第8話 王太子の結婚
1769年7月18日―――パリの街は王太子の結婚に沸きに沸いていた。
婚約から2年、ついにオーストリアハプスブルグ家の王女マリー・シャルロット(マリア・カロリーナ)がフランスへ輿入れの運びとなったのである。
史実のマリー・アントワネットの挙式より1年近く早い式の進行には様々な紆余曲折があった。
現在フランス宮廷を支配するデュ・バリー夫人に対抗するためその核としてシャルロットを迎えようとする勢力が存在し、逆に宿敵ハプスブルグ家の血筋を王家に迎えることにいまだ反対の立場をとるものも存在した。
両者の勢力争いをうまく利用して、結婚期間を短縮したのである。
それもこれもこの数年で宮廷における王太子ルイ・オーギュストの政治的影響力が増大したことが大きい。
ベリー公領の繁栄ぶりはつとに宮廷内でも有名で、政治には無関心なルイ15世に代わって国政を握っている外務卿兼陸軍卿であるショワズール卿に助言を求められる機会も増えていた。
それにショワズール卿とはシャルロットとの縁を取り持ってもらった関係もあり個人的にも親交を深めてもいた。
その結果今の宮廷派閥は、デュ・バリー夫人派とショワズール・王太子派に大分されている有様だ。
しかし結婚が早まった一番の理由は、ともにパートナーとしてもお互いを求め合う二人の一致した意志があればこそ、というべきかもしれなかった。
満面の笑顔で民衆に手を振る若き夫妻に喝采の雨が注ぐ。
そのなかでもっとも嬉々として涙ながらに手を振っていたのがカルノーであったことにはあえて触れまい。
「愚かな………栄えあるフランスの栄誉も地に落ちたものだ………」
深いため息とともにワインをあおる男の口元は皮肉気に歪められていた。
彼の見るところ旧世界の代表であるオーストリアとフランスが結ぶことには百害あって一利なしだと考えていた。
オーストリア継承戦争と七年戦争においてフランスが蒙った損害を考えれば諸手をあげて歓迎できるほうがおかしい。
むしろフランスはプロイセンやイギリスと結び、オーストリアやイタリアを敵とすべきなのだ。
イギリスとの植民地競争に敗れ海上覇権を失った今、ヨーロッパで支配の旨みがある地域を考えればそれは当然の帰結であるはずだった。
啓蒙思想に一定の理解を示し、新たなフランスの旗手となることを己に任ずるこの男の名を、ルイ・フィリップ・ジョセフ・ド・オルレアンといった。
ルイ・フィリップの歴史的評価は残念ながら低いものと言わざるをえない。
王族でありながらルイ16世の死刑に賛成票を投じ、本人のあずかり知らぬところでディムーリエの王位擁立に巻き込まれ無為にその命を散らせたと思われているからだ。
しかし息子のフィリップが立憲君主としてベル・エポックとよばれるフランスの黄金時代の基礎を築いたことや、彼が国外逃亡をよしとせず従容として刑を受けいれたことから考えても無定見な底の浅い策士であったという評価は決して正当なものとは言えないだろう。
彼は彼自身の正義を信じてフランス革命を戦ってきたのだし、もしも彼がフランス王位にあったならばもっとスムーズにフランスは立憲君主体制に移行できたかもしれないのだ。
フランスでもっとも富める貴族であった公は、その豊かさゆえにまぎれもなく理想主義者であった。
貴族らしい鷹揚さで人民の平等と自由を叫んだ彼は、選良たる自分が人民を導くことができるはずだと固く信じていた。
だが現実はあっという間に公の理想を追い越して手の届かぬ先へと飛び去っていった。
人民の熱狂にせかされるように公が行動すれば行動するほど、それは哀しい道化に成り下がるほかなかったのだ。
そして現実の動きを加速させたのは、公を上回る狂信的な理想主義者だったということは運命の皮肉というほかはない。
「あの王太子に好き放題にされては我々進歩派貴族で政権を運営することは不可能になりかねませんぞ!」
