第31話 理想と現実

 「人民よ!いまや貴族の時代は終わった!これからは我々人民が政治と文化の中心となることをここに私は宣言する!」

 張りのあるガラガラ声、美声というわけではないのについつい惹きこまれてしまう巧みな弁舌。

 小太りであばた面の凶相だが、本人の意思の強さが表面に現れたような押し出しの強い表情と体躯を何倍にも錯覚させる余人の及ばぬ迫力が男の言葉に説得力を与えていた。

 たちまちパリの人気者となったミラボーの演説は日に日にその支持者を広げ、そのなかには王室の中枢に近いものすら存在していた。

 彼らは長く閉塞した封建社会に倦んでおり、新たな時代を切り開く標として人民の英知による啓蒙思想を導入する機会を窺っていたのである。

 有能であるがゆえに、無能な貴族の下風に立たされることを屈辱とし、王国の害毒である貴族をこの際一掃してしまおうと考える過激な人間も決して少なくはなかったのである。

 「…………この機会を逃さず三部会を開催し、人民の代表を交えた議会を常設すべきであると彼らは訴えております」

 「勢力は?」

 「ことパリに関しては圧倒的と言わざるをえませんな。カルチェ・ラタンは言うに及ばずルイ・フィリップの親派や啓蒙派の大物までまるで熱病にうかされたような有様で」

 柔和なデオンの笑顔もさすがに苦いものが混じるのを抑えることが出来なかった。

 確かに百科全書派をはじめとして人は生まれながらにして平等で貴族と平民の間に貴賤はないとする啓蒙知識人は数多くいた。

 現在王国政府内で化学分野の研究にいそしむラボアジェや産業育成に辣腕をふるうデュポンもそうした知識人の一人だ。

 こうした思想の潮流が、ある転換点とともに純化と暴力に容易に結びつき、時として信じられないような犠牲を生むことを人類が知るためには、世界各地の共産主義革命を待たなくてはならなかった。

 このときシャルロットもデオンも予想外の事態に当惑してはいたが、これがただちに国家を揺るがす事態であるとまでは考えていなかった。

 「王国を背負うというのは彼らが考えるほど甘いものではないのだけれど……場合によっては拘束することも考えておかなくてはね」

 「…………かも、しれません」

 このときデオンは生死の狭間を生き抜いてきたものだけが持つ動物的な嗅覚でシャルロットの危うさを感じ取っていた。

 確かに政治的センスは超一級だが彼女は庶民感情をあまりに軽く見すぎているような気がする。

 パリという中央集権の権化のような巨大都市で、抑圧されてきた庶民とインテリのエネルギーは彼女の聡明な頭脳を持っても計り知れないのではないか、そんな気がするのだ。

 ―――――どうか早く元気なお姿をお見せください。国王陛下。

 優秀な人間であればある程、人という生き物がどんな愚かな決断するかを知らない。

 デオンの見るところ、国王はそうした凡人の愚かさを受け入れた上で、愚かな者を導いていくための処方箋を持ちえていたように思われたのである。





 ボストン包囲戦で凱歌をあげたアメリカ大陸軍は1776年7月4日に発表された独立宣言で高まった士気を有効に生かせずにいた。

 むしろ大艦隊とともに逆襲に転じたイングランド遠征軍の前に、破滅の危機を回避することで精いっぱいなのが現状であった。

 独立宣言後まもなくして22000名のイングランド軍がロングアイランドに上陸、大陸軍は正面決戦を避け包囲を免れるためにひたすら後退を繰り返した。

 ニューヨークは再びイングランドに占領され、3000名を超える捕虜を出した大陸軍にもはやイングランドを押し返す力はなくなったかに思われたのである。

 ちょうどフランスでオーギュストが意識不明に陥ったころ、ワシントンをはじめとする大陸軍首脳は苦境に頭を悩ませていた。 

 「このままでは大陸軍は新年を迎えることはできまい」

 ワシントンは冷静に情勢を分析していた。

 大陸軍と呼ばれていてもその実態は各州からかきあつめられた民兵の集合であり、イングランドのような国軍として訓練を積んだ正規軍ではない。

 そして民兵の大半は十二月でその契約を満了し退役することが予定されていた。

 予定通りの全ての兵士が除隊となった場合ワシントンの手元に残されるのはわずか1400名にまで擦り減らされたアマチュアの兵士のみ。

 これで強大なイングランドに勝てると思うほどワシントンは夢想家ではない。

 「だから言ったのです!いたずらに兵を退くべきではないと!」

 ラ・ファイエットは大陸を訪れたころの溌剌さをどこかに置き忘れてきたかのようなヒステリックな声で叫ぶ。

 確かに戦況は悪く、ハウ将軍は大陸軍を包囲して殲滅するべく兵を進めていたが乾坤一擲、分散するイングランド軍の一方に攻撃を集中し食い破ることは決して不可能ではないとラ・ファイエットは考えていた。

