29 掛け違い


 廊下に出て、職員室の前を通りかかると、ちょうど扉から人が出てくる。

 反射的に足を止めると、そこにいたのは見知った人だった。


「おや、澪じゃないか」


「……青崎あおざき先輩」


 意外そうな顔で先輩はこちらを見ていた。


「今ちょうど先生に活動報告書を提出していた所さ」


「そ、そうでしたか。お疲れさまでした……」


 どうしても歯切れの悪い返事をしてしまう。

 だって隣には……。


「おや、白花しらはなハル君じゃないか」

 

 先輩は笑みを浮かべながらハルに声を掛ける。

 因縁の二人なだけに、私はいきなりハラハラしている。


「……なんだよ」


 露骨に眉間に皺を寄せるハル、声も低くなるので、より一層彼女の不機嫌さが感じ取れる。


「ううん、どうもしないよ。ただ会ったから挨拶をしただけさ」


「……あっそ」


 青崎先輩は朗らかに声を掛けてくれているが、ハルはあまりにぶっきらぼうだ。

 せっかく何もないと言ってくれているのに、どうしてそんな火種を生むような態度をとってしまうのか。


「うんうん関心関心。朝、澪から聞いた通り、正しく制服を着ているね」


「……え?」


 目も合わせなかったハルがそこで初めて青崎先輩に視線を合わせる。

 それと同時に私は背中に寒気を感じてしまった。

 こうなってしまう事を、まるで配慮出来ていなかった。


「ん? ああ、生徒会室で澪から君の話を聞いていてね。私としては規則さえ守ってくれたらそれで良いんだ。君に悪意がないのも分かっているし、私も他意はない。それを分かってもらえたなら嬉しいな」


