30 気持ちの整理


 ハルが遠い。

 授業中、彼女の横顔を盗み見てそんな感慨に至る。

 頬杖をついて眠そうな眼で黒板を見つめる素振りは一切授業に集中していない。

 けれど、そんな横顔を気にしている私の方がもっと集中できていない。

 だから、そんな事は注意する立場にない。


 どうしてこんな事になってしまったのか。

 頭の中はそれだけを反芻する。

 そんなにいけない事をしただろうか。


 青崎あおざき先輩とハルの言葉が脳裏を巡る。


『私個人の人間性に意見をする事はあっても、生徒会としての私の決定に意見するのは初めてなのは気付いているかい?』


 青崎先輩は、私は“白花しらはなハル”の事になると生徒会の決定に意見するようになったと言った。


『じゃあ、なに? “副会長様は問題児を更生させました”っていうアピールにあたしが使われてるわけ?』


 ハルは、私は生徒会を優先していると言った。


 二人の発言は相反している。

 どちらも一方を優先していると主張された。

 それはつまり、私がどっちつかずで中途半端な態度を取っているという事だ。

 その結果、どちらにも距離を置かれてしまっている。


 でも、私はそんなつもりはなかった。

 自分で思っているよりも、私は自身を上手く理解出来ていないし、コントロールも出来ていないのかもしれない。

 

 どうすれば、仲直りできるだろう。

 そのきっかけを探るにも、まずは会話をしなければ糸口は掴めそうにない。







 休み時間になり、席を立つ。

 ハルの元へと足を運ぶが、同時にハルも席を立った。

 早足で廊下に出て、その場を去っていく。

 言葉を聞かずとも、それは私への逃避である事はすぐに察した。


 そうと分かってしまえば、私もそれ以上追う事は出来ない。

 離れていると分かっていて追いかけられるほど、私は強くはない。

 自分の席に着くと、体は自然と丸くなり、溜め息だけがこぼれた。







 昼休みもハルはどこかへと姿を消し、それ以上追いかける事も出来なかった。

 結局、気付けば放課後を迎え、ハルは早々に学校から姿を消した。

 帰る先は一緒なのだけれど、それはそれで気が重い。

 この状況で、ハルと二人きりで家に帰った時の空気感はどうなるのだろう。

 いつもと違って居間にいなかったら、傷ついてしまう気がする。

 そこまでして私に会いたくないのか、と。


「……とは言え、まだ帰る訳にもいかないのだけれど」


 私は生徒会活動を行わなければならない。

 これもハルに嫌われる行為かもしれないけれど、今すぐ帰らなくて済む理由に安堵している自分もいる。

 矛盾している自分が滑稽だった。


 玄関に向かって歩き出す。


「あ、水野澪みずのみお


 名前を呼ばれる。

 私の事をフルネームで呼び捨てにする人物は一人しかいない。


結崎ゆいざき、どうかしたの?」


「あ、えっと、わたし今日は用事があって生徒会を休むから、会長に伝えておいて欲しかったのよ」


「あれ、それライン入れていなかった?」


 昼休みに一報は入っていた。

 わざわざ私に言う必要があるのか?


「会長、全然スマホ見ないで未読の事多いでしょ……。現に今も水野の分の既読しかついてないし」


「なるほどね……」


 そういえばそうだった。


「それにしても水野、あんた浮かない顔をしてるわね、どうかしたの?」


「え、あ、そう……?」


 思いも寄らなかった結崎の指摘に、思わず面を食らう。


「歯切れが悪いわね、あんたらしくもない」


「そうかしら……」


 自覚はしているが、人に言われると更に気落ちしてしまう。

 他人が見ても分かるほどか、と。

 とくにメンタルが気落ちしている時は、特に。


「ふん、白花ハルを手懐けたのだから、もうちょっと勝ち誇っているかと思っていたわ」


「ハルを手懐けた……?」


 その旨の発言は度々していたが、結崎の方からそれを認めた発言は初めてだ。


「さっきすれ違ったけど、ちゃんと制服を着ていたじゃない。あんたが言ったからじゃないの?」


「……あ」


「まあ、生意気にわたしの事はスルーして行ったからムカついたけど、特に怒る理由もないから何も言えなかったわ」


 後半の言っている事は無茶苦茶だけれど。

 ハルが制服を正しく着ているのは、私の発言があったからだ。

 それを都合よく受け取るならば、まだハルは私に対して受け入れてくれている部分があるのかもしれない。


「あの問題児にどう取り入ったかは分からないけど、それなりの仕事はしたんじゃない?」


「……やけに褒めるわね」


 あの噛みついてばかりの結崎とは思えない。


「別に、成果に対して不当は評価をしたくないだけよ。悔しいけど、わたしには出来なかった事だし」


 とは言え、この前まで敵対心を露わにしていた結崎ともなると素直には受け取りづらい。

 むず痒さだけが残る。


「どうすれば白花ハルをコントロール出来るのか興味はあったけど、今は聞くのはやめておくわ」

 

 結崎は歩き出して、そのまま私を追い抜いていく。


「それは、どうして?」


 聞かれても大した答えなどないのだけれど、それでも結崎の配慮がどこから来ているのかは知っておきたかった。


「今のあんたの顔を見てると、そこまで再現性なさそうだからよ」


「……なによそれ」


 つまり、今の私の負け顔では、ハルの件も偶然と言いたいのか。

 分からなくもないが、そんなにもヒドイ表情をしているのだろうか。


「会長に会うのなら、もう少しシャキッとしてから行くべきね」


 結局、結崎は好き放題言ったまま学校を後にした。

 以前の私と今の私に乖離がある事だけは、何となく理解した。

 でも、それを修正するのは難しい。


「ハルの事を無視して取り繕う事がこんなにも難しいなんてね」


 何事も論理的に整理すればある程度の気持ちというものはコントロールできるのに。

 今は個人的な感情、ハルの事で全ての歯車が嚙み合っていない。

 自然に沸き起こってしまう情動には逆らえず、この気持ちが何であるのかは形容し難い。

 唯一分かるのはハルが私にもたらした変化は、自分でも理解不能な領域に達しているという事だった。

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