154.ギルド補助員(9)

 働き始めて一か月以上が経った。ギルド内ではタイピングの入力方法が広まり、業務が以前よりもスムーズに終わるようになった。お陰で残業作業は全くないし、入力ミスも減ったように感じる。


 私はCランク目指して毎日の仕事に精を出している。もうそろそろ上がるはずなんだけど、それって事前に分からないのかな? Cランクになったら、市民権獲得まであと一ランクだ、目標がすぐ目の前にあるからやる気も漲ってくる。


 だけど、今日はなんだか体がおかしい。なんだかいつもより体が重いというか、思考がはっきりしないというか。まぁ、こんな日もあるよね。今日はミスしないように慎重に仕事をやっていこう。


 宿屋を出て冒険者ギルドに入り、更衣室で着替えてホールに出る。うーん、やっぱり体がおかしいような気がした。でも、動けないわけじゃないから大丈夫かな?


「リルちゃん、おはよう」

「おはようございます」

「一緒にクエスト用紙を貼りにいかない?」

「行きます」

「じゃあ、高いところは私がやるから、低いところはリルちゃんがやってね」

「はい、助かります」


 ギルド補助員と合流すると、昨日作ってあったクエスト用紙を手に取ってクエストボードに近づいていく。上の二列をお姉さんに任せて、私は下の二列を貼っていく。入口の扉が開く前に全部貼り出しておかなくちゃね。


 お姉さんと一緒にクエスト用紙を貼っていく。なんだかフラフラしてきたような、視界が揺れているような。ボーッとしながらクエスト用紙を貼っていくと、手からクエスト用紙を離してしまった。取らないと、そう思ってしゃがもうとすると膝から急に力が抜けてしゃがみ込んでしまう。


「リルちゃん、大丈夫!?」

「えっと、はい……」

「急にどうした……リルちゃんの顔赤いわよ!」

「え?」


 お姉さんは慌てたようにしゃがみ込み、私の額に手を置いた。


「熱いわ。熱があるじゃない、アーシアさんのところへ行きましょう」


 お姉さんに肩を抱かれながら受付の中へと戻っていく。私、熱があったの? そういえば、ちょっと体が熱いような気がしてきた。


「アーシアさん、リルちゃんに熱があるみたいなんです」

「えっ、そうなの?」


 アーシアさんの目の前に連れられると、アーシアさんも私の額に手を置いた。


「本当だ熱があるわ。リルちゃん、今日の仕事はいいから帰りましょう? なんだかフラフラしているし、私が送っていくわ」

「……はい」

「じゃあ、しばらく後をお願いするわ。それじゃ、行きましょう」


 ◇


 更衣室で着替え終わった後アーシアさんに連れられて宿屋まで戻ってきた。戻った時には熱はかなり高くなっていて、体が思うように動かなくなっている。アーシアさんは部屋まで付き添ってくれた。


「部屋に到着したわね。体調は……ダメそうね」

「はい、なんだか急に体が重くなったようです」

「本格的に悪くなる前に戻ってこれて良かったわ。仕事は風邪が治ってから来てね、それまではしっかりと休むのよ」

「ありがとうございます」


 ベットの端に座ると体がぐっと重くなった感じがする。本当に悪くなる前に宿屋に戻ってこれて良かったな。


「じゃあ、私は行くけどくれぐれも無理はしないようにね」

「はい」

「本当はそばにいてあげたいけど、仕事があるからこの辺で失礼するわね」

「色々と気にかけて下さってありがとうございます」


 そう言いながらも、心配してくれるのか中々出て行かない。しばらく、ドアを開けてアーシアさんが立っている。


「それじゃあ、行くわよ。本当に大事にしてね」

「心配してくれてありがとうございます」

「しっかり休んでね」


 そういったアーシアさんがようやく部屋を出て行った。バタン、と扉を閉められると部屋は静かになる。ふー、ようやく気が抜けるよ。ふらつく体を我慢して立ち上がり、タンスの中から寝巻を取り出して着替える。


 うぅ、本当に体調が悪い。色んな人とやり取りしながら仕事をしていたから、そこから菌が体の中に入っちゃったのかな。それとも新しい環境で頑張りすぎちゃったから、風邪を引いたのかな。


 ベッドの中に入って横になる。このまま寝てしまおう、そう思った時扉がノックされた。


「はい」

「私だよ。ちょっと入るよ」

「はい」


 扉を開けて現れたのは宿屋のおばさんだった。見てみると片手に水差しと桶を持ってきたようだ。どうしたんだろう?


