34.パン屋の売り子(5)

 パン屋の売り子の仕事は問題なく続いていった。


 大変な混雑がある朝を体力と気力を削って乗り越え、丁寧な接客を要求される昼を気張って過ごし、間にくる蜜パンを求める子供たちを丁寧に捌き、疲れの溜まった夕食前の混雑は失敗しないように気を付けながら接客する。


 そんな日々を一週間、二週間と過ごしていくと少しずつ慣れ始めて来て。三週間、四週間ともなると心に余裕ができ始めてきた。余裕が出来てからが危ないので、気を引き締めて仕事をする。


 そして、ひと月が経つ頃、ようやく給料日がやってきた。


 その日の仕事が終わると、レトムさんに店の奥まで呼ばれた。


「ひと月お疲れさん。23日働いたから、全部で16万1000ルタだ」


 そう言って手渡された硬貨。その中に初めての小金貨が入っていた。キラキラ光っていてずっしりと重い小金貨が16枚、と銀貨が一枚。こんなに大金を受け取ったのは初めてで、手が震えた。


「こ、こんなに貰ってもいいんですか」

「働いたから当たり前だろう。というか、貰ってくれないとこちらが困る」

「あ、ありがとうございます! また明日も頑張ります!」


 ズボンのポケットに入れておいた硬貨袋の中に急いでしまい込む。売れ残りのパンを受け取り一日の最後の挨拶をすると、駆け足で夕日で染まる通りを進んでいく。向かう先はもちろん冒険者ギルドだ。


 こんな大金を持ち歩いているのは落ち着かない。早くギルドに預けてしまいたい、と強く思った。


 通りを抜け、大通りを進むと冒険者ギルドが見えてくる。急いで中に入ると、冒険者は少ないもののまだギルドはやっていた。列に並んで出番を待つ。


「次の方、どうぞ」

「すいません、お金の預かりをお願いします」

「では、冒険者証の提出とお預けになるお金を出して下さい」


 言われた通りに冒険者証を出し、預ける小金貨を続けて出した。受付嬢はそれを預かると、背を向けて後ろで作業をし始める。しばらく待っていると、振り向いて冒険者証を手渡してきた。


「お待たせしました、入金が終わりました。現在の入金金額はこちらになります」


 そう言ってカウンターの上にのせていた鑑定の水晶に冒険者証を照らすと、数字が浮かび上がってくる。その金額は44万ルタだった。


「はい、確認しました」

「では、またのお越しをお待ちしております」


 お辞儀をしてその場を離れ、冒険者ギルドを出て行く。ここで一つ深呼吸をした。


「んふふ、44万ルタ」


 我慢できずにニヤケてしまう。だって嬉しいだもん、仕方ないよね。あ、ちょっと待って、市民権が買える40万になっちゃったんじゃない!?


 あっという間に市民権分のお金を貯めてしまったことに驚いた。最初はこんなにあっさり稼げるとは思ってもなかったから、信じられない。


「そっか、頑張ればすぐに目標が達成できたんだね」


 一人でうじうじしていた時間が勿体なく感じてしまう。もっと早く気づいて行動していたら、違った未来が見えたはずだろう。今更言っても仕方ないか。


 歩きながら考える、今後どうするべきか。


 市民権が買えたとしても、町に住むにはもっとお金がかかる。家賃、食費、光熱費、水道はきっと井戸だからお金がかからないよね。他にも細々としたものを買わないといけないだろう。


 まだ小さい自分には家を借りることはできない、家を借りるのはもっと大きくなってからだ。お金を貯めても家を借りられないというならば、今は市民権を買わない方がいい。


 ひょっとして、家を借りられる年齢になる頃には冒険者ランクがBになっているかもしれない。そしたら自動的に市民権を手に入れられるはずだから、市民権分のお金を支払わなくても良くなる。


 だったら私は冒険者ランクBを目指してみたらどうだろうか。家が買えるのは大人になってからだし、買えるまでは冒険者としてやっていけばいい。うん、決めた冒険者ランクBを目指そう。


 冒険者になるためには装備を整えないといけない。装備を整えるためにはお金が必要だ。あと5カ月の仕事で手に入るお金はおよそ75万ルタを超えるから、最終的な貯蓄の合計はおよそ120万ルタ。


 その120万ルタで外で仕事を請け負うのに必要な装備品を買わないといけないだろう。装備品だけでなく、道具だっているはずだ。今は冒険者に必要なものを買うためのお金集めにしよう。


 冒険にいくために魔法も覚えたいんだけど、今は仕事で忙しいし、休みの日は集落のお手伝いもしないといけない。学ぶ時間が全くなかった。これは仕事が終わってから本格的に学ぶことにしよう。


 色々考えると忙しくなってきちゃった。でも、目標があるからやる気も出る。よし、このまま仕事を頑張って、お金を稼いで、外の冒険者になろう!


 妙なやる気に溢れた私は夕日で染まる大通りを駆け足で進んでいった。


 ◇


 それから数日後の朝。子供のラッシュが終わった頃に冒険者がやって来た。どうやら冒険に行くために必要な食料のパンを買いに来たみたいだ。


 その冒険者は私に近い年齢の少年で、装備するものは真新しい。町に住んでいる子供が冒険者をやっている、そんな雰囲気だった。


 私はその人たちの装備を観察した。革の帽子、革の鎧、革のグローブ、革のすね当て。腰にはショートソードに皮革の盾がぶら下がっていた。ザ・新人冒険者の出で立ちに見えて仕方がない。


 いくらぐらいかかったのか、すごい気になる。私は注文された丸パンをトングでとりながら質問してみた。


「もしかして、新人の冒険者ですか?」

「はい、やっぱり分かっちゃう?」

「装備品がみんな綺麗だから、そうかなって思ったんです」


 気楽に話しかけると、その少年はちょっと照れ臭そうに話してくれた。


「私も冒険者には興味があるんですよ」

「へー、そうなんだ」

「ちなみに装備品はいくらくらいかかったんですか? 参考までに聞かせてもらってもいいですか?」


 遠慮なく尋ねてみると、少年は思い出すような仕草をしつつ話してくれる。


「ショートソードと革の鎧が10万ルタくらいで、他の革防具は5万から8万ルタくらいだね。結構高いけど、これが新人冒険者のセットなんだって」

「なるほど、それくらいなんですね。お待たせしました、合計で400ルタです」


 一通り話を聞いて、注文していた丸パンを袋に詰めて手渡した。少年はそれを受け取ってお代を払うと、片手を上げて店を出て行く。私はそれを見送り、先ほどの話を思い出していく。


 あの装備が全部で40万ルタくらい。最終的な貯蓄額が120万の私には、ちょっと安く思えてしまった。でも、これで不足なく新人冒険者セットは買えることが分かってホッとする。


 もしかして、もうちょっといい装備品があればそっちも買えるんじゃないかな、と思ってしまった。うーん、大人しく新人冒険者セットを買うか、少しいい装備を買うか、今から悩んでしまう。

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