 だがワシントンにとってそれはあまりに賭博的な英雄譚の焼き直しであるように思う。

 一割もない勝率のためにアメリカの命運を委ねようとするのは、大陸軍司令官としての責任の放棄であり、冒涜であるとさえ思っていた。

 「今我々に必要なのは博打ではなく、確実な勝利と資金だよ。侯爵」

 敵が油断したところを見計らって奇襲により確実な勝利を手にする。

 そのための情報収集をワシントンはぬかりなく行っていたし、今はまだイングランドに占領された州民たちもワシントンたち大陸軍への情報提供には協力的だった。

 これも大陸軍の敗北が確定的となれば手のひらを返したようにイングランドへ寝返るであろうことをワシントンは忘れていない。

 彼らにもそれぞれ生活があり、守るべき未来があるのだ。

 「残念なことだがまだまだ我々に武器と弾薬を量産する設備も資金もない。お国の国王陛下から色よい返事は頂けないのかい?」

 実は大陸軍が十全に動けない理由のひとつが弾薬の不足であった。

 独立戦争の後半、優位にたった大陸軍は自前で弾薬を量産する設備を稼働し始めたがこの時点ではほぼ所要の9割をフランスからの輸入に頼っていた。

 史実以上にアメリカへの介入を避けているオーギュストの政策により、ワシントンたちはラ・ファイエットをはじめとする啓蒙派貴族からの寄付と申し訳程度の武器援助によって細々と節約しつつ戦うことを強いられていたのである。

 「オルレアン公はアメリカ支援に積極的なのだが国王陛下は財政再建のために国内貴族を敵に回して内乱寸前であるとも聞く………今はそのような政争などしている場合ではないのだが………」

 欧州の大国であるフランス王国がアメリカ側にたって参戦ということになればまさに起死回生の一手になることを承知しているだけにラ・ファイエットの声に苦渋の色が滲む。

 もちろんラ・ファイエットは知人縁者に手紙を送り、一刻も早いフランス王国の参戦を求める運動を行っていたがそれは志を同じくする幾人からの貴族からの援助を引き出すのみに留まっていた。

 結局のところ、国王ルイ・オーギュストはアメリカと関わるつもりはないのだ。

 ラ・ファイエットもうすうすその事実に気づき始めていた。

 「…………もうじき遠征軍は冬営に入るだろう。そうなれば油断した敵の弱点を衝くことはそれほど難しくはない。勝利を得るのはそのときでいい………しかしそれはあくまでも延命措置にすぎないんだ。国際社会の圧力と支援こそが我々に勝利の道を開く。とりわけフランス王国の支持が」

 「人民の自由への熱意は勝利を切り開くには不足ですか?」

 ―――――わかっているだろう?侯爵。お題目の理想では勝利どころか飯を食わせることすら難しいってことを。

 過酷な撤退戦を最前線で勇敢に指揮をとったこの若き夢想家にワシントンは同情しながらもゆっくりと首を振った。

 可哀そうだが現実は彼が信じているほど都合よく出来てはいない。

 「不足だ。全く不足だな、侯爵。自由ってのは人民がより幸せになるための手段のひとつにすぎない。だから自由のために生活が脅かされれば人民はあっさりと自由を捨てる。それは当然のことなんだ。人民を責めちゃいけない。それは人民の生活を守れなかった我々の責任なんだよ」

 この若者はいったいどれだけの理想に裏切られてきたことだろう。

 所詮世間知らずのぼんぼんと思うこともあるが、彼がアメリカのために命がけで戦ってくれたのは紛れもなく事実であった。

 そんな純粋な若さをうらやましい、とも哀れである、ともワシントンは思う。

 願わくば彼の理想の国家がこのアメリカに誕生することを実現させてやりたいがワシントンはそれ以上にアメリカの未来に責任を負う立場であった。

 戦況によっては彼を裏切り自由を売り渡すこともワシントンは選択肢からはずしてはいなかった。

 ワシントンの胸には大ピットからの密使に届けられた密約がしまわれている。

 大陸軍が勝利によって対等な交渉相手としての立場を獲得するならば――――連邦内に留まり国王を君主と仰ぐことを条件にアメリカ議会による自治を認めるという講和条件。

 まだごくわずかな仲間にしか明かしていないがこのままフランスの介入が引き出せなければ、国民の生活と安全のために受け入れることをワシントンな内心決意しつつあった。

 フランス王国に捨てられた理想に燃える青年は理想のために戦ったこのアメリカの地でも、理想とは相容れぬ現実のゆえに捨てられようとしていたのである。

(許してくれ)

 ワシントンは決して告げることのできない言葉を心の中で呟いていた。

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