第23話 国王暗殺計画

 内戦によるクーデターが忌避された結果として貴族たちは高等法院の復活へと軸を移しつつあった。

 その中心となるのはシャルトル公ルイ・フィリップであり、彼とその取り巻きは国王の持つ権力はあまりにも巨大にすぎ、その濫用を担保するための機関として高等法院は必要不可欠なものだ。

 すなわちルイ15世の治世において失われた高等法院における法案の登録権の失効はそれ自体が無効であると主張したのである。

 これは言ってみれば暴論であり、そんな主張が認められてしまえばいくらでも恣意的な主張がまかり通ってしまう。

 しかし最終手段として高等法院が今までの国王が実行してきたすべての法案を無効にするというウルトラCは貴族たちに将来に対する光明を見させるには十分なものだった。

 モンテスキューの唱えた三権分立論はこの時代それほど珍しいものではなくなっている。

 なんといってもモンテスキューはボルドーの生まれであり、パリを活動の拠点としていて支持者も多かった。

 絶対王政に対するアンチテーゼとして生まれたモンテスキューの思想それ自体は決して間違ってはいないのだが、それを利用とするのが貴族や現実から解離した原理主義者であるという点が問題であった。

 彼らは法を口にはしても、その行動を律しているのは感情であり、野心である。

 表だって法に対する国王の権威の優越性を主張することは彼らに正当性を与えることになりかねないだけにオーギュストは対応に苦慮していた。

 史実でもそうであったが、貴族たちは自分の首を絞めているということに気づかずにいたずらに啓蒙思想を煽る。

 その結果王権が打倒されれば次の生贄は貴族に向けられるというのは論理的な帰結であるはずなのだが、欲に曇った彼らの目にはそれが見えないらしい。

 もちろんなかにはその危険を承知したうえで新たな権威を構築できると信じているものもいる。

 しかし史実としてのフランス革命を知っているオーギュストに言わせればそれは痴人の妄想となんら変わるところはないのであった。


「まったく………利口な馬鹿ほど性質の悪い奴もいないな…………」

 現在のフランスの現状はカオスである。

 第三身分の権利拡張を主張する啓蒙派や貴族の既得権を守る守旧派、アメリカ独立戦争への参戦を主張する派兵派、王権を制限するために議会の開催を模索する議会派など、己の派閥の最大限の利益を引き出すために離合集散と談合が地下水系で互いに気づかぬほどに複雑なモザイクを描きだしつつあった。

 静かで深い武力を伴わぬ戦いはますます熾烈になろうとしていた。







「本国は我々を見殺しにするつもりか!」

 ラ・ファイエットは激昂しつつ大きな羽飾りのついた帽子を地面にたたきつけた。

 英雄となることを志して降り立った新天地の現実は、ラ・ファイエットの描く希望を大きく裏切るものであったと言ってよい。

 アメリカの大地を踏んだフランス貴族はラ・ファイエットを初めとして数十人に及ぶが、その実態は私財を投入した傭兵の寄せ集めである。

 とうていイギリス正規軍との正面決戦に使える兵力ではありえない。

 論理の帰結としてラ・ファイエットたちは、イギリス正規軍との交戦を回避し補給線と叩くという地味で名誉とは程遠いところにある戦いを強いられなければならなかった。

「せっかくボストンを陥落させ士気も盛り上がってきたというのに………」

 1776年3月、籠城と続けるイギリス軍を見下ろすドーチェスター高地に大砲を運び込まれたのを知ったイギリス軍指揮官トマス・ゲイジ中将はこれ以上の抗戦を断念した。

 ボストンを明け渡したイギリス軍はハリファックスへ船で移動。これによりワシントンはニューヨーク市を守るために大陸軍を派遣せざるをえなくなる。

 しかしそんなことより懸念すべき問題は大陸会議の迷走である。

 長い間に及んだボストン包囲戦で沈滞する士気を回復し、イギリスの政治的フリーハンドを奪うという名目でカナダ侵攻作戦が実施されていた。

 カナダという他国へ侵攻したこの作戦は初期にモントリオールを陥落させて以降はさしたる戦果をあげることもできずいたずらに少ない兵力を浪費させる結果に終わった。

 何よりもアメリカに同情的であったイギリス世論がアメリカのやりすぎによって一斉に戦争容認へ転じたことはワシントンをして一時は大陸軍司令官の辞任を決意させるほどの出来ごとだった。

