241.子供たちの先生(3)

 初日の授業はほとんど出来なかった。とにかく子供たちは私に興味津々みたいで、詰め寄ってきては質問を繰り返してきた。それに答えていると、時間はあっという間に過ぎてしまう。


 気づけば終業の鐘が建物内に響き渡った。


「あ、帰る時間だ!」

「あー、腹減ったー。早く家に帰ろう!」

「よっしゃ、一緒に帰ろうぜ!」

「どっちが早いか競争だ!」

「先生、さようならー!」


 鐘が鳴ると子供たちの動きは素早かった。鞄を持って一目散に帰る子や仲がいい子と一緒になって帰る子、様々いる。あんなに私の周りに集まっていたのに、鐘の音ですぐにいなくなってしまった。


「さようなら」


 教室はあっという間にもぬけの殻になり、廊下から騒がしい声と足音が聞こえた。


「まさか、三時間お話だけで終わるとは……」


 思わずつぶやいてしまう。そう、自己紹介が終わってからずっと子供たちと話をしていたのだ。授業をやる暇がないくらいに、子供たちから色んな質問が飛んできた。


 そんな子供たちを上手くまとめられなかったのは私の責任だ。やっぱり、同じ子供だからなめられたりしているのかな? でも、そんな様子はなかったし、距離が近すぎるのが問題なのかな?


 私はガックリと肩を落として荷物を持って教室を出た。


「あれ、その教科書は。もしかして、新しく入った子供先生ですか? 私は隣のクラスの先生です」


 教室を出るとすぐに声をかけられた。振り向くと、大人の女性がこちらを向いて立っている。


「はい、今日から子供たちに教えることになりました、リルと言います」

「まぁ、あなたがそうだったんですね。随分と隣のクラスが賑やかだったから、どうしたのかなって思っていたんです。」

「すいません、煩かったですよね」

「いえいえ、気になさらないでください。初心者クラスはそういうものです。まず勉強をする、ということを学ぶクラスですからね」

「勉強をする、ということを学ぶ……ですか」


 ということは、初心者クラスはまともな勉強を教えている訳ではないのだろうか? でも、教科書は少しだけ進んでいるし、どういうことだろう?


「初心者クラスの子たちは八歳くらいの子たちばかりなので、まだまだ遊びたい盛りなんですよね。だから、落ち着きがないしじっくりとイスに座って何かをやる、ということに不慣れなんです」

「そうだったんですね。私はてっきり勉強が進んでいると思ってました」

「現場を知らないとそうですよね。多分ですが、今日は顔合わせの意味があると思うんです。だから、勉強が進まなくても気に病むことはありませんよ」


 応募を考えた時から勉強を教えるものだと思っていたけれど、そうではないみたいだ。私の早とちりだったのかな? 責任者に話を聞きに行ってみよう。


「色々教えてくださってありがとうございます」

「いえいえ、いいんですよ。頑張ってくださいね」


 教えてくれた先生に感謝をいうと、その先生は立ち去って行った。私も責任者に会いに行こう。階段を上り、三階にある部屋を訪ねる。すると、責任者がいて入室の許可を貰った。


「待ってましたよ、初日の授業はどうでしたか?」

「それが……」


 私は今日の授業の様子を細かく説明した。責任者はにこやかなまま顔色を変えずに私の話を聞いてくれる。もしかして、想定通りだったということかな?


「なるほど、そんなことがあったのね。でも、授業が出来なくても気に病む必要はないわ。現場を見てから話そうと思ったけれど、先に伝えるべきだったわ、ごめんなさいね」

「いえ、私も早とちりだったと思います。詳しく話を聞けますか?」

「えぇ、もちろんよ。そこのソファーに座って話しましょう」


 部屋の壁際にある向かい合わせのソファーに促されて私は座った。


「まず、初心者クラスの状況はこれで分かったと思うわ。みんな遊びで来ているものだと考えているから、席に座らない、立って歩く、隣の人に話しかける。それが常に起こっている状況だわ」

