第30話 戦いの後

 国内貴族たちが突然の王室の強硬策に反感を抱かなかったわけではない。

 しかし国王暗殺未遂という巨大すぎる醜聞に塗れたオルレアン家を弁護するのはさすがに大義名分が立たなかった。大義名分が立たなければ表だって国王に対して弓を引くのもはばかられる。ましてオルレアン家が鎧袖一触に滅ぼされたとなればなおのことである。

 実のところショワズール公が乾坤一擲の勝負に出ようとしたのだが、様子見に終始する貴族があまりに多く、決起を諦めたという経緯があった。

 いまや王室に対抗することのできる勢力は国内のどこにもいないかに思われた。

 誰もかれもがこれまでお飾りでしかなかった――――権力はもっていたがそれを行使するために貴族の協力を必要とした――――王室が完全に軍を掌握したという事実を否応なく受け入れざるをえなかったのである。


 「このままでは済まさんぞ!」


 そんな捨て台詞を残してアルトワ伯は亡命した。兄のプロヴァンス伯以上に国王暗殺に執念を燃やしていた彼は国王の追求が自分にまで及ばないと楽観することができなかったのである。

 プロヴァンス伯は消極的な性格が幸いしてか、ほとんど反国王としての活動をまだしていない状態であったので国内に残留した。

 もちろん時と運があれば自分が新たな国王として担ぎ出される可能性を考慮しての決断だった。

 わずか一週間足らずの出来事である。ここまで絶大な権限を王室が所有したのは絶対王政の絶頂期と呼ばれるルイ14世の治世でも類がない。

 利己的な貴族を各個撃破することはそれほど難しくないというシャルロットの予想は完全に正しかった。

 火砲の発達は正規軍の維持が小領主である地方貴族では困難になったことを意味していた。

 オルレアン公のような例外を除けば装備の面でフランス王国正規軍に対抗できる貴族軍はほとんど存在しないのが実情である。

 しかし軍における上級指揮官のほとんど全てが貴族であるという事実が王室による正規軍の掌握を困難にしていたのだが、陸軍大臣などの要職と、中級指揮官に平民を大量に抜擢したことによってフランス王国正規軍は貴族の影響から急速に抜けだしつつあった。

 まして現在の正規軍はかつての形骸化した正規軍ではない。

 フランス革命前のフランス陸軍は戦う組織としての体を成していなかった。

 指揮官である貴族はほとんど現場に顔も出さず、下っ端の平民は給料もろくにもらえないにもかかわらず靴や下着など数々の装備を自弁で用意しなければならなかった。

 しかも貴族のボンボンが全く現場を理解していない命令を出すとなれば士気を維持できるほうがおかしかったのである。

 それでも中核兵力にはそれなりの訓練と装備が与えられていたが、ニコラ・ダヴーのように小隊や中隊レベルの指揮官で革命に共鳴する指揮官が続出し、かつ平民出身者で占められた兵卒がパリ市民に銃を向けるのをよしとするはずがなかった。

