319.廃業寸前の宿屋(1)

 私はセロさんと一緒に紹介された宿屋へと向かっていた。手紙に同封されていた地図を見ながら町の中を歩いていくと、路地の奥へと進んでいった。


「この辺りにあるはずだが……あそこじゃないか?」


 セロさんが指を差した方には、木造の二階建ての建物が建っていた。その外見は朽ちているように見えて、雰囲気が良くない。外壁も傷だらけで、木材も古めかしくなって、そんなに状態はよくない。


「ここみたいです」

「随分と古い感じの建物だな。本当に人がいるのか?」

「なんでも、コーバスで一番古いんじゃないかって言われている宿屋ですからね。あ、宿屋の看板は下がってますね」


 本当に人がいるのか疑わしい外見だ。これだったら宿泊客が来ないことも頷ける。寝食をするなら誰だって綺麗なところがいいだろう。


「とりあえず、中に入って話をしましょう」


 するとセロさんが先頭に行って、扉を開いてくれた。中に入ってみると、どんよりとした雰囲気のカウンターがあり、そこには一人の老婆が座っている。その老婆は寝ているようで、こっくりと頭が揺れていた。


「すまない、ご婦人。少し話をしたいのだが」


 セロさんが声をかけるが、その老婆は反応しない。私たちは顔を見合わせてどうしたものかと考えた。


「あの、起きてください」


 今度は私が近寄ってその体を擦って上げた。すると、老婆の目がゆっくりと開く。


「おや、お客さんかい? 珍しいこともあるもんだ」

「すまない、俺たちはお客じゃないんだ。この宿屋に用があってきた。宿屋の亭主はいるか?」

「亭主……あぁ、旦那のことだね。ちょっと待っとくれ、今呼んでくるから」


 そう言ってイスから立ち上がった老婆はゆっくりと移動して宿屋の奥へと消えていった。その間に宿屋の状態をチェックする。宿屋の顔というべき受付は薄汚れていて、あちらこちらの木造のところが古めかしくなっている。


「うーん、掃除したら綺麗になりますかね」

「木材が朽ちている部分もあるから、全ては綺麗にならないだろうな。流石は一番古いと言われるだけのことはある」

「本当に廃業寸前な感じですね」


 受付だけでもかなり酷い状態なのに、実際に食事を取ったり寝たりする場所はどれくらい汚れているんだろう。確認するのが怖くなってきた。


 周囲を観察していた時、宿屋の奥から老婆が男性の老人を連れて戻ってきた。


「待たせたね、この人が店主だよ」

「おー、なんだ。用があると聞いたんだが」

「中に入って、話をさせてくれないか?」

「中で?」


 セロさんが対応すると、老人は顔を顰めた。


「分かった、お前たちはわしらの宿屋を乗っとるつもりで来たんだろ! 帰れ! この宿屋は絶対に渡さんぞ!」

「そんなつもりじゃ……」

「帰れ、帰れ! ここはわしらの宿屋じゃ、他の奴らには任せられん!」


 老人は急に怒り出し、腕を振り上げてこちらに詰め寄ってくる。どうやら、私たちを宿屋を乗っ取りに来た人だと勘違いしたみたいだ。老人はセロさんを叩き始めて、場は騒然となった。


「ちょっと待ってください!」


 私は堪らずにセロさんと老人の間に割って入る。


「私たちはこの宿屋に人を泊まらせたくて、やってきただけです」

「人を?」

「宿屋を乗っ取ったり、無理やり奪ったりはしません。ただ、この宿屋を利用したいだけです」

「それは本当なの?」


 私が懸命に訴えかけると、後ろに控えていた老婆が前に出てきた。まだ信じられないといった顔をしているが、話を聞いてもらえそうだ。


「お願いです、お話をさせてもらえませんか?」

「あなた……」

「む、むぅ……宿屋を利用したい奴がいるのであれば、話を聞いてやってもいい」

「ありがとうございます!」


 やった、話を聞いてもらえそうだ。


「じゃあ、こっちに来てね」


 宿屋の奥へと案内される。ギシギシと床の軋みを聞きながら進んでいくと、一つの扉があった。その扉を開くとそこは広い食堂になっていた。その食堂はどんよりと空気が悪くなっていて、薄汚れた印象だった。