「はい。授業中だと分かっているのに、私のことに興味があるのかみんなが集まって話をしてきました。これは勉強がどういうものなのか分からない、ていう状態なんですね」

「そうなの。まだこの学び舎に通い始めた子ばかりだから、何をするところなのか良く分かってないみたいなの。だから、自分の好きなように動いてしまうわ」


 年齢は八歳ぐらいだと言っていた。前世でいうところの小学生二、三年生と言ったところだろう。だからと言って前世のその年頃の子たちとは比べられない。こっちの世界では義務教育というものがないから。


 だから、学び舎に来ている子たちはここが初めての学ぶ場所になる。初めてだからこそ、どういうところかまるで分からないらしい。ということは、私のすべきことはこの場所が勉強をする場所だと教えることだ。


「今の教室を教えている先生はいい人で熱心だったんだけど、中々思うように授業が出来なくて少し病んでしまって一か月間休職しているの」

「そのための募集だったんですね」

「えぇ、そうなの。だから、あなたにはあの子たちにここは勉強をする場所だと教えて欲しいの。同じ子供だといい影響が出るんじゃないか、て期待しているわ」

「分かりました。明日からそのように授業をしてみます。勉強は進まないかもしれませんが、それは大丈夫ですか?」

「えぇ、それは仕方のないことだと思っているわ。あの子たちに教えてあげて頂戴」


 私のやることは決まった、今教室に来ている子たちに学び舎がどういった場所なのか教えるということだ。まだ何をしていいのか分からないけれど、色々と試してみよう。


「あなたも教えられないからと言って気に病む必要はないわ。初めてこの学び舎に来た子たちはいつもそうなの」

「お気遣いありがとうございます。私なりに精一杯頑張ってみますので、見守ってくださると嬉しいです」

「心強い言葉ね、あなたに任せたいわ」


 責任者はスッと右手を差し出してくると、私はその手を握った。この一か月間、自分なりに頑張っていこう。


 ◇


 翌日、誰よりも早く教室に行き、教卓の前で考える。まず、何が重要か……立って歩かないことだ。そうじゃなければ、授業はできないだろう。


 この際、話すのは許してまずは席に座ることを目標にする。どうやって座らせるのがいいだろうか、やっぱり何かの作業をしてもらった方がいいんだけど、作業の材料がない。


 ということは、体を使って座って何かが出来ればいい。手遊びとかして、長時間座らせるのはどうだろう? でも、そんなに長時間やってくれるとは限らないかもしれない。ともかくやってみてダメなら、次の手を考えよう。


 そんなことを考えていると廊下が騒がしくなった、どうやら子供たちがやってきたみたいだ。教卓の前で待っていると、教室のドアが開く。


「あ、先生! おはよう!」

「昨日の先生だ、おはよう!」

「はい、おはようございます」


 続々と子供たちが中へと入ってくる。とりあえず、自分の席に着くがすぐに立ち上がって友達がいる所へと行ってしまう。まだ授業は開始してないから、まだいい。


 教室の中が子供たちで溢れかえった時、始業の鐘が鳴り響いた。


「では、一度席に着いてください」


 私が声をかけると、気づいた子たちは自分の席に座り出した。それでも話に夢中な子や遊びに夢中な子は中々座らない。これをどうやって座らせようか。


「早く座ってください」


 もう一度声をかけるが、それで座った子は二人だけだ。残りの四人をどうやって座らせるか……そうだ!


「まだ座らない子がいるので、先生が座るまでくすぐります」


 私はまだ立ち話をしているグループに近づくと、腰をくすぐった。


「やだ、先生っ、くすぐったい!」

「あはははっ!」

「ほらー、早く座らないともっと酷くなりますよー」

「わ、分かった! 分かったから!」

「席に逃げろ!」


 くすぐったらそのグループはすぐに席へと座った。残りは戦いごっこをしている男の子たちだ。


「こら、座りなさい!」

「うおっ! やめっ!」

「く、くすぐったいっ!」

「これは、無理! 座ろうぜ!」


 こっちのグループも席に座らせることができた。これでなんとか、全員を席に座らせることができた。みんなが席に座っている姿を見ると、ちょっとだけ感動してしまう。


「では、これより授業を始めようと思います」


 授業のはじまりだ。

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