第10話 即位前夜

 王太子の改革は貴族たちの間で無視できぬ影響力を伸ばしつつあった。

 相変わらずルイ15世とデュ・バリー夫人をはじめとする宮廷貴族は豪奢なパーティーと舞踏会にうつつをぬかしていたが、それでもわかる人間にはわかっていた。

 現在の深刻な王国経済の危機を支えているのが、王太子とその仲間たちなのだということを。

 それでも王国財政が火の車なのは変わりない。

 収入の八割以上を国債の償還にあてていれば、いかに多少収入が増えたとしてもそれは焼け石に水でしかないだろう。

 変わりがあるとすれば………それはベリー公領を中心とした新たな経済商圏によってフランス経済にこれまでにない格差が生じようとしていることであった。

 インフラが整備され、通行税や直接税が軽減された地域に新たな産業が勃興すれば資本がそこに集中するのは当然の帰結である。

 ゆえに王太子と歩調を合わせて門戸を開放した貴族やブルジョワジーの中には財産を数倍以上に増やしたものが数多く存在した。

 しかし既得権益を守ろうと王太子に組みするのをよしとしなかった貴族のなかには収入が激減したものもいたのである。

 常に改革は万人に利益を提供することは不可能なのだ。

 望むと望まざるとにかかわらず、オーギュストは味方と同時に多くの敵を抱える身となっていた。


 ――――――1772年夏

「全く王太子様には頭があがらんなあ…………」

「本当にあの方がいらっしゃらなかったらと思うとぞっとするよ」

「ありがたや、ありがたや………」

 街を歩けばそんな声が聞こえてくる。

 1770年に引き続き飢饉に見舞われたフランスは、ジャガイモの量産と飢饉前に輸入していた小麦の放出によって例年と変わらぬ食料事情を維持することに成功していた。

 小氷期の影響とも言われるこの飢饉は、さらにルイ16世が即位した1774年にも発生し、翌年の小麦粉紛争を引き起こす原因ともなる。

 日本の浅間山、アイスランドのラキ山の噴火と連動した1783年の飢饉はさらに深刻であり、これがフランス革命の直接的な遠因となったとさえ言われているのである。

 特に日本の天明の大飢饉ではおよそ二十万人近い餓死者が発生し、激減した人口による農村の荒廃は結局幕末を迎えるまで回復することはなかった。

 その恐るべき餓死者の数は、当時の人口を考えれば現代では百万人以上の比率となるだろう。

 いつの時代も食の危機は民衆にとってもっとも深刻な問題なのであった。

 ベリー公領を中心として普及しつつある輪作は、開始から年も浅くいまだ目立った成果を見せていない。

 残念ながら輪作が目に見えた効果を表すのは10年は先のこととなるだろう。

 しかしジャガイモをはじめとする救荒作物の普及と、缶詰等の保存食品の普及はフランス国民の食料事情に画期的な改善をもたらしていた。

 彼らのなかでオーギュストへの期待と信頼が高まるのはむしろ当然のことであった。

 しかし問題も数多く存在する。

 とりわけ問題なのは王太子の改革が彼の手の及ぶ範囲内だけのものであり、結果的にフランスの中央集権の要であるパリの改革が全くと言っていいほど進んでいないことだ。

 フランス王国はヨーロッパの王国のなかでももっとも中央集権化が進んだ国家であり、ゆえにこそアンシャンレジームが存続できたともいえる。

 パリを手中にしたものがフランスを制するという原則は、ヨーロッパの各国のなかでもフランス以外には当てはまらぬものだ。

 王太子の改革はその中央集権体制を微妙に揺るがせ始めていた。

 当然のことながらパリの市民、特にブルジョワジーは王太子の政策がパリに及ぶことを切望していた。

 平民の納める税には各種あるが、国に対する納税、領主に対する納税、教会に対する納税、橋や道の使用料と労役、酒やタバコの間接税が主なところである。

 その領主に対する税率と橋や道の使用料が、王太子の影響下にある地域だけが軽いとなれば彼らがそれを望むのは当然だった。

 実際のところその恩恵にあずかることが出来るのは全フランスの人口の一割にも満たぬものでしかなかった。

 オーギュストも賛同者を求めてはいるが、平民への税を下げることが結果的に景気を浮揚し税収を増やすことに繋がるということを理解できる貴族は少ないのだ。

 そのために発生する貴族間の経済格差もまた無視できぬものになろうとしていた………。



「やれやれ、なかなか思うようにはいかないものだな」

 ………あちらを立てればこちらが立たないとはこのことか。

 しかし食料事情の改善はオーギュストにとって最優先で改善しなければならない課題であった。

 革命期にあれほど食料事情が悪化していなければ、民衆の暴走はあそこまでひどいものにはならなかったはずだからだ。

 極端なことを言ってしまえば大衆というものは今日のパンに不自由することがなければそうそう理性を無くす存在ではないのである。

 国内改革を革命という荒療治なしに軟着陸させたいと考えているオーギュストにとって大衆の不満をひとまず解消させておくことは絶対に必要だった。

「弟がよろしくと言ってきたわ。缶詰は存外トスカーナでも好評なようよ」

 シャルロットの言葉にオーギュストは頷く。

 飢饉は何もフランス王国だけに限ったことではない。

 このとき、地球全体が寒冷化していたことが同時代の様々な文献に散見することができる。

 当然各国でも食料は慢性的な不足状態であった。

 だからこそオーギュストは余剰のあった昨年度中に保存食を増産させておいたのだ。

 資金の豊富なトスカーナ大公国はいまやオーギュストにとってなくてはならない大切な顧客となっていた。

