36.パン屋の売り子(7)

 パン屋の売り子の仕事も残りひと月となる。毎日を忙しく過ごしている内にあっという間に時間が経ってしまった。


 この頃になって少し変わったことがある。ある日、お昼の休憩を取ろうと店の奥へ行くと、見知らぬ女性が立っていた。


「こんにちは」

「えっと、こんにちは……」

「初めまして、レトムの妻です」


 初めてレトムさんの奥さんと出会った。見た目は華奢な感じがして、子供を産んだようには見えない。だからこそ、子供を産んで体調を崩してしまったのだろうか。


「ご飯できたからここに置いておくわ」

「ありがとうございます。体調は大丈夫ですか?」

「えぇ、リルちゃんが代わりに働いてくれたお陰で大分良くなったわ」


 にっこりと笑う表情は自然でいて無理をしているようには見えなかった。そっか、自分が働いているお陰で奥さんは体を休めることが出来たんだ。働くことで誰かが助かっているとは考えなかったので、誰かのためになっていることが知れて嬉しい。


「あの……残りのひと月頑張ります。なので、それまで体を十分に休ませてください」

「ふふ、リルちゃんも優しいのね。ありがとう、お言葉に甘えて休ませてもらうわ」


 奥さんには十分に休んで貰って、万全の体調で仕事に戻って来て欲しい。きっとレトムさんも同じことを考えているはずだ。


 挨拶が終わると奥さんは階段を上がって住居スペースに戻っていった。それを見送った私は用意された昼食を食べ始める。


 うん、今日も美味しい。私もしっかりと休んで午後の仕事頑張ろう。


 ◇


 それからひと月の間は奥さんがお昼ご飯を持ってきてくれた。持ってくると少しお話をして戻っていく毎日だ。日が進むにつれて少しずつ話が長くなっているような気がする。


 話を聞くと体調が悪くて部屋に閉じこもってばかりだったんだって。だから、レトムさん以外に喋る人がいなくて寂しかったのかな? 私もお話出来て楽しかったから良い時間だった。


 そして、私の最後の日、奥さんが赤ちゃんを背負ってカウンターに立った。


「久しぶりだから、色々と教えてねリルちゃん」


 主人の奥さんに教えるなんて恐縮してしまう。失礼のないようにやり方を丁寧に教えていった。教えている時、背後からの視線が強くなったのはきっと気のせいじゃないはずだ。


 お客が来た時には接客のやり方を見せた。色んな話し方をして接客のバリエーションを教えたり、しっかりとお辞儀をしてお見送りの仕方を見せたりした。


「あらー、リルちゃんの接客は丁寧ね。見習うことが沢山あるわー」


 奥さんは「明日から真似するわね」と笑顔で言っていた、なんだか恥ずかしい。


 お客がいない時は色んな話をした。私が難民ってことやどんな生活しているか、ということ。奥さんは真剣に聞いてくれたり感心したり、表情がコロコロ変わって話していて楽しかった。


 こんな穏やかな日が今日で終わりだなんて、寂しい。ようやく、この世界の住人になれた気がしたのにまた突き放された感じがした。


 ううん、こんな考え方をしていたからダメなんだ。ここまで気にする必要はなかったし、今までだって大丈夫だったじゃない。パン屋で働いた日常を思い出せ、私はもう大丈夫だ。


