったら笑えばいいんですよ! ほら、笑顔です!」
「笑顔か……そうだな」
ふっ、とヒルデさんは笑顔を見せてくれた。その時、ずっと閉じていた左目が開いた。そこにはあるはずもなかった目がしっかりと生えているのが見える。
「ヒルデさん、目! 目ができてます! 見えますか?」
「あぁ、見えるよ。可愛いリルの顔がね、はっきりと」
「私のことはいいんです。でも、良かった……足も目も元に戻って」
「あぁ、リルのお陰だ。本当にありがとう」
ヒルデさんの体が元に戻って本当に良かった! 嬉しくてギュッと抱き着くと、ヒルデさんも抱きしめ返してくれる。なんだかそれが嬉しくて、ヒルデさんの体に顔を埋めた。
「これでリルと好きなところに出られるな。どこに行こうか、考えるのが楽しみだ」
「私もです。まぁ、強いヒルデさんと一緒にいったら、私のやることなくなっちゃいますけどね」
「そんなことはないさ。とても心強い」
自由に歩け回れるようになったヒルデさんとどこに行こう。考えるだけでとても楽しみだ。ヒルデさんと一緒なら、どんな魔物も討伐できちゃうよね。
その時、お茶をすするわざとらしい音が聞こえて体を離した。
「いやいや、妬けるねー。良い弟子を持って羨ましいよ」
「ふふっ、羨ましいだろ」
「全くだ。私も欲しくなったなー、リルどうだい? 私の弟子にもならないかい?」
「錬金術……興味はあるんですけど、難しそうで」
「おっ、これは良い心境の変化だ。もっと押せば、リルが頷いてくれる日も近いんじゃないか?」
「おいおい、人の弟子を取らないでくれよ」
「いやいや、共有はしてもいいんじゃないか?」
どうして、私を弟子にする話になるんだろう? でも、何度も言われてしまうと心が動いてしまう……。すると、ヒルデさんから肩を掴まれて引き寄せられる。
「まずは私に話を通してもらおうか」
師匠面したヒルデさんが楽しそうに笑っていた。
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