「それにしても………………」

 シャルロットはこの数年で人妻としての艶やかさを加えますます色気を増した端整な横顔を俯かせて深いため息を漏らした。

 シャルロットの手には一通の手紙と豪奢な刺繍の施された手の込んだ手袋が握られていた。

 二年前にナポリに嫁いだ愛すべき妹マリア・アントーニアからの贈り物であった。

 オーギュストを射止めることができなければ自分が嫁ぐことになったかもしれない男である。

 当然シャルロットはナポリ国王フェルナンド4世という男を綿密に調査していた。

 結論からいってフェルナンド4世はルイ15世に非常によく似た男であった。

 頑健な体格に恵まれ容姿も良く、善良なおひとよしであり、そして困ったことに政治に全く関心がなかった。

 狩りとスポーツを愛し、王のサインが必要な決済ですら自らのサインのスタンプを作らせて部下に任せてしまったという。

 もしも自分が嫁いでいたらとうてい我慢できず、自ら国政を掌握していたことだろう。

 そうした遊戯を愛する奔放なフェルナンド4世はアントーニアにとってむしろ理想の夫であったようだ。

 手紙からは今日は何をして遊んだか、何を贈られたか、料理の出来はどうであったか、などということが事細かに記されている。

 確かに有閑マダムのような貴族の妻であればそれでもいいかもしれない。

 しかし一国の王と王妃がともに国政を省みないという事態は国家のありかたとして著しく不健全であると言わざるをえなかった。

「…………私の夫は手袋フェチで質のよい長手袋を身につけて陛下の前に差し出すと何でも言うことを聞いてくれるのよ、お姉さまもお試しになってみたらって………アントーニア貴女って娘は………いったい何をやっているの?」

 頭を抱えるようにしてシャルロットはこめかみを揉んだ。

 どちらかと言えば潔癖症に近いシャルロットにとって、妹とその夫が変態に類するという事実は衝撃以上の何かであったようだった。

 このままではナポリはかつてそうであったように列強に食指を伸ばされないとも限らない。

 歴史的に観るならばフランスはナポリ王国の支配権をめぐって、幾度も各国と熾烈な闘争を繰り広げてきた事実があるのである。

 シャルロットとしても理性を重んずるならば同様の判断を下すであろう。

 だからこそ、ナポリには有能な同盟国であって欲しかった。

「フェルナンド殿も残念なことを考えるものだな、こんな美しい肌を無粋にも隠そうとは…………」

 オーギュストは悠然とシャルロットの手を引いてその柔らかな手のひらにキスをした。

 あまりに物事を政治的に考えすぎるのはシャルロットの悪い癖だ。

 もちろんそうした判断をオーギュストは大いに頼りにしているが、それ以上にオーギュストは妻としてシャルロットを誰よりも深く愛していた。

 夫の気遣いを悟ったシャルロットは遠慮がちにオーギュストの顔を埋めてその大きな背中に手を回した。

 結婚から三年が経過した今でも―――――いや、むしろ今のほうがずっと夫を愛おしいと思っている自分がいた。

「それではほかにも隠している肌も堪能なさいませ」

 妻からの挑発に喜んで応えるオーギュストであった。




 オーギュストの国内改革は決して順調なものではない。

 その一番の要因はなんといっても政治的盟友であったショワズール公の失脚である。

 デュ・バリー夫人との対立を一時は回避したかに思われたショワズール卿だが、夫人を嫌悪する妻と妹のグラモン公爵夫人を止めることができなかった。

 二人の流した怪文書の責任を取る形で、ショワズール公はフランス宮廷の檜舞台から姿を消した。

 代わって登場したのがデュ・バリー夫人の腰ぎんちゃくでもあるデギュヨン公であり、軍の主導権を握ったのもデギュイヨン公の兄であるリシュリュー元帥であった。

 七年戦争で惨めな敗退を喫し、その拙劣な指揮ぶりから一時政治活動を禁止された男が軍権を握っているとあってはオーギュストが理想とする軍制改革も進むはずもない。

 だが三頭政治の一角である大法官でもあるルネ・ニコラ・シャルル・オギュスタン・ド・モプーの知遇を得たことはオーギュストにとって幸いだった。

 1771年に彼が推し進めた司法改革によって、高等法院はその権力を分割され著しく衰退させられていた。

 史実ではルイ16世が分割廃止された高等法院を復活させてしまい、それによって貴族への課税の登録を拒まれるという恩を仇で返すような苦渋を味わわされているが、もちろんオーギュストに高等法院の復権を認めるつもりなど毛頭ない。

 すでに関係が悪化しているアデライード王女からモールパ伯爵が推薦されることもないだろうが、それでも即位の基盤固めに乗じて法服貴族が手を回してくることは十分に予想できることであった。

 領土からの収入を持たない彼らは法律を盾にあるときは貴族の権益を守り、またあるときは民衆に阿る機会主義者の巣窟であるとオーギュストは考えていた。

 法律は秩序を守るためには絶対に必要だが、その運用は恣意的になされるのであればそれは害毒にしかならない。

 リアンクール公や領地に隠居したショワズール公、その他の進歩派貴族を糾合しながらも、オーギュストは守旧派の重い壁を突き崩せずにいた。

 幸いにしてフランス経済は好調であり、そのためにオーギュストの改革は国王の黙認を取り付けているがその成果はまだまだ中途半端なものであった。

 ジリジリと焦燥に駆られるなかで時間だけがゆっくりと過ぎていく。




 そして1774年5月――――――運命のときはやってきた。


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