価値がない

中学までは多少なり絵が描ける人間だと自負していた。センスある同年代が集まる高校に入って打ち砕かれたが、それでも自分にもそれなりの能力はあると過信していた。実際そんなことはなく、今は下手だと理解しているし、納得している。自分のステータスは何もなくなったが、それでも「生きる」だけならできるから生きている。


心療内科などの病院に行くことをやんわりと勧められたことがある。正直気乗りはしない。価値観を変えられるとは思えないというのが理由の一つ。固まってしまっていると自分でも思う。変えるのが怖いのかもしれない。とにかく勇気がなければ行けないだろう。学生までは確かにぼーっとしていた脳足りんだったが、10年のひとり暮らしでそれなりに考えるようになったと思う。もちろん他人に比べれば全然足りないかもしれないが、それなりに積んだ経験をもとに考えて生きてきたわけで。それを壊す勇気は私にはないし、そもそも私を知らない人にとやかく言われたくない。クズ(私)を一番知っているのは私だ。


周りの人らは、死にたいというと「死なないで」と言ってくれる。不快だろうに、申し訳ない。なるべく人前で言わないように、暗い話をしないように気を付けている。気を付け疲れてきてはいるが気を抜いてはいけない部分だ。そして自分に価値はないので相談などはしない。病院に行かないもう一つの理由でもある。価値がない自分を治す意味がない。価値のない人間でも死なない方がいいのはおそらく、不快だからだろう。もちろん当人たちにその意識はないのだろうが、視界の外でなら死んでも特に気にしないだろうに、視界内で死なれたらそれは不快だろう。でもそれなら、生きている“だけ”でいいよねと思って生きている。何かを成そうという気力はもうないから。すまない。


相談をするにしても、そもそももう何を相談するのかわからなくなっている。自分が根暗なのが悪いのに、憶えているかぎりの過去の嫌な出来事のすべてを他人のせいにするのか?忘れろというのか?どう考えても無理だろう。理解を得られるとも思えないし、理解してもらう必要もない。他人にとって私の感情などどうでもよいものなのだから。


先に書いた通り、自殺は迷惑になることを理解している。だから限界が来るか、耐えられない何かが起こるまでは、水面スレスレのところまでは大丈夫と思いながら生きている。実際なにかしんどいことがあっても「大丈夫、私が全部悪い」と三日ほど念じ続けるだけで開き直るのか楽になる。たぶん、いじめ飽きている。


他人に当たらない最良の方法は自分をいじめることだ。「お前は出来損ないだ」「お前が悪い」「お前は要らない人間だ」とずっと言い続ける。「そんなんだからお前はダメなんだ」と傷口に刷り込む。傷だらけのくせに肉厚な心臓をイメージして、ナイフで少しずつ傷を深くしていく想像をする。鏡に映った自分の顔面を殴れるか問う。某アニメの女の子のようにぬいぐるみを殴って発散することはできない(ぬいぐるみは悪くないので)。だがキモいデブである自分の顔面なら殴りたい欲も湧く。そうやって発散できている。


たぶん、もうすでに低空飛行状態であることは理解している。何かあればすぐに墜落して死ぬだろう。身内が自殺しても墜落しなかったから、大丈夫だと思うが。

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