06 イヤなこと


「……遅い」


 朝、私は登校する準備を済ませたのだが、未だに家を出れないでいる。

 理由は白花しらはなハルがいつまで経っても起きてこないからだ。

 いつも遅いのだが、私が家を出る前には顔を出していたのに。

 今日は輪をかけて遅い。


「起こした方がいい……か」


 同居人の寝坊が分かっているのに、起こさないというのも道理に反する気がする。

 私の一声で、彼女の素行不良が改善できるのなら、やるべきだろう。

 しかし、足は重く気持ちも乗らない。

 あいつの母でもないのに、どうして私がそこまで面倒を見なければならないのか。

 ちなみに私はあいつの朝食まで用意している。

 考えたら考えた分だけイライラしそうなので、諦めて二階へ上る。


 ――コンコン


 白花ハルの部屋の扉をノックした。


「朝よ、起きなさい」


 ……返事は、ない。

 うんとすんとも言わず、物音も聞こえてこない。

 何度か同じことを繰り返しても結果は同じった。


「起きないと開けるわよー」


 最終手段として直接起こすことにする。

 まあ、どうせ鍵は閉まっているだろうが。

 最大限出来ることをしたと、自分の中で責務を全うするためだ。


 ――ガチャ


「あれ」


 扉のノブを回すと、部屋の扉が開いた。

 まさか鍵を閉めていないとは思わず、自分で声を上げてしまった。

 形の上では家族とは言え、ほぼ赤の他人なのだから鍵を閉めるものと思っていたのだけど。

 扉を開けてしまったのなら、私も部屋に入って起こすしかない。

 悪いのはいつまで経っても起きない白花ハルだ。


「……まあ、白花ハルらしいと言えばらしいわね」


 ついでとは言ってなんだが、部屋の中を見てしまう。

 白を基調としながら、ポイントでピンク色の雑貨や家具が並んでいる。装飾的なデザインが多かった。

 私服と思われるものも、ぽいぽいと煩雑に散らばっている。

 脱いだままでそのまま放置しているのだろう。

 それ以外は概ね整理されていた。


「よくまだ寝ていられるわね」


 白花に起きる素振りはない。

 ベッドの側まで行くと、白花は口を空けながら眠っていた。

 暑かったのか布団は被っていない。

 寝巻と思われる白のTシャツに、ピンク色のショートパンツを着用していた。

 相変わらずの露出度で、横向きになると開いた胸元から素肌が見えた。

 ……その、深い谷間のラインを見て、思ったより大きいのだなと。なぜか複雑な気分に陥る。

 しかし、本題はこんな事ではない。


「ちょっと、起きなさい」


「……」


 声を掛けても瞳は閉じたままで、起きる気配はない。

 まじまじと見つめると、彼女のまつ毛は長く、きめ細かい肌はすっぴんとは思えない。

 いつものような厚化粧は必要ないのではないかと思った。

 などと、またも全く関係ない感想を抱いていることに遅れて気づく。


「遅刻するわよっ」


 ここまで来たら、絶対に起こすしかない。

 私は白花の体を揺らす。

 肩を掴んで揺らしている内に、二の腕に触れる。

 もちっとしていながら張り感のある肌だった。


 ……いちいち、ズレた感想を抱いているな。さっきから。


「っ……ううー」


 ようやく、白花ハルが覚醒し始める。

 声になっていない声を上げ、うっすらと目を開く。

 瞬きをしつつ重たい瞼を擦りながら、私の姿で視線が止まる。


「……ん?」


 そして、動きを止める。

 ぱちぱちと瞳だけ瞬かせて、私の姿を視線を上下させて見つめていた。

 その内、左右を見回して自分の居場所を確認している。

 間違いなく白花ハルの部屋だ。


「おはよう、声を掛けても全く起きてこないから直接来たの。遅刻するわよ」


「……問題はそこじゃないな」


 白羽ハルは顔をうつむかせる。

 長い金色の髪が垂れ、彼女の表情を覆い隠した。

 寝起きが悪いタイプだったのだろうか。

 

「ほら準備なさい」


「……見たな?」


 会話が嚙み合わない。

 それとも合わせる気もないのか、白花は低い声で問いかける。


「部屋のこと? それは申し訳ないけれど、そもそも起きてこない貴女が問題なのであって――」


「あたしのすっぴんを見たなっ!?」


 白花は語尾を荒げて、圧力が増す。


「……まあ、貴女がいつまでも寝てるせいでね」


「サイアクっ。あー、マジないわ」


 何がそんなに問題なのか、白花の声は不機嫌に溢れていた。

 頭を掻きむしる仕草は、苛立ちの感情も垣間見える。


「それがどうかした?」


「あたしは他人にすっぴんを見られるのが死ぬほどイヤなの」


 ……白花ハルは着飾る方の人間だろうから、不完全な自分を見られたくないのだろう。

 気持ちは察するが、そこまで過剰反応するような事にも思えない。


「すっぴんがそんなに嫌なら、私はもう生きていけないわね」


 私はいつだってすっぴんで学校に行っている。

 もちろん興味がないだけだし、化粧の仕方も分かっていないのでしようもないのだが。

 とにかくそういう人間もいるのだから、白花も落ち着くべきだ。


「人の事はどうでもいい。あたしはあたしの話してんのっ」


「そう言われても、見てしまったものは仕方ないじゃない」


 そもそも、すっぴんを見られる事の何が問題なのか。

 そこからして謎だった。


「理屈じゃなくて、単純にイヤなことってあるだろ。あたしにとって裸を見られたようなもん」


 ……裸?

 すっぴんとはそこまで恥部を晒すような行為だっただろうか。

 いや、素肌という意味では裸なのかもしれないが。


「それだと、私はいつも人前で裸ということになるわね」


「大して何とも思ってないくせに関心あるフリやめてよねっ。あたしにとっては本当にそれくらいの事なんだけど」


 更に声の荒々しさが増す。

 でも確かに、人の羞恥心なんて十人十色。

 私は白花ハルのように素足を晒す恰好は出来ない。それこそ裸に近いような感覚にもなる。

 そういう意味では、白花ハルにとってすっぴんという行為はそれに匹敵するのかもしれない。


「でも貴女、綺麗な肌をしているし、顔の作りだって良いんだから。そんな目くじらを立てる必要はないと思うのだけど」


 私なりに“気にしなくていいよ”、というメッセージを込めた。

 少なくとも私は、白花ハルの素顔を美しいと感じたのだから。

 それを隠すような行為をする必要はないと思う。


「……っ!」


 息を呑んでいた。

 その反応はどういう意味で受け取ったのか、それだけが気になる。


「あんたにそんなこと言われたって嬉しくないしっ」


 そんなにも、素顔を晒すのは同性同士でも嫌な事だろうか。


「それなら、もっと化粧を薄くしてもいいと思うのだけれど」


 単純にその方が似合うと思ったし。

 化粧のせいで生徒指導を受けることや、生徒会が動く要因も一つ消えるので、是非そうして欲しい。


「うるさいっ、そう言われて納得する奴なんかいないからっ! いいから、さっさと部屋から出て行ってよっ!」


 全否定だった。

 終始、白花ハルは顔を紅潮させていたが、その理由が私にはよく分からなかった。


 何より、起こしてあげたのに文句言われるとか。

 こんな損な役回りがあるだろうか。


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