 最終的にイギリスの首都を陥落させるような真似が出来ない以上、この独立戦争は最初から条件闘争なのだ。

 そしてその交渉には世論が有形無形の影響を与えることになる。

「今は負けないことのほうが大事なんだ。オレたちが負けずに戦力を保全しているだけで奴らは衰える」

「しかし司令官殿……!それでは独立はいつの日になるかわかりませんぞ!?」

「…………それでも負けるよりはマシなんだ。帰る場所のある侯爵にはわからんかもしれんがな」

 正直司令官就任を引き受けたのは失敗だったとワシントンは考えていた。

 もともと本国からの不当な課税に抗議する形で始まったはずの戦争は、いつしか人類が専制君主から人民の自由を奪い返す啓蒙思想の象徴として内外から注目を集めている。

 目の前の善良な英雄願望の侯爵もその一人である。

 しかしワシントンに言わせれば自由では飯は食えないのだ。

 人民が求めるのはまずパンであり、将来に対する希望であり、法律上の公平性であるとワシントンは信じていた。

 それがどう解釈すれば自由のために命を投げ出すという話になるのだろうか。

 まあ、理想に殉ずるのは人それぞれの自由だが、それに付き合わされる国民はたまったものではない。

「―――――司令官殿は私を愚弄するおつもりか?」

「いや?むしろ侯爵様には感謝してるぜ?遠い他国の勝算の薄い戦いに本気で手を貸そうとしてくれてるのは実際侯爵様たちぐらいなもんさ。ただ戦うための理由が違うってだけで」

