269.異変(1)

「リルが錬金術師の弟子か……細かい作業は得意だから、案外あっているかもしれないぞ」

「ヒルデさんまでそんなこというんですか。私にはあんなに細かいことをやるのは無理な気がします」

「やってみたら、案外はまるかもしれんぞ。そうなったら、リルは錬金術師の卵か……リルを指導してきた身としては寂しくなるなぁ」

「もう、話を進めないでください」


 天気のいい昼下がり、オープンカフェでヒルデさんと一緒に昼食を食べている。周りには沢山のお客さんがいて、カフェテラスで思い思いのひと時を過ごしていた。私たちも昼食をとりながら、最近の話に夢中になっている。


「そういう言い方するのはずるいです。私の師匠と言えるのはヒルデさんだけです」

「はははっ、私も随分と慕われたものだな。こんなに可愛い弟子が出来たんだ、そう簡単に手放すほど私も薄情じゃないよ。でも、町の中に関しては私が教えられるものはない。だから、町の中の師匠もいたほうがいいんじゃないか?」


 ヒルデさんの言う通り、ヒルデさんは外での冒険者のことしか教えられない。町の中になると、教えられることはないのは確かだ。だから、町の中に師匠が居ればきっと私の生活は今より充実するだろう。


 その案を言われると、ちょっと心が傾いてしまう。でも、師匠はヒルデさんと決めたのに、それ以外の人を師匠にするなんて薄情な気がしないでもない。難しい顔をしていると、ヒルデさんに笑われた。


「その顔は悩んでいる顔だな。私を気にせずに自由にやったらいい。町の中の仕事は安全に金を稼げる、手に職を持つのはいいことだと思うぞ」

「うーん、そうですが……そうじゃないというか」

「外の冒険は危険がつきものだ、私のように体が欠損してしまうことになるかもしれない。そうならないためにも町の中で安全に仕事ができる手段を手に入れたほうがいいだろう」


 ヒルデさんの左足の膝から先は無くなり、左目も潰れてしまった。魔物との戦いで奪われたのは知っているけれど、詳しいことは聞いてこなかった。親密になった今なら、話してくれるかな?


「その、ヒルデさんはどうしてそんな体になったんですか?」

「そうだな、リルには話していなかったな」


 目を細めてうっすらと笑うヒルデさん。その表情には少しの悲壮が感じられた。そして、昔を思い出すように、ポツリと話してくれる。


「大規模なスタンピードに吞まれてしまったからだ」

「スタンピードに……」

「あの頃は血気盛んで、自分より強い魔物なんていないと思い上がっていた。力を持つ者が全ての勝者で全てを手に入れることが許される、そんな考え方をしていた。だから、大規模なスタンピードが起こった時に自分の力を示す絶好の機会だと思った」


 今のヒルデさんからは想像できない、血気盛んで無謀な考え方を持っていたなんて。自分の力を誇示するために、大規模なスタンピードに挑んだなんて信じられない。今のヒルデさんなら、そんな無謀な事はしない。


「その結果がこれだ。体は欠損して、情熱は失われて、ただ平和に生きることに甘んじた敗者になり下がったよ。こうなった悔しさと惨めさを飲み込むまで、かなりの時間がかかったけどな」


 大規模なスタンピードに呑まれて、ヒルデさんは体を欠損した。しかも、体を欠損しただけでなく、心も折られてしまう。その悔しさがどれくらい辛いのか、私には想像できなかった。


「この生温い生活が心地いいと感じるくらい、私の牙は折れてしまったんだ。欠損を理由に一線から離れ、稼いだ金で悠々自適に暮しているだけさ」

「前は今の暮らしを気に入っていると言ってませんでした?」

「あぁ、この暮らしに慣れたらそう思えるようになったんだ。だが、最近は歯がゆく思うようになってしまってな」

「どうしてですか? 心境の変化とかあったんですか?」


 ヒルデさんは悠々自適な生活を歯がゆく思う? 平和に暮すヒルデさんは今の状況に満足しているような感じだったけど、今は違う? じっとヒルデさんを見ると、ヒルデさんは観念したように口を開く。


「リルを見ていたら、今の自分の状況が歯がゆく思えてきたんだ」

「私ですか?」

「目標に向かって頑張るリルを見ていたらな、今の私の状況が悔しく思えてきたんだ。折れた牙は元には戻らないのにな、また生やしたくなった」


 ヒルデさんは仕事をする私を見て歯がゆくなった? そう聞いてピンと来なかった。きっと私には分からない感情だからだろう。でも、今のヒルデさんからは悲壮とも思える感情が伝わってくるのが分かる。


「こんな体じゃ、満足に動くことはできない。ようやく、芽生えてきた情熱を持て余すことになってしまっているんだ」

「体を治す薬とかないんですか?」

「薬はある、だが貴重なものらしい。今の私じゃ、とても手に入れられない品物だ」

「そうなんですか……」


 ヒルデさんの体が治れば、もっと外に出ていくことができるってこと? そうなったら、私は嬉しい。ヒルデさんと一緒に沢山外の冒険に出られるなんて、きっと楽しいに決まっている。


 治す薬はあるらしいけれど、それは今のヒルデさんでは手に入れられない。じゃあ、昔のヒルデさんなら手に入れられたってこと? それは私でも手に入れられるのかな?


「ヒルデさん、諦めるのは早いです。私も治す薬を手に入れられるように、手を尽くします。だから、頑張りましょう」

「リルは本当に諦めないな。そういう奴だからこそ、私に昔の情熱が戻ってきたのだろうな」

「私は何をすればいいですか? どうしたら薬が手に入りますか?」

「そういう貴重な薬は貴族が持っていたり、薬を作る人の伝手があると聞く。まずは貴族と繋がりを持たないと無理だろうな」

「貴族ですか……そういうことなら、貴族の人の目に止まれる冒険者になりましょう」


 ヒルデさんの薬を手に入れるには、貴族との伝手が必要らしい。だったら、自分が貴族と伝手のある冒険者になればいい。そうしたら、薬を手に入れることもできるだろう。


「リルは自分のことを考えればいい。Bランクになって町に住むことが目標なんだろう? 私のことは私でどうにかする」

「今更そんなこと言わないでくださいよ。ヒルデさんにはとても良くしてもらった恩があります、それを返さないでいることなんてできません。ようやく、ヒルデさんが前を向くことができたんです、私も助力します」

「そうか、ありがとう。だが、無理はするなよ。リルの本来の目的を大切にしてくれ、私のはついでで構わない」


 ついでなんて言わないで欲しい。私はヒルデさんから色んな事を教わった。そのお陰で今の私があるんだから、その恩返しをするチャンスが巡ってきたんだ。


 私が気合を入れると、ヒルデさんは困ったように笑った。待ってて、ヒルデさん。私が貴族との伝手をゲットして、薬を手に入れて見せるから!

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