 なんとなればパリには彼らの家族も数多く存在したからである。

 革命の炎が燃え盛るなかで強大な大陸軍の土台となったはずのフランス王国陸軍がまったく国王を守るための機能を果たさなかったのにはそういうわけがあるのであった。

 しかし現在、王室が掌握する兵力の中核である近衛軍はパリから離れた田舎出身者によって編成され、その指揮官は王室に忠誠の厚いものだけが抜擢されていた。

 給料も下級官僚なみには改善され、装備も新式が優先的に配備されるようになっている。

 そうした改革がルイ16世によってなされたという事実を兵士たちも高く評価しているため、上級指揮官から一兵卒にいたるまで王室は一定の信頼を軍におくことができたのだ。

 もはや正面切っても武力闘争でブルボン家に喧嘩を売れる勢力は少なくともフランス国内には存在しない。

 さらに国境付近でオーストリア軍が睨みを利かせている現状では様子見以外の選択肢をとることは不可能に近いと言えるだろう。

 だがそれはあくまでも実戦を経験していない机上の空論にすぎない。

 参謀本部をとりしきるケレルマンですらも、90%以上の確信を持ってはいたが、全面的な武力行使にはなお慎重な姿勢を崩さなかった。

 もしもオルレアン城の攻防が長引けば全国各地の貴族が一斉に蜂起する可能性は高かった。

 場合によっては戦意の高い貴族が手薄になった王都パリを狙って突撃するだけでも国王と王妃に頼り切った現政府は打倒されてしまったかもしれない。

 何より、万が一攻撃中に国王が崩御するようなことがあればこちらが逆賊として処刑される危険性すらあった。

 それをものともせず果断に攻撃を決断した王妃の胆力こそがもっとも恐るべきものであるとカルノーは感じていた。

 「デオン卿、ショワズール公やヴリリエール公の動きに変わりはありませんか?」

 「はい、彼らも敗北必至な賭けにまで出る勇気はございませんようで……」

 すでにオルレアンを攻略した近衛軍と陸軍の一部はオルレアン派の貴族の残党を掃討しつつ王都へと帰還していた。

 もともと防御力の高い要塞都市でもあるパリを彼らが攻略できる可能性は万に一つもありはしない。

 反撃の時はすぎさったことをショワズールもその他の重鎮たちも十分に承知していた。

 「軍も所定どおりの働きをしたようですね」

 「大きな誤算がなくて幸いでございました」

 ケレルマンは明らかに安堵した様子で額の汗を拭った。

 こうなることは予想できていたとはいえ、予想外のことが起こるのが戦場というものである。

実戦経験の豊富なケレルマンはそれを知っている。最悪の場合、たった一人の兵士の蛮勇によっても攻守が逆転してしまうのが戦場というものであった。

 王妃の判断には尊崇にも似た思いを抱いているが、そうした現場の空気を王妃が知らないことの危うさのようなものも以前としてケレルマンの中にはあるのであった。

 これが国王であればこうした危うさを感じることはなかったであろう。

 「行政庁も目立ったサボタージュや抗議活動はありません。どうやらオルレアン公が戦死されたという事実が想像以上に彼らにとって衝撃であったようで………今はそれを受け入れるのに必死というところでしょう」

 平民の登用が進んでいるとはいえ、まだまだ行政・司法の管理職は貴族が大半を占めている。

 もし彼らが抗議のため職務を放りだしたり故郷に帰ったりしたならば最小限の平民でどうやって業務を回そうか頭を悩ましていただけにカルノーにとってはやや拍子抜けといった印象であった。

 「彼らが実力を行使するのはよほど勝ち目があるときだけです。勝ち目がなければ裏から陰謀を企むのが貴族というものですから」

 ハプスブルグ家の娘として継承戦争や7年戦争の教訓をマリア・テレジアから受けているシャルロットの返答はよどみない。

 今後は暗殺やスキャンダルに対する諜報がより重要さを増すだろう。デオンは優秀な男ではあるが、残念ながら組織者としては2流である。

 諜報組織の組織運営者として誰か人材を探さなくてはなるまい。

 すでにシャルロットの脳内では新たなフランス王国の政治体制の図面が出来あがっていた。それもオーギュストが死んでしまえば絵に描いた餅にすぎなのだが―――――。

 (もう誰も陛下の邪魔をすることは出来ません。彼らはすでに正面切って戦う覚悟がないことを満天下にさらけ出してしまったのだから―――――)

 戦うには機というものがある。

 文句があれば剣をとってかかってこいと言われて戦えなかったものが後日改めて剣をとることは考えにくかった。

 怨みや憤懣は残るだろうが、それでも戦えないというのが彼らの分際であり性質であるはずだった。

 (だから貴方、早く元気になって戻ってきて!)

 その結果シャルロットの身が破滅することになろうとも、シャルロットはただオーギュストのためにその回復を祈った。


 確かにシャルロットはマリア・テレジアの血を引くハプスブルグの生んだ政治的怪物である。

 しかしいかにオーストリアが帝国を維持するための権謀術数に長けていようとも、彼女が経験していないことに関しては無防備に等しい。

 半世紀前であれば全てはシャルロットの想定を超えることはなかったかもしれない。その事実を認識している男はいまだ高熱が引かず混濁した意識の淵にいた。

 貴族という錘が取り除かれればもう一方の天秤が傾く。それは逃れようのない時代の必然のような現象である。その事実をシャルロットはまだ知らない。




 「パリよ。人民の尊厳と独立を擁護する夢の都よ。新時代の幕開けに立ち会う幸運を祝福してくれ」

 1776年11月4日、1人の青年が誇らしげにセーヌ川を挟んでシテ島に佇む巨大なノートルダム大聖堂を見上げていた。

 放蕩の生活の果てに父に監禁され、ついに国外に逃亡するにいたった青年は貴族であるという自らのアイデンティティーを放棄し代わりに新たな存在理由を手に入れたことを確信していた。

 もはや貴族と平民の間に貴賤がある時代は終わった。

 これからは人民のすべてが政権に参画し人民のための政治が行われる時代が来る。

 懸命にもブルボン王家は自らその手本を示してくれたのだ。

 「長く抑圧に耐えてきた人民よ!立ち上がる時は来た!」

 突然空に向かって獅子吼する青年を、たまたま通りがかった市民たちは頭のおかしい男でも見たように奇異の視線を浴びせて関わりあいを避けるように離れて歩きだした。

 醜いあばた顔の青年はそんなことなど意にもかけずギョロリと大きな瞳を見開いてパリを見まわした。

 心なしかパリの辻のあちこちで新たな息吹が芽生え始めているような気がするのは理想に燃える青年の埒もないところであったかもしれぬ。

 後に革命のライオンと呼ばれる異相の迫力を持つこの男の名をオノーレ・ミラボーといった。

 いまはまだ無名であり、支持者もいないただの煽動家の卵であるが、なぜか人の心を惹く彼の辻演説に人が集まり熱狂的な支持者を獲得するまでにそれほど長い時間はかからなかった。




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