「戦うための理由?この戦いは自由を求めるための聖戦ではなかったのですか?」

 なんのてらいもなく自由を求めるために命を張ってのける。

 愛すべき坊やだ。少なくとも議会の壇上でしか雄弁に語れないエリートどもよりはずっと好感が持てる男だ。

「自由は生きるための方便にすぎない。大事なのは生きるための努力が報われるってことさ。もしも自由が人民を苦しめるなら―――――――自由はオレの敵となる」

 このままフランス政府の全面的な介入が見込めないのであれば戦争を勝利で終わらせることは限りなく困難になる。

 残念なことにアメリカ大陸軍には海軍力というものが皆無に等しい。

 もしもアメリカがイギリス軍に対して決定的な勝利を収める可能性があるとすれば、それは強力なイギリス王立海軍を一時的にでも無力化するための方策が欠かせなかった。

 そうした意味で、史実においてのフランス海軍の近代化とチェサピーク湾海戦におけるフランス海軍の勝利は独立を半ば決定づけたと言っても過言ではない。

 しかしラ・ファイエットら啓蒙貴族に対するルイ・オーギュストの対応を見ればそれがほぼ不可能であることも偽らざる現実であった。

 ワシントンに出来ることは小さな局地的勝利を積み重ねて交渉の糸口を探ることだけだ。

 そのとき、現実的な妥協をどこにおくのか。

 妥協のできない理想主義者は排除しなければならない、――――――たとえ武力に訴えてでも。

「それでも人民は――――自由を欲しているのではないのですか?」

 フランスのみならず旧世界である欧州の思想家たちにとってアメリカ独立戦争は人民による専制君主に対する革命であり、啓蒙思想の終末点であると目されていた。

 人の理性は神にも王にも束縛されるものではなく、あまねく全ての人民に与えられた天賦生来の権利である。

 今こそ歴史は長い低迷の中から転換期を迎えたのだ。

 そう信じて自由のために戦うべく海を越えて手を貸した相手に、まさか自由を否定されるとはラ・ファイエットの予想の埒外にあった。

「文字も読めない人民に自由の何がわかる?本当の人民が求めてるのは生活の保障と向上さ。それを具体的に象徴するために、指導者たちによって自由って言葉が使われるのさ」

 シニカルに嗤うワシントンの表情は寂しげだった。

 ラ・ファイエットは理想を打ち砕くワシントンの言葉に激昂してもよかったが、言葉とは裏腹の哀しそうな表情に彼が理想と現実のはざまで懊悩していることを理解した。

 しかしラ・ファエットは思想家ではなく行動家であり、理想と現実が乖離するならば現実のほうを理想に近づけなければならないと信じる天性の楽天家でもあった。

「ならば我々が与えてやろうではありませんか。人民に自由の素晴らしさというものを」

「………………あんたは大物だよ、侯爵様」

 呆れたように肩をすくめるワシントンはそれでも不屈の青年を眩しいものでも見るように心地よさ気に見上げていた。

 それは親子ほどに歳の離れた二人の両雄に身分を超えた友情が芽生えた瞬間でもあった。





 大陸の波乱をよそにフランス国内は不気味な沈黙が続いていた。

 しかしそれが嵐の前の静けさであるということを知る人は十分によく承知していた。

 このまま座してオーギュストの改革を見守った場合、近い将来貴族たちが王権に反抗する力は永遠に近く失われてしまうだろう。

 とりわけフランス陸軍が国王の影響下におかれたことは貴族の危機感を煽るには十分すぎた。

 最新の装備で武装された正規軍一個師団は、寄せ集まりの貴族連合軍三個師団に勝るというのは、多少なりと軍事をかじった人間には当たり前の方程式であるからだ。

「しかしそれも全ては只一人、国王の存在によって支えられているもろいもの…………」

 赤いチョッキの男が薄く嗤う。

 稀代の山師である男だけが持つ有無を言わさぬオーラに髭だけは立派な貧相な小男は目に見えて委縮したように顔をひきつらせた。

「こ、公爵殿は確かに我らの要求を叶えてくださるのでしょうな!?」

「もちろんですとも。公はあなたの見識を高く評価しておられます。来るべき世ではあなたの一族ともども栄達は思いのままでしょう」

 卑屈に笑い、輝かしい未来に思いをはせる小男をサン=ジェルマンは心の底から侮蔑した。

 ―――――馬鹿が。貴様のような底の浅い男に政権の中枢が勤まるものか!


 男の名をルイ・ルネ・エドアール・ド・ロアン・ゲメネーという。

 誰あろう悪名高い首飾り事件を引き起こした関係者の一人である。

 首飾り事件―――――マリー・アントワネットに対するフランス国民の心象を決定的に悪化させた疑獄事件として名高いこの事件は反対派貴族による印象操作とも相まって国王の構造改革に完全に止めを刺した。

 ことのおこりはデュ・バリー夫人にプレゼントするためルイ15世が発注した160万リーブルという巨額の首飾りが、ルイ15世の死去に伴い宙に浮いてしまったため発注を受けた宝石商ベーマーは莫大な制作費用の回収に頭を悩ませていた。

 宿敵デュ・バリー夫人へのプレゼントだったこともあり、マリー・アントワネットもこの首飾りには興味を示さず破産の危機に瀕したベーマーは王妃の友人を自称するラ・モット伯爵夫人に購入の斡旋を依頼する。

 しかし実際には王妃と話したこともないラ・モット伯爵夫人は安請け合いしてしまったもののなんら実効ある仲介を取れずにいた。

 そこに現れるのがロアン枢機卿である。

 ちょうどネッケルが失脚しカロンヌに財政総監が変わったばかりのころで、後釜の財政総監、ゆくゆくは王国宰相の地位を望んでいたロアンはこの機会を王妃に接触すると捕えたのである。

 欲に目がくらんだせいなのだろうか。

 彼はラ・モット伯爵夫人が用意した替え玉をまんまと王妃本人と信じ込むという考えられない失態を犯す。

 そして王妃の信任を得たと歓喜しながら首飾りを代理購入し、首飾りを夫人へと引き渡すのである。

 いつまでたっても入金のないベーマーが再三にわたって王妃に代金を請求したことでこの詐欺事件が発覚したとき、すでに首飾りは分解されてイギリスで換金された後であったという。

 ところがこのことに関してアントワネットは何ら落ち度はないにもかかわらず、国民はむしろ詐欺師であるラ・モット伯爵夫人やロアン枢機卿を称賛した。

 すでに時代の潮流はブルボン王家を見捨てていたである。

 いずれにしろそんな底が浅いが出世欲だけは人一倍というロアンは、ラ・モット伯爵夫人でなくとも利用しやすい人物にほかならなかった。

 王国宮廷司祭長でもあったロアンはゲメネ公爵の係累であり、実際に王国宰相を望めるほどに一族の力は王国に強く根を張っていた。

 その力は宮廷ばかりか教会や高等法院の法服貴族にも及んでおり、一族を結集したときの影響力は最盛期のショワズールには及ばないが、老いた現在のショワズールには十分匹敵できるほどだ。

 ――――――だからこそ、公爵が王太子誕生の歓迎晩さん会を開催した場合、これを無視することは国王たるオーギュストにもひどく難しいことであった。

「吉報をお待ちしておりますぞ。宰相殿」

 次代の宰相を約束するサン=ジェルマンの言葉に嬉しそうにロアンは頷いてみせた。

 はげあがって脂の浮いた額を笑みでしわくちゃに歪ませて、残忍そうにロアンは蒼い瞳を光らせる。

「万事この私にお任せあれ」


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