320.廃業寸前の宿屋(2)
「考えがあるって……新しく人を雇い入れるとかか?」
「でも、こんなところで働いてくれる人がいるかしら?」
私の話を聞いて、老夫婦は困惑した表情を見せた。その言葉に首を横に振ると、話を続ける。
「私が考えている案は、難民たち自身が自分たちの身の回りのことをするということです」
「それは一体……」
「宿屋に泊まると食事の世話、部屋の世話、洗濯の世話などを行うと思います。それらを全て難民自身に行ってもらうのです」
宿屋に泊まれば様々な世話をしてくれる。それが老夫婦にとって負担になることは目に見えている。体の自由があまり効かなくなった今、満室状態の宿屋を動かすのには体力的に厳しい。
だから、体力がある身近な人にやってもらったほうがいい。それが難民だ。難民自身が自分の身の回りの世話をしてもらえれば、老夫婦の負担が軽減される。それに、良い要素はまだある。
「自分で身の回りの世話をすることで、それは自立への支援にも繋がります。いずれは宿屋を出ていって、自分で部屋を借りて生活しなくてはいけません。その時、自分の身の回りの世話をできなかったら大変なことになりますよね」
「だが、それでは宿屋としての役割が……」
「難民の自立を支援するためにも、この方法を許してもらえませんか? この宿屋にいる時にそういう経験をしていると、自立した時の力になります」
老夫婦は難しい顔をして考え込んだ。宿屋としては泊まってくれる人の世話をしなければ、という使命感にも似たものがある。今回のことでそれを捨て、泊まってくれる人自身で身の回りの世話をしてもらうことになる。
いきなりやり方を変えるのは、戸惑いもあるだろう。だけど、それは難民にとって必要な経験だ。自立した時に困らないようにしてあげたい、だからこの方法はきっと有効なものになる。
しばらく、考えていた老夫婦。すると、老婆が口を開く。
「私はねまたあの頃のような賑やかな宿屋が戻ってくるのを夢見てたわ。美味しそうに食事を食べる風景、元気よく出ていく風景、どれも大切な思い出だった。あの頃は忙しかったけれど、その分楽しかったのを覚えているの」
「そうだな、あの頃は忙しくても毎日が充実していた。どれだけ働いても体は自由に動くし、なんだってできた。楽しかったなぁ……」
「もうこの年になったし、そんな無茶はできなくなったわ。だから、もうあの頃のような日々は戻ってこない。そう思っていたのに、あなたの話を聞いてその思い出が戻ってくるんじゃないかって思ったわ」
老夫婦はしみじみといった感じで語り出した。二人にとって若かった頃の働いてきた思い出はとても大切なもの。忘れがたい思い出になっていたみたい。
「体は思うように動かないし、ちょっとボケちゃうことだってある。それでもこの仕事が好きだから続けていたの。だから、もう一度働けるのなら私は働いてみたいわ。あなたはどう?」
「そうだな、体は思うように動かないが、またあの日々のような時が戻ってこればいいと思っていた。宿屋を続けていたのも、またあの日々のように働きたかったからだからな」
「あの時のように動けないのであれば、申し訳ないけれど宿泊者の力を借りないといけないと思ったわ。どれだけ働けるか分からないけれど、ここの住んでくれる人たちと協力し合っていきたいわ。あなた、やりましょう」
「むぅ……お前がそこまでいうんなら」
老婆が老人を揺すってお願いすると、老人は難しい顔をしながら頷いた。そして、こちらを真剣な目で見る。
「わしらには宿泊客全員の世話をする体力がない。でも、あの日々が戻ってくるのなら、あんたの提案を呑もうと思う」
「ありがとうございます。では、この話を受けてくださいますか」
「あぁ、頼む」
良かった、話を受けてくれて。老夫婦の表情も納得しているような感じだし、無理強いとかにならなくて良かった。次は具体的なことを話したいんだけど……。
「ここに来た時に言っていた事なんですが、この宿屋を手放したくない様子でした。ということは、宿屋の権利とかは今のままがいいということですか?」
「それは、どういうことだ?」