 そして、とうとう夕方になり残りのパンも4つになった――閉店だ。


 いつものようにパンを移し替えて、棚を拭いた。ついに最後の仕事が終わる。


 肩の力を抜き、大きく息を吐いた。6カ月頑張った重責から解き放たれると同時に寂しさが胸の中を一杯にする。


「リルちゃん」


 呼ばれて振り向くと、レトムさんと奥さんが並んでこちらを見ていた。


「リルちゃんが来てくれて本当に助かったわ。6カ月間も本当にありがとう」

「お陰で妻の体調も良くなって店に立てるほどになった、働いてくれてありがとう」

「そ、そんな大げさな。こちらこそ依頼を受けさせて頂いて感謝しているくらいです」

「ふふ、それでもよ。何事もなく6カ月間を過ごせたのは、リルちゃんのお陰なのよ」


 二人の優しい言葉が胸を打つ。こっちのほうが感謝をしているのに、感謝されるなんて思ってもないよ。


「今月分の給与だ、受け取ってくれ」

「それと最後のパンなんだけど、このためにチーズパンを2つ残しておいたわ。最後はぜひ私たちの人気のパンを食べてね」


 最後の給与を受け取り、最後のパンを受け取った。いつも売り切れるチーズパンをわざわざ残してくれていたらしい。一度は食べてみたかったから、すごく嬉しい。


「あの、今までありがとうございました。こちらで働かせて頂いて、自分自身の成長につなげることができました」

「そうか、そう言ってもらえて良かった」

「最後は二人でお店に立てて、とても楽しかったです。出来ることならもっと一緒に働いてみたかったです」

「私も同じよ。リルちゃんのお邪魔になっちゃいけないからって一緒に働かなかったことがとても残念だったわ」


 私の気持ちを二人に伝えた。二人は笑顔でそれを受けて、嬉しい言葉を返してくれた。


「これがクエスト完了の用紙だ。冒険者ギルドに必ず出すんだぞ」

「はい、分かりました」


 用紙を受け取って、二人から少し距離を取る。手をギュッと掴んで、深々とお辞儀をした。


「こちらで働かせて頂き、ありがとうございました!」

「こちらこそ、ありがとう」

「リルちゃん、私からもありがとう」


 これでパン屋の売り子の仕事は終わった。楽しく充実した日々は私の胸の中に温かい記憶となって残る。もう少し働きたかったけど、贅沢は言えない。


 だって、私には次の目標があるんだから。


 ◇


 夕日で染まる大通りを駆け出していく。一直線に目指した先は冒険者ギルド。


 中に入ると、受付の列に並ぶ。人数が少ないのですぐに自分の番となった。


「次の方どうぞ」

「入金とクエスト完了の用紙です、お願いします」


 受付のお姉さんに冒険者証と小金貨と用紙を渡すとにこりと笑って「少々お待ちください」と後ろを向いた。私はドキドキしながら待つ。


 しばらくするとお姉さんが振り向いてきた。


「まずはお預け金の確認からお願いします」


 お姉さんが鑑定の水晶に冒険者証をかざすと金額が出てくる、122万ルタだ。以前の予想していた金額になっていて安心した。


「次にクエスト完了の報告です。今回Fランクのクエストを半年間受けて頂き、ありがとうございました。長い期間携わって下さったので、ランクアップが可能となり、この度リル様はEランクに昇格することになりました」


 やった、ランクアップだ。これで受けられるクエストが増えるってことだよね。


「依頼は今から見ていきますか?」

「いえ、明日また来ますのでその時に見せてもらいます」

「分かりました。明日お待ちしておりますね、冒険者証をお返しいたします」


 冒険者証を返してもらい、お辞儀をして冒険者ギルドを出て行った。


 暗くなる前に集落に戻らないといけない。足早に大通りを進んでいく。だけど、はやる気持ちを抑えきれずについつい早歩きになって、駆け出してしまう。


「やった、Eランク、Eランクだよっ」


 嬉しくて嬉しくて顏がニヤケるのが止められない。ランクもアップして、お金も貯まって、心も成長できた。次の目標に向かって進めることが嬉しすぎる。


 楽しかった日々がなくなったのは悲しいけど、後ろばかり見ていられない。ようやく前に進める力を手に入れたんだ、前に進まなくてどうする。ようやく外の冒険に出かけられるものが揃ったんだ。


「明日から外の冒険に行く準備ができる!」


 まだまだ準備の段階だけど、それでも嬉しくて駆け出しちゃう。明日が楽しみだ!

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