「さっき女の人からリルちゃんが風邪を引いたって聞いて来てね、飲み水と冷やすためのタオルと水を持ってきたよ」

「えっ、そうなんですか。ありがとうございます」

「いいんだよ。それよりも体調は結構悪いのかい?」

「……はい」


 おばさんはコップがささった水差しと桶をタンスの上に置くと、こちらに近づいてくる。そして片手で額に手を当てて、温度を計ってくれた。


「……結構熱いね。体調が悪いのに働くなんてダメだからね、ゆっくりと休むんだよ。仕事の合間に見にきてあげるから」

「おばさんも忙しいのに」

「小さい子が病気だっていうのに見過ごす事はできないからね。申し訳ないって思うんなら長くうちに泊まっておくれよ」

「はい、ありがとうございます」


 おばさんは水でタオルを絞ると私の額の上に置いてくれた。少しだけひんやりして気持ちがいい。今日はおばさんの好意に甘えさせてもらおう。


「ご飯が食べられるようになったらいうんだよ。作ってあげるから」

「何から何まですいません」

「いいんだよ、気にしないで。じゃあ、この辺で失礼するよ。しっかりと休んで早く元気になっておくれ」


 おばさんはそう言い残して部屋を出て行った。また部屋が静かになったけど、今はこの静けさが心地いい。深く考えられないけど、胸の奥から嬉しさと感謝の気持ちが溢れ出してくる。


 アーシアさん、おばさん、心配してくれてありがとう。


 ◇


 ふと意識が浮上した。ゆっくりと目を開くと、部屋の中が夕日で赤く染まっていた。


「夕方か。結構寝ちゃってたな」


 体をゆっくりと起こしてみると、今朝のだるさは大分軽減されたように思えた。額を触ってみてもそんなに熱くない、それどころか熱が引いているような感じがする。まだ体調は万全ではないけれど、熱は引いてくれたみたい。


 でも、引いたからって油断はできないよね。まだぶり返すかもしれないし、明日まで仕事を休むことにしよう。タンスの上に置いてあった水差しからコップに水を注ぐと、それを飲み干す。ふー、生き返る。


 そのまま横になると、夕日で染まる天井を見上げた。体調が回復して良かったな、悪い病気だったらと思うと怖くなる。動けなくなるということは働けなくなるということだから、生活に直結する。


 貯えがあったから少しぐらい働けなくても大丈夫。でも、これがもし貯えがない状況だったと思ったら怖くなる。働くのも大事だが、それは自分の体があってこそのものだよね。休める時は休んで、自分の体を大切にしなきゃ。


 それに、今回は周りの人に助けられちゃったな。アーシアさんとおばさんが心配してくれなかったら、もしかしたら今ここにこうしていなかったかもしれない。それを考えると、ある思いが私の中に浮かんだ。


 相談できる人が欲しい。困った時に頼ったり頼られたりできる人が欲しい。今まで孤独だったからこそ、人との繋がりが重要なんだと強く感じた。


 集落を出る時に悩んだこともそうだった、一人になることが怖い。新しい場所に行って一人で生活することに怯えていた。今までの人との繋がりを捨てるのが怖くてどうしようもなかった。


「この町で信頼できる人を沢山作ろう」


 もう難民じゃない、一人の冒険者だ。冒険者ランクを上げて自分の家に住むのも大切だけど、それだけじゃダメだ。本当の意味で生きていくために必要なのは、信頼できる人との繋がり。一人では生きていけない。


 新しい人と沢山繋がって行こう。それが自分の生きる力になると思うから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る