 青崎先輩はハルが視線を合わせた事で、少しでも打ち解けた雰囲気を感じたのかもしれない。

 でも、そうじゃない。

 ハルは別の部分に違和感を感じてしまっただけの事だ。

 それも私のせいで。


「……ちっ」


 ハルはすぐに横目で視線を流し、舌打ちをしていた。

 およそそれは先輩に限らず、人に対して取るべき態度ではない。


「え、あれ?」


 さすがの青崎先輩も、いきなりの悪態に戸惑いを隠せていない。

 だが、そうなってしまうのは当然だ。

 悪いのはこの場になっても何も出来ていない私なのだから。


「……話が終わったんなら、もういいだろ」


 ハルは青崎先輩を睨みつけていた。


「全く相変わらずだね、白花しらはなハル」


 青崎先輩は困ったように肩をすくめる。

 そしてハルの視線はより一層鋭さを増して、私へと向けられた。


「……嘘つき」


 吐き捨てられ、ハルは背を向けて歩き出す。

 家でも聞いたことのないような乱雑な足音が、廊下に響いていた。







 ハルの背中が遠のいて行く。

 このまま離れては駄目だと思った。

 追いかけようとして、行く手を塞がれた。


「どこに行くんだい?」


 青崎あおざき先輩が私の前に立ちはだかり、ハルの姿が視界から消える。


「ど、どこって白花ハルの所にですよ」


「どうしてだい?」


「ど、どうしてって……」


 こんな問答も、その間に流れる時間も惜しい。

 それでも青崎先輩は、私が進もうとするのを良しとしない。

 その理由もよく分からない。


「青崎先輩にあんな失礼な態度をとったんですから、注意しないといけません」


「それは私が取られた態度であって、澪が気にする事じゃないよ」


「ですが、副会長として……」


「さっきのはただの会話だよ、彼女の制服に問題はなかったしね。だから、私個人と白花ハルとの間に起きた出来事だ。生徒会を持ち出すのはお門違いだよ」


 本当はそんな事はどうだっていい。

 ただ私はハルとの誤解を解きたいだけだ。

 それらしい理由があれば、何でもいいのに。

 先輩はそれを許してくれない。


「何をそんなにみおが慌てる必要があるのかな?」


「クラスメイトとして、先輩に失礼な態度を取られたら誰だって気になります……」


「本当にそうかな?」


 青崎先輩は笑わない。

 空気はどこか張りつめていて、淡々と私への問いを詰めていく。


「白花ハルは私が気に入らないんだと思っていた。いや、それはあるんだろうけど、もっと大きな理由がある事に気付いたよ」


「な、なんですか、それ……」


 要領を得ない。

 ハルは常々、生徒会の人達は気に入らないと言っていた。

 それは彼女と生徒会の間では相反する価値観を持っているからだ。

 水と油は混じり合わない、悲しいけれど自然な事だ。


「白花ハルは、澪と一緒にいる青崎梨乃あおざきりのという存在が気に入らないんじゃないかな?」


「――え」


 言葉を失う。

 不意を突かれて、尚且つ本質も射抜かれたような気がする。

 今まで感じてきた違和感を、過不足なく言葉にされたような。

 それは私が意識していなかった事で、いや、なるべく意識から遠ざけていた感情だった。


「だからね、自然と私は澪にも疑問を抱いてしまうんだ」


 青崎先輩の瞳が私を覗きこむ。


「君達は一体どんな関係なんだろう、ってね?」


 気づかれている。

 先輩が違和感を見逃すわけは無い。

 確証がないだけで、確信は持たれている。

 私はどう答えるべきかを考える。

 この先の答えを、明かしてしまった未来を想起する。


「クラスメイトですよ」


 言えなかった。

 義妹ぎまいという関係も、ハルとの間柄も。

 それを言ってしまえば、私は本当に変わってしまうような気がした。

 今まで積み上げてきた自分を、失ってしまうように感じた。


「ただのクラスメイトに、そんなに必死になっている澪は初めて見たよ」


「そんな事ありません」


 もうそこに理性的な理由は存在しない。

 ただ、否定だけを繰り返す。

 その否定はもはや肯定のようなもの。

 そうと分かっていても、認めなければ真実にはならない。

 浮き彫りになるのは、私と青崎先輩との間に生まれた距離感だけ。


 ハルの足音が遠のいていく。

 それだけが、今の私の焦燥感を加速させていく。


「……そうか、澪がそこまで言うなら、信じるさ」


 そうして、青崎先輩は道を空ける。

 その声音に納得感など、どこにもない。

 そうと分かっていても、私は都合よくそれに頼る。

 都合のいい後輩に、なってしまった。


「すいません、失礼します」


 青崎先輩の横を通り過ぎる。

 

「……本当に何も言ってくれないんだね、澪」


 返す言葉はなく、私はハルの足音を追いかけた。




        ◇◇◇




「――ハルっ」


 廊下の奥に金髪の後ろ姿を見つけて、その名を呼ぶ。

 けれど、その足が止まることはない。

 始業のチャイムはもうすぐ鳴る、そうなればすぐにハルに釈明するのは難しくなってしまう。

 私は出来るだけ早く、誤解を解きたかった。


「……」


「ハルってば」


 私は走り、追いつき、その手を取る。


「……んだよ」


 振り返ったハルの目は、初めて会った時のように冷たかった。

 今さらになって、そんな目を私に向けて欲しくはない。


「貴女は誤解しているわ」


「してねぇよ、朝から青崎と仲良くやってたんだろ」


「だから、それが誤解だって言ってるの。本当にいつも私一人なのだけれど、今日はたまたま青崎先輩と居合わせてしまったの」


 ハルは朝、私が言っていた事と矛盾をしている事にきっと腹を立てている。

 当然だ、言っている事と真逆の事をしていたら誰だって不信感を抱く。

 でも不測の事態というも起りうる。

 私は今、それを信じてもらうしかない。


「だから、何?」


「え……いや、だから私は嘘をついてたわけじゃ……」


「頭悪いから分かんないんだけどさ、それあたしはどう信じたらいいわけ?」


「どうって……」


 なのに、ハルの態度は変わらない。

 変わらないどころか、距離感はどんどんと広がっていくばかりにも思える。


「青崎の前だとかしこまって小さくなってよ、何なの?」


「何って私はどうも……」


「クラスメイトのあたしとはコソコソ接する癖に、関係ねぇ先輩相手に媚び売ってんなよ」


「そ、そんな事をしているつもりはないわ」


 さすがに、それは私を悪く言い過ぎではなかろうか。

 私だって他者との関係の中で、相対的に立ち回りを考える。

 それがハルにとって気に入らないものだったとしても、そんな簡単に変えられるものではない。


「じゃあ、なに? “副会長様は問題児を更生させました”っていうアピールにあたしが使われてるわけ? 」


「……それは」


 いや、いつだってハルは理屈ではない。

 彼女は彼女が感じたままを言葉にする。

 そして、彼女に映る私の像が誤っているとは必ずしも言い切れない。

 彼女にとってはそれが真実なのだから。

 なら、それを私はどう否定すればいい?

 そもそも否定すべきなのかも分からない。


「そんなふざけた理由で隣にいられるの迷惑なんだよね」


 そう言いながらハルは私の腕を振り払う。

 遠ざかっていくその背中に、どんな言葉を送ればいいのか。

 迷った末に、何も思いつかなかった。

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