 その中の一つの席に案内されて、私は座ってセロさんは後ろに控える。早速、私から話を切り出した。


「まず、この場を設けてくださりありがとうございます。私たちは領主様の命を受けて、この場にいることを伝えさせていただきます」

「えっ、領主様の?」

「それは、本当か?」

「これが、その証拠になる」


 領主様の名を聞き、二人は驚いている。だが、どこか信用していないみたいなので、セロさんが書状を差し出した。その書状には今回の件で私が領主様の命を受けて活動している、ということが書かれてある。


「あら、本当なのね」

「でも、これが本物かは……」

「ここに印がその証明になるんだが。もし、疑うなら役所に行って証明してもいい」

「あなた……」

「むぅ、そこまでいうんだったら信じよう」

「ありがとうございます」


 どうやら私たちが領主様の命を受けてやってきたと信じてくれたみたいだ。初めから虎の威を借る狐になってしまったが、その方が話が進みやすくなるだろうから仕方がないよね。


「それで、この宿屋を利用したいと言っていたが……宿泊客を斡旋してくれるのか?」

「はい、それに近い形ですね。長期滞在を目的にした宿泊客をこの宿屋に泊めたいと考えて来ました」

「一過性のものじゃなくて、長期滞在か……それは冒険者か何かか?」

「泊まらせてもらう人は冒険者じゃなく、難民の人たちです」

「難民……」


 難民の言葉を聞いて老夫婦は驚いた顔をした。まるで、予想もしていなかった名を言われたみたいだ。


「どうして宿泊客が難民なのか、それは領主様の施策を説明しなければいけません」


 私は領主様が行っている施策について話した。隣領と自領で起こったスタンピードで住む家を追われた難民が増えたこと。スタンピードの影響で財政が圧迫され、難民たちに十分な支援が届かず、このままいけば難民の村が破綻してしまうこと。


 それを解決するために難民を減らそうと考え、難民を町民に変える施策を実行していること。その施策の実行をトリスタン様の代わりに私が担っていること、事細かに説明した。


「スタンピードの影響があったとは、知らなかった。コーバスの外の事情は入ってこなかったからな」

「そう、今この領は難民が溢れていたのね。本当ならその状況は宿泊客がいれば教えてくれるんだけど、この状況じゃ……」


 老夫婦は難民が溢れている事実を知らなかった。それもそうだ、あそこはほとんど隔離された状態にあるから、その情報は関係者じゃないと分からない。


「それで、難民を町民に変えるには市民権の獲得、定職と住む場所を手に入れなければいけません。それまでの期間、難民を泊まらせる場所が必要になります。その場所にここを使わせてもらえないかと考えたわけです」

「どうして、ウチだったんだ?」

「こういう場所を探していたんです。宿泊客が少なければ、沢山の難民を受け入れてもらえる筈だと思ったからです。今、大勢の難民がいますから、少しでも多くの難民を町の中に入れたかったのです」


 他にも理由はあるが、それは今話すことじゃないだろう。


「沢山の難民って、一体どれくらいなの?」

「多分、この宿屋の部屋が全部埋まるくらいですね。ちなみに、部屋数はどれくらいありますか?」

「四人部屋が四つ、二人部屋が八つ、一人部屋が六つだ。全部で三十八人泊まれる」

「はい、そのくらいなら全部埋まると思います」


 今、難民の村は千人近くの難民が生活している。今回の施策でどれほどの人が名乗り出るかは分からないが、それくらいの人数ならすぐに埋まってくれると思う。


 部屋が全部埋まると聞いた老夫婦は驚いた後、嬉しそうだけど心から喜べないような微妙な表情になった。あれ? 全部部屋が埋まるのが嬉しくないのかな?


「それほど、嬉しそうじゃないですね」

「えぇ、まぁ。嬉しいんだけど、嬉しい悲鳴というか……」

「正直に言って、今の体で全部屋埋まっても世話ができかねんのだ」

「なるほど、そういうことですか。体力的に自信がないと」


 そういうと、老夫婦は申し訳なさそうな顔をした。うん、私の手紙に書いていた通りだ。私の予想した通りだから問題ない。あとは、私がこの老夫婦の心を動かすだけだ。


「その点については大丈夫です。私に考えがあります」

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