いまだオルレアン公の地位を受け継いではいないフィリップではあるが、彼の周りには啓蒙思想に感化された貴族の子弟たちが一種のサロンを形成しつつある。
もっとも彼らの頭では狂気に支配された過酷というのもおこがましい革命の嵐など想像することもできない。
しかしフリードリヒ1世に代表される啓蒙君主やイギリスのような立憲君主が欧州世界の中で台頭しつつあることは彼らの共通した認識であった。
彼らは彼らなりに王国の未来を案じて密議に参集していたのである。
「かの王太子が即位すればまたぞろオーストリアにあごでこき使われることにもなりかねませんぞ?」
現在のフランス政府の窮乏が、フレンチインディアン戦争と七年戦争の戦費にあることは多少政治を知るものなら誰にでもわかる。
ただでさえ破産寸前の国庫は、もはや新たな大規模な出兵には耐えられないだろう。
しかしプロイセンとの間で国境に火種を抱えるオーストリアと関係を深めるということはそうしたリスクを抱え込むということと同義でもあった。
…………とはいえ彼らの大部分はそうした政府の危機のために自らの財産を差し出そうなどとは露ほどにも考えていない。
彼らには選良としてのプライドがあり、まずは腐りきった政府を倒すことに何のためらいもなかった。
たとえその資金の一部がイギリスから提供されたものだとしても…………。
「この結婚が祖国フランスに仇なすことは、このオルレアンの名にかけても許さぬ。たとえ奴が国王となったとしても、だ」
その夜、オーギュストとシャルロットは疲労困憊してベッドに身を委ねていた。
日中に過剰な演出に彩られた式典に加え、結婚の宣誓、さらには夫婦の寝室で大司教による聖別を観客に見守られるという羞恥にも耐えた。
ようやく二人きりになった後にも神聖にして大切な儀式が二人には控えていた。
すなわち初夜の契りである。
理知的で女性らしい包容力に満ちたシャルロットはオーギュストが息を呑むほどに美しかった。
マリー・アントワネットはその無邪気な愛らしさを愛されたようだが、オーギュストにとってはシャルロットの端正な美しさのほうがずっと価値があるように思われたのだ。
シャルロットもまた夫であるオーギュストに一瞬で心奪われたと言っていい。
オーギュストの顔立ちはお世辞にも美男と呼ばれるものではない。
しかし品性の高潔さ、人としての冷酷さと優しさが同居したような不思議な眼差し、そして自分を見つめる恋の熱に浮かされた瞳………。
オーギュストの熱がシャルロットにも伝染したかのように、シャルロットもまた激しい恋に落ちようとしていた。
もちろん手紙で想いを交し合ったこの数年の積もる思いが実ったものとも言えなくはない。
だが二人を良く知るものがいれば口をそろえてこう言っただろう。
結局は似たもの同士の夫婦だ、と。
そしてろうそくの灯りが落とされ、二人は誰はばかることなく愛の営みを交わしたのだった。
「愛しているよ我が女神(ミューズ)」
「ああ、この日が来るのをずっとずっと待ち焦がれておりました!」
祖父ルイ15世は初夜でマリー・レクザンスカを七度も求める絶倫ぶりを発揮したと言われているが、オーギュストはそれを上回ったと後世の史書は語ったという。
「…………ま、まだ続けるのですか?」
「私はまだ君への愛を語りきっていないのだよ!」
「殿下が私を愛してくださっていることは十分にわかりましたから………ひぃ!」
「まだまだ足りない……私の愛がこの程度で終わるはずがないのだよ!」
「…………」
返事がない。ただの屍のようだ。
夜更け、ようやく激しい営みを終息させた二人は荒い息を整えつつ、いつものように政治談議に花を咲かせるのであった。
「正直フランス政府の金蔵は破綻寸前です。シャルロットの持参金も一時しのぎにしかならないでしょう」
オーギュストはありのままにシャルロットにうちあけた。
実際のところシャルロットとの結婚に使われた費用だけで持参金の大半が消えてしまう。