「今まで通りに宿泊客から料金を徴収して宿屋を経営する形がいいのか。それとも領主様の方で宿屋を買い上げて、その下で働くという手もあります」
その話に老夫婦は顔を見合わせて、少し思案した。
「あの時は突っかかってしまって悪かったな。宿屋を手放したくない理由は、片方が死んだ時にもう片方に宿屋を残してあげたいという考えがあったからだ」
「どちらが早く死ぬか分からないから、相手に宿屋を残してあげたいのよ。そんな理由だったから、宿屋の権利は自分の手元にあったほうがいいと考えていたの」
「だが、領主様に守られるのなら片方が死んでも安心できる。死ぬまで面倒を見てもらえるのであれば、権利を売ってもいい」
老いている今、どちらが先に死ぬか分からない状態。二人ともそんな状態だから、相手の事が心配で宿屋を残してあげたかったんだ。でも、領主様の下だったら二人とも権利を手放してもいいと考えているみたい。
「ちなみに宿屋を手放さない場合と、手放す場合ではどんな風に変わってくるんだ?」
「宿屋を手放さない場合は難民から宿泊料を徴収する形になりますが、支払う宿泊料に領主様から一部の支援金が入ってくるようにしたいと考えています。宿屋の権利を買い上げる形になると、宿屋に直接支援金が入ってくることになると思います」
「どちらにしても、領主様からの支援金が入ってくるわけね。でも、困ったわ……私たちはそんなにお金を必要としてないのよ」
「片方が生活できる程度のお金があればいいだ。だから、経費と生活費と片方が残った時のお金くらいがあればいい」
「なるほど、そんな風に考えているんですね。具体的にどれくらいのお金があれば、宿屋を経営しお二人が生活できるか計算してみましょう」
マジックバッグの中から紙とペンを取り出すと、私は二人の話を聞いて具体的な数字を出していく。基本的な宿泊料、食費、その他雑費。二人の話を聞きながら費用の面を計算していった。
「こんな感じでいいでしょうか?」
「随分と早いな。ちょっと見せてもらおう」
紙を手渡すと老夫婦は真剣な目で紙を読む。しばらく待っていると、紙を返された。
「問題ない。宿屋が手元に残した時や権利を手放した時の費用も良く分かった。まだ、小さいのにこんなことまで考えられるのは凄いな」
しまった、つい前世の名残でやってしまった。あ、後ろにいるセロさんも紙を見てちょっと驚いているし……控えめにしないと。でも、ここは大事なところだから力を抜けない。
「えーっと、費用の面とお二人に支払われるお金のことは以上となります。これから資料を作って領主様に判断してもらいますが、その前に何か意見とかありますか?」
「いや、特にない。宿屋の経営のことも、片方が死んだ時のことも、十分に話してもらった」
「私もないです。今はまたあの日々のような宿屋が戻ってくると思うと、楽しくなってきました」
「では、このまま話を進めさせていただきます」
話は円満に終わった。はじめはどうなることかと思ったけれど、とてもいい老夫婦に出会えたことを感謝しなくては。この宿屋が昔のように賑やかになってくれる日を夢見て、私たちは宿屋を後にした。
その後、屋敷に戻った私は老夫婦から聞いた話と私が考えていることをまとめて紙に書き出した。それから、お金のことも事細かく書いて、分かりやすくまとめた。
前世の記憶を頼りに資料を作ったのだが、この資料がこの世界の人に通じるのか不安。そこで、セロさんに見てもらうことになった。大量に作った資料を真剣に読んだセロさんはというと……。
「す、凄い資料ですね。こんな詳細な資料は読んだことがありません」
しまった、つい力を入れすぎてしまったかも。ま、まぁ……分かりやすいほうがいいよね。
◆ ◆ ◆
いつもお読みいただきありがとうございます。
大変申し訳ありませんが、次回からの三日に一話の更新に切り替わります。
(12:01の更新です)
読者様にはご迷惑おかけしますが、どうかご容赦ください。
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