特に突貫工事で完成させた王立歌劇場の建築費用は莫大なもので、ただでさえ悪化の一途をたどっていた王室財政は破綻の一歩手前というところであった。
出来れば持参金としてオーストリアに貸し付けている借金をもう少し返還して欲しかったというのが正直なところなのだが、オーストリアとしてもいまだ敗戦の痛手から完全に立ち直ったというわけではなかった。
それでも1億ルーブルに及ぶ持参金は十分破格なもので、ルイ15世が自制さえしてくれれば国庫も大分楽になったはずなのである。
交渉をまとめたショワズール公もこれではため息がつきまい。
「全くあの見栄っ張りめ」
「ご領地のほうはいかがなのですか?」
「順調ではありますがはっきりとした成果が出るのはまだ先のことです」
ベリー公領の経営は順調だが、資金はそれほど貯蓄されてはいない。
代官のテュルゴーは資本主義経済の在り方に一定の理解を示している先進的経済学者であり、経済の発展には資本の投資が不可欠であることをよく承知していた。
現在のベリー公領ではソーダ工場と缶詰め工場とさらに大規模農園経営で集めた資金を、教育と道路や橋といったインフラの整備に投入していたのである。
そうして拡大する工場群の管理を任されたのがピエール・サミュエル・デュポン・ド・ヌムールである。
重農主義者としてテュルゴーと親交のあった彼は後年アメリカに亡命し、デュポン財閥の祖となったことでも知られている。
当時のフランスは農民の自由を拘束する賦役が存在し、ギルドの力が強すぎるために自由な価格でも取引が出来ず、国内関税のために流通に深刻な障害が発生していた。
そのため農民は低すぎる賃金に生産性を高めようとする意欲を完全に失っていた。
しかし農民の質的向上なくして労働力と兵力の確保はできない。
庶民のために整備などされるはずもなかったインフラの公共工事によって雇用と金の流通が生まれ、フランス各地から労働力が集まりつつある現状はテュルゴーとデュポンの政策の正しさをなにより明瞭に告げていたのであった。
ラボアジェやルブランをはじめとする研究開発チームにも新たな顔ぶれが増えている。
ジャン・ル・ロン・ダランベール………デニス・ディドロとともに百科全書を執筆したことで知られる数学者である。
動力学概論の著者でもある彼は将来的なフランスの産業革命のためになくてはならない人材だった。
さらに国内対策も進みつつあった。
ショワズール公との良好な関係を背景に、王太子によしみを通じてくる貴族は相当数にのぼっていた。
なかでもオーギュストが期待をよせているのはリアンクール公ラ・ロシュフーコーである。
彼は先年イギリスを訪問し、その経営を目の当たりにして重農主義者に転じ自領内で大農園を設立していた。
比較的年の近い公は、今後農業革命の推進や重農主義による農民の地位的解放を実現するうえで貴重なパートナーになることが予想された。
すでにリアンクール領とベリー領では国内関税の撤廃が実現している。
二人の経済的成功にあやからんとした同調者が続出する可能性すらあったのである。
「―――弟が持つ資金は豊富です。不利益な提案でないかぎり便宜を図ってくれるでしょう」
トスカーナ大公であるシャルロットの弟、レオポルド2世は父譲りの財政家としての手腕を正しく受け継いでいた。
父フランツ1世が残した遺産は莫大なものであったが、さらにそれを増やすことにまで成功している。
その彼が、儲け口がフランスにあると知るならば有力な交易相手になる可能性は高かった。
もっともそれを既得権益に対する脅威と見る貴族たちも少なくない。
彼らは現在のところ宮廷でもっとも力をもった一人の女――――デュ・バリー夫人を旗頭に王太子の改革をつぶそうと画策していた。
出る杭が打たれるのは何も日本に限